1-13
リビングまで戻ったリンは、寝かせているリニアを気遣っている。今までにないほど動揺のある顔をしていた。この上ないほどの不安な表情でリニアに何度も話しかけていた。
「リニア、リニア。しっかり」
普段の冷静さが失われたリンの姿にロッジが肩にさわる。
「リン隊長。隊長、落ち着いて下さい!」
ライン博士がリニアの顔色を観察している。血色がさらに悪化し、彼女の全身が激しいけいれんを起こしはじめる
「早く手を打つ必要がありそうだ」
「博士、何か、なにか手立てはないのですか?」
リンはひどく興奮していた。
博士は思いつくままにリニアの体を丹念に調べていく。身体の隅々をみていくと所々にひっかいた痕が見受けられた。とくに右上腕部にある赤いひっかき傷と、丸い斑点が帯状に広がっているのを確かめた。
いても立ってもいられない気持ちが、リンの中にあった。
「博士!」
リニアの右腕を指し示し、ライン博士が説明しはじめた
「ここに何かでひっかいた痕がある。それとすぐ横に斑点のようなものがみられる。これは、推測だが、リニアが感染したヴィルスは身体に侵入した後、激しいかゆみを引き起こすものと考えられる。もしかすると、激しい痒(かゆ)みに襲われて、自分自身で皮膚に傷をつけた可能性がある。それによってヴィルスの効果が加速したのかもしれない」
「じゃあ、リニアは……」
リンは哀しみのあふれる顔でラインに詰め寄った。
「残念だが、非常に強力な抗ヴィルス剤となるものでも打たない限り、助かる見込みは……」
「その抗ヴィルス剤はどこにあるんですか?」
「散布した犯人を特定して、成分を聞きださないことには手の打ちようが……」
ラインの発言を最後まで聞かないうちに、リンはふたりの男のいる方へと足を運んでいた。
気絶から目覚めたふたりの男は、ライン博士とリンのやり取りを聞いていた。ふてくされた顔で黙っている。ソファに座らされ、ロープで固定されているために立つことすらできない。彼女はこの上ないほどの鋭い目つきで怒鳴り散らした。
「おい、お前たちの持っている情報をすべて教えろ! ひとつ残らず教えれば、お前たちを解放してやる」
男のひとりが冷静な顔つきでじろりとリンを見つめる。
「無駄なことだ。お前はその子供を助けるつもりでいるようだが、感染した住人は、飢餓に飢えて死ぬ運命にあるんだ!」
もう一人の男も諦めのある顔でリンに罵声をとばす。
「いまさら、抗ヴィルス剤をもとめたところで……無駄な時間を割くだけだ! 諦めるべきだと思うがな」
リンにも無駄な時間であることはわかっていた。ロウの待つ地下通路の拠点に一刻もはやく戻らなければならない。ドームシェルターで起こったヴィルス騒ぎにかまってはいられなかった。なにか方法はないものかと考えていた。
ラインがリンの隣まで来た。
「お前たちに一つだけ訊きたいことがある。これはひとりの科学者としてだ」
ふたりの男はラインの低い声にききいった。
「お前たちはいったい誰から指示されたのだ。お前たちの組織のボスは誰なんだ? 正直に答えてほしい」
拘束された男たちは顔を見合わせている。
「あなたも科学者なら聞いたことはあるだろう。旧世代からご活躍されている古代気象学者ワインシュタイン教授だ。ワイニー博士は、科学者の中に今回のヴィルス散布の主犯がいると見込んだんだ」
「ワイン?」
リンが首を傾げた。その横でラインは呆然とたたずんでいる。
「あいつ、なのか……」
「ライン博士、ご存じなんですか?」
「ああ、ワインとは、科学者の中で行われている緊急課題の時、チームを組んだことがある。正義感が一際つよくて度肝を抜かれたよ。彼は、もともと気象学を専門に扱っていた」
「ライン……?」
拘束された男のひとりが、
