1-5


「耐えられるか? キャサリン」

 覚悟がうかがえる顔になる。キャサリンには、エルシーに言われた時からハリーに最後までついていくと決心していた。顔を向けてくるハリーの真剣な眼差しに、意気込みの気持ちで首を縦にする。

「ハリーとタワーまで行く覚悟は持ってるわ。それには体力をつけないといけないのよね?」

「体力もたしかに必要だけど、地下通路と同じように、トグルの大群や自分の身を守るほどの危険な目に遭う可能性がある。だからこそ、真剣に取り組んでほしいんだ。わかるよな?」

「耐えてみせるわ! 楽しみにしていて」

 ハリーはキャサリンの手を添えしっかり握った。彼女もこたえ手を握り返した。

 力強く頷くとハリーは、リンと一緒に部屋を後にした。

 リンが部屋を出る前に一言いった。

「キャシー、とりあえずボクは、あしたもう一度来るよ。そのときに今後のことを話そう」

「よろしくお願いしますね。リンさん」

「こちらこそ。あ、そうだ、どうせなら……」

 と言葉を切るとリンが、なにかを思いついた表情で、

「オネエサンにも声をかけてみるよ。それじゃ、明日」

 ゆっくりと扉をしめ、彼女は廊下へと出て行った。

 キャサリンはひとり病室で考え込んでいた。まだ体力には不安がよぎっていた。倭人たちのシェルターにいたとき、エルシーに鍛えてもらっていたが、自分の体力のなさに情けなくなっていた。ハリーがアルファシェルターから出発するとき、自分を連れて行かなかった理由が、体力のなさだったのか、とやっと気づいた。ハリーに鍛えられ、ヴェイクに鍛えられ、エルシーにも体力づくりで鍛らえたが、彼らの体力にまったく追いついていないと地下での戦闘で思い知らされた。

 リンにどれだけ鍛えてもらえるのか、一刻も猶予がないとベッドの中で一人静かに目をつむり、眠りに落ちた。






 翌日の朝。少しでも体力を回復させようと療養所の周囲をまわり始める。一周三百メートルにも満たない敷地内を何度もまわりだす。

 リンの姿が見えるころには、五周ほどまわることができ、徐々に回復していることに嬉しさがあった。

 リンが汗だくになるキャサリンをみて、笑顔でうなずきをみせた。

「体力は戻ってきてそうだね。よかった、ボクの鍛え方は独特だから、本格的に訓練する前に基礎的な体力はつけておいてもらわないと」

「リンさん、このぐらいの敷地ならどういう訓練をするの?」

 周囲の療養所をきょろきょろと見まわし、療養所の屋根にある風見鶏を指さした。彼女の指さす風見鶏をみたキャサリンは訝しくリンを見た。

「風見鶏がどうかしたの?」

「この療養所って一周どのくらいなんだ?」

 療養所の管理人に訊いたことをそのままリンにもつたえた。

「この辺は盆地の中でも一番低地にあたるらしくて、一周は三百メートルにも満たないんだって」

 ふ~ん、と軽く頷き、リンが、

「このぐらいの敷地なら風見鶏の屋根まで簡単にジャンプできるから……」

「えっ、ジャンプ? 待ってあの屋根まで五十メートルはあるわよ」

 いったいどうやって生き延びてきたのか、どういう訓練をしてきたのか、あたしにはとてもじゃないけど超人的な体力をもっているのかしら、と疑問を抱いた。

「え、ああ、大した高さじゃないし、多少壁づたいに蹴るけど、実際にやってみる。見ててくれ!」

 軽く準備運動をしてほぐすと、リンが言い放った。

「キャサリンには、ボクほどじゃないけどあの屋根に上って、訓練できるぐらいにはなってもらいたい。試しに風見鶏まで上ってみるよ」

 軽く飛び跳ねてキャサリンのいるところから少し離れて助走をつけ、一気に療養所の壁を一蹴り、二蹴りするとあっという間に二階の窓までジャンプし、四蹴り目には、屋根のひさしに飛びつき、五蹴り目にバランスを取って屋根へと到達した。

 リンがくるりとふり向き、キャサリンの方向を見下ろした。その身軽な体には、子供の頃から身についているような軽業であった。どうだとばかりに腰に手をあて、ふんぞり返った。

「どうだい? できるか?」

 リンが大声を叫び、キャサリンによびかけた。そういうと二十メートルはあるだろう建物を迷う素振りもなく、飛び降り地面に着地した。


(あたしに、できるだろうか……)


 キャサリンは呆然と見上げていた