第3話 ああ、それはもちろん──信じていない


 正直帰りたかったけれど、わたしから質問した手前、そういうわけにもいかない。


 しかたなく、わたしはさっきまで座っていた席についた。席の間隔が思ったよりもせまくて、緊張で胸がどきつく。


 ……あ。


 なんでわたし、となりに座ったんだ。話を聞くんなら、向かいの席に座るべきでは。


「さて、はじめに──」


 となりに座ったわたしを気にすることもなく、美少年さんは話しはじめた。


「きみはさっき、鬼は鬼、と言ったね。たしかに、鬼は鬼だ。妖怪、化物、アヤカシ、そんな類いのものだ。では、あらためて聞こう、鬼とは具体的に、どんなものを指す?」


 ど、どんなものって。


「……えっと、そうですね、大きくて、赤くて、角がはえていて、虎柄の腰巻きをつけて、金棒を持っていて」


 だいたいこんな感じ、だよね?


「うん。そのとおり、一般的な鬼のイメージをよくとらえている」


 美少年さんはうなずいてくれた。


「まあ、つけ加えるとすれば、一つ目のものがいること、人里離れた場所に住み着いていること──まあ、これくらいか。ちなみに桃太郎に出てくる鬼は火を吐き、山を焼いたといわれている」

「はあ」


 はあ、としか言えない。


「でもね、きみがいま言ってくれた鬼のイメージは、わりと最近のものではある」

「最近、ですか?」

「うむ。最近といっても、江戸時代にはすでに、そのようなイメージが完成していたようだ。しかし、鬼という言葉はもともと、もっと広い意味で使われていたんだ。珍しい形の生物、奇妙な気配、古の時代から伝わる邪神、そして幽霊。これら、正体不明のよくわからない〝なにか〟は、みな鬼と呼ばれていたのさ」

「え、幽霊が鬼、ですか?」


 珍しい形の生物や、邪神なんかはまだわかる。でも、幽霊は幽霊で、鬼は鬼。その二つは別物ではないの?


「そうさ、かつて幽霊は鬼だった。『倭名類聚抄』によると」

「わ、わみょ?」

「『倭名類聚抄』。日本最古の漢和辞書。それによると、平安時代には鬼はオニともモノとも呼ばれていたという。オニはもともと〝隠〟が訛って伝わったもので、人前から〝隠れた〟正体不明の〝なにか〟を、まとめてオニといっていた。ちなみに中国では、鬼という字はキと発音する。この世に未練を残してさまよう霊を、鬼と呼んでいた。この鬼が、日本に伝わってオニとも読むようになったのさ」


 美少年さんの説明は流れるようになめらかで、よどみがまったくない。鬼が好きなんじゃないかって予想は、どうやら当たっているようだ。


 ……うん? 鬼が、好き?


 鬼が好きで、美少年?


「か、怪異潰し……?」

「ほう」


 わたしのつぶやきに、美少年さんがうなる。


「怪異潰し、ね。なつかしいな」

「じゃあ、あなたは……」

「怪異潰し、祓い屋、呪術解除師マジックキャンセラー、妖怪王子、あとはオカルトマニアだったか。うん、ボクはそんな風に呼ばれているよ」


 実在、したんだ。アグリさんに続いて、こっちも。


「2-B、感崎零かんざきれい。感覚の感に、谷崎潤一郎の崎、ゼロで零」


 少し遅れて、自己紹介だと気づく。


「あ、えと、や、夜野目です。夜野目柊やのめしゅう。夜盗の夜に、野晒の野、ヒイラギで柊。1-Aです」

「柊」


 いきなり下の名前で呼ばれ、ドキッと胸が鳴る。


「ヒイラギで柊。すばらしいな」

「す、すばらしいですか?」


 どちらかといえば、夜野目のほうが注目される。


「ヒイラギは鬼除けさ。節分に、ヒイラギの葉とイワシの頭を玄関にかざる風習があるだろう? ヒイラギの尖った葉が、鬼の目を刺すらしい」

「そう、でしたか。言われてみれば、テレビで見たことがあります。家ではやりませんが」

「ふうん。やらないのか。夜野〝目〟で〝柊〟なら、そういうことかと思ったんだけど」

「あの、感崎先輩」

「零でいい」

「いや、でも」

「零でいい」

「い、いや、でも」

「零でいい」

「い、いや、でもでも……」


 クラスメイトの男子にも、呼び捨てなんかしたことないのに。


「じゃあ、間をとって〝零くん〟にしよう。こちらも譲歩したんだ、それでいいだろ?」

「あ、う、はい」


 たいして譲歩されてない気がするけれど、あらゆることに弱いわたしは、当然押しにも弱いので、思わず、うなずいてしまう。


「あの、その……れ、零くん」

「うむ」


 よくできましたって感じに、零くんが笑う。それだけで、トーンが散りばめられた少女マンガのように、零くんの周りがパッと華やぐ。


 わたしはあわてて目をそらした。


「えっと、零くんて、そういうのが好きなんですね。鬼とか、妖怪とか、あと……幽霊とか」

「好きだよ」

「…………」


 やっぱり、となりに座るべきじゃなかった。この距離で、『好きだよ』は心臓に悪い。


「マニアを名乗れるほどのレベルではないけれど。まあ、好きなのはたしかさ」

「じゃ、じゃあ、零くんは、鬼とか、妖怪とか、幽霊とか、そういった怪異の存在を、信じているんですね?」

「ああ、それはもちろん──信じていない」

「え?」


 それは、予想外の言葉だった。


 てっきり、信じているって、そう言ってくれるものだと。だって、あんなに鬼にくわしくて、スラスラ楽しそうに話して。


 もしかしたら、わたしと同じ、視える人なんじゃないかって……そう、期待してしまっていた……。


「信じていないよ。怪異なんて、この世に存在しない」


 零くんの口調はゆるぎないものだった。


「好きなのに、そう思うのですか?」

「好きだから、だよ。いいかい柊、もしこの世に怪異が実在したらどうなるか、想像してごらん。悪霊や鬼が跋扈する街を、呪いや祟りがあふれる今日を。大変だよ、好きとか言ってられないさ。鬼やら幽霊やら、そんな魑魅魍魎なんて、存在しないほうがいい。存在しないフィクションだから、楽しめる」


 零くんの意見は正しい。正しすぎる。


 でも、わたしは知っている。幽霊が存在することを。この目で、何度も、視たのだから。


「柊、不満げだね?」

「……はい」


 零くんの問いかけがとてもやさしくて、つい本音をもらしてしまう。


「もしかして、柊は〝視える側〟なのかな」

「っ!」

「何人か、そういう人は知ってる。……そうか、柊もなのか。うん、それは、うらやましい」

「うらやましい?」


 零くんは遠い目をして、天井を見つめた。


「ボクは鬼とか妖怪とか幽霊が好きなんだけれど、鬼とか妖怪とか幽霊は、どうやらボクのことが嫌いらしい」

「それは、どういう?」

「柊、ボクはね、霊感がまったくないんだ」


 そう言った零くんの瞳は、やけに切なげで、やっぱり美しかった。


「どんな幽霊スポットに行っても、なにも見えない。どんな呪具を身につけても、なにも感じない。どんな超能力者に会っても、なにもされない。どんなタブーを犯しても、なにも起こらない。そんなボクを見て、一部の人はこう言った──怪異潰しと」


 あぁ、この人はたぶん、怪異に存在してほしいんだ。


 存在してほしいから、幽霊スポットに何度も行って、呪具を何個も身につけ、超能力者に何人も会って、タブーを何回も犯した。


「いつしか、ボクのところに怪異がらみの相談が舞いこむようになった。幽霊、悪魔、憑き物、呪い……相談の中のさまざまな怪異も、ボクは一切感じとれない。それどころか多くの場合、それらは怪異に見せかけた偽物だった」


 怪異好きなのに、怪異を感じとれず、怪異の裏を暴いてしまう。


 だから妖怪王子だったり怪異潰しだったり、真逆のアダ名がついたんだ。


「ちなみに、最初の質問の答えなんだけれど」

「最初の?」

「ほら、桃太郎の鬼の正体。それも、怪異に見せかけた偽物だと、ボクは思っている」

「鬼は、鬼じゃなかったってことですか?」

「柊は桃太郎を読んで、不思議に思ったことはないかい?」


 桃太郎のあらすじを、頭に思い浮かべる。


 そもそも、桃から子どもが産まれるわけないとか、川から桃が流れるときのサウンドが〝どんぶらこ〟っていうのは作者さん個性出しすぎではないかとか、いろいろ思いつくけれど、零くんが望んでいる回答ではないだろう。


「ボクはずっと不思議だったよ。どうして桃太郎は、鬼ヶ島から金銀財宝を家に持って帰れたのかって」

「え? それは、鬼を退治したから、ですよね?」


 鬼を退治して、鬼に奪われた金銀財宝を取り返した。そこに関しては、不思議なことなんてない。


「桃太郎が育った家は、おじいさんとおばあさんが暮らす庶民的な家だった。きっと、近所の家もそうだろう」

「そう、ですね」


 零くんはなにが言いたいんだ?


「柊、いいかい? 桃太郎は奪われた金銀財宝を、取り返したと語られている。だけどね、柴刈りを生業にしている庶民の家に、金銀財宝なんてあるわけない」

「あっ!!!」


 どうして。


 どうして、気づかなかったんだろう!


「金銀財宝は、はじめから鬼のモノだった、ボクはそう思うんだ」

「でも零くん、それじゃ、桃太郎が……」

「うむ。桃太郎のほうが、鬼から財宝を奪ったんだ」


 わたしの中の桃太郎像が、一瞬で崩れさる。


「じつは被害者だった鬼の正体、それはボクらが挙げた鬼の特徴を考えればわかる。大きくて、赤くて、角がはえていて、虎柄の腰巻きをつけて、金棒を持っていて、人里離れた場所に住み、一つ目のものもいる、そして桃太郎に出てくる鬼は火を吐き、山を焼いた」


 わたしはすっかり、零くんの話に引きこまれていた。人を見るのも見られるのも苦手だったのに、零くんをじっと見て、話の先を待っていた。


「ちなみにこの中で、角と虎柄の腰巻きは考えなくていい」

「え、どうしてです?」

「鬼門て言葉があるだろう? 風水なんかで使われる、避けたほうがいい方角」


 鬼門──鬼。


「鬼門とは北東のこと。北東は昔、うしとらと呼ばれていたんだ」

「うし、とら……!」

「そう、角と虎柄は牛と虎、艮から来ている。つまり、これは言葉遊びなのさ」


 言葉遊び、つまり、本来の鬼の特徴ではないってことか。


「柊、ポイントは火を吐き、山を焼いたことだよ。昔話でこれが出てきたら、それはたいてい、製鉄のメタファーだ」

「製鉄……鉄を、造る……」

「それだけじゃない、ほかの特徴もみな、メタファーなのさ」


 鉄。火。焼く。赤。金棒。一つ目。人里離れた。


 頭の中をグルグルと、キーワードたちが駆けめぐる。


 製鉄、火、焼く、金棒、製鉄、メタファー、鬼、被害者、製鉄、製鉄、被害者、メタファー、鬼は、メタファー………………あ!


「そういう、ことですか……!」

「気づいたね」


 ニィっと笑う零くん。


「そう、桃太郎に出てくる鬼の正体は、人里離れた山奥で、製鉄を生業にしていた、少数民族だ」


 火を吐くとは、鉄を造るときに出る火炎や火の粉。山を焼くとは、鉄を燃やすために大量の木を斬ったこと。体が赤いのは、肌が火にあたっているから。金棒は、もちろん鉄製。一つ目は、危険な製鉄作業で失明したから。


 あぁ、ぜんぶ、つながる……!


 ──これら、正体不明のよくわからない〝なにか〟は、みな鬼と呼ばれていたんだ。


 零くんの言葉が甦る。そうか、自分たちとはちがう、人里離れた場所に住む、よくわからない、正体不明の少数民族を〝鬼〟と呼んでいたんだ。


「金銀財宝とは、貴重な製鉄技術によって造られた鉄製品、もしくは製鉄技術そのもの。桃太郎は、それを奪ったんだ」

「どうして桃太郎はヒーローに、製鉄民族は鬼にされてしまったのですか?」

「物語はいつだって、勝者がつくるからだよ。戦いに勝った側が、自分たちに都合のいい物語をつくったんだ。都合の悪いことは、ぜんぶ敗者に押し付けて」


 あぁ、ありそうなことだ、と思う。それは、いまも変わらないから。


「……それにしても、零くん、すごいです。ぜんぶつじつまが合いました」

「こんなことを話すから、怪異潰しだなんて言われてしまうんだ」


 零くんによって、桃太郎の鬼は鬼ではなくなった。ある意味、退治されてしまった。


 ……でも。


「零くん、わたしの話を聞いてくれませんか? ついさっき、視たものについて」


 わたしは、幽霊を知っている。この目で、たしかに、ついさっきも視たんだ。


「そうくると思ったよ」


 零くんの目は笑っている。それは、わたしをバカにしているんじゃなくて、きっと、わたしの話が楽しみなんだ。


「わたし、視たんです。アグリさんと呼ばれる、智聡中学の地縛霊を視たんです」

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