「まさか、あなたはワイン教授が口癖のように言っていた。フォーイック博士……なのか?」
と、目を大きく見開き驚愕した。
「だが……」
もうひとりの男が疑念に満ちた顔つきで、ライン博士を見つめている。
「驚くのも無理はない。おれの場合、ファーストネームはあまり口にしない主義だからな。それで……」
男たちに改めてラインは訊き返した。
「それで、ヴィルスの主犯となる根拠はなんだ」
男たちは互いに顔を見合わせ、
「その前に、あなたが本当にフォーイック博士か甚(はなは)だ疑問だ」
と疑念の眼をむける。
「なんだと?」
だまっていたロッジがふたりの男に歯向かった。
「まだ疑うっていうのか?」
黙っていたリンが大声で叫んだ。だが、ラインは彼女をなだめる様に小声で制した。
「こういう世界で科学者というのは、敵が多いものだ。おれの名を騙る不届きものもいるかもしれない。念のためだろう」
ラインは懐から小さいバッジらしきものを取り出した。紅く光沢がかったタワーらしき絵が彫られている。男たちに見える位置まで近づいた。
「このバッジをみて疑いは晴れるだろ! これはチームに配られた唯一の品だ!」
男たちの眼が、疑念から信用の眼に移り変わった。
「まさしく。間違いない」
男がもうひとりの男に目配せをした。
「ある筋からの情報だと、近々、ウエスト地区ドームシェルター内でヴィルス散布の実験が行われるという事だったのだ」
「それと、大量虐殺の主犯が、科学者諮問委員のメンバーの中に含まれていることを知った」
腕組みを崩さずラインは、男たちの話を真剣なまなざしで聞いていた。
「リン隊長、こんな奴らのことを信用するんですか?」
まざまざと疑いのある表情を浮かべ、ロッジが詰め寄った。
「ロッジくん、偽物の情報だろうと本当の情報だろうと、受け取る側の解釈次第だ」
ロッジに目を向けていたラインがいった。リンも納得の表情であった。
「だからこそ、確実性を求めるんだ」
リンが年配と思われる男に問いかけた。
「確かなのか? その筋の情報というのは」
「信用できる情報だということは間違いない」
そうか、とラインは小声でつぶやいた。リンはサバイバルナイフを取り出し拘束していたロープを切り、男たちを解放した。彼女はふたりに拘束してすまなかったと、詫びた。
「君たちは、ロック・ファイドマン博士を知っているか?」
「名前だけは聞いている。だが、このドームシェルター内で起こったヴィルスの散布事件とは無関係だ」
リンが疑いの目で男たちを見た。
「なぜ、そう言い切れる?」
男のひとりはフッ、とほくそ笑み、
「あの科学者にとって有益といえるほどの実験ではないからだ。今回の企みはあの男ではないと確信している」
もう一人の男が、リニアに医療用の鎮痛剤らしきものを打ち、少しして抱きかかえた。
「一時的にヴィルスの働きを抑制する薬を打っておいた」
「この子は、わたしたちの組織の方で預からせてくれ。散布によるヴィルスは調合成分さえわかってしまえば、抗ヴィルス剤を作ることは容易だ」
「よろしく頼む」
「もし、成分表のようなものを手に入れることがあれば、組織の方まで来てくれ」
男はもう一人の男に一瞥し、
「俺らは【ASPRO】という組織のメンバーに所属している。おれはベイという。こいつはラツェ」
黙ったままラツェは、軽く頭を下げた。
「アスプロ?」
「人工太陽計画に抵抗する組織の略称だ。我らはイースト地区ドームシェルターに本部を置いている。用事があるときにはたずねて来てくれ!」
ラインが頷いた。
「リニアのこと、よろしく頼みます」
ラツェに抱えられたリニアの寝顔を一瞥すると、リンは彼の顔に鋭い眼差しを向けた。
2章へつづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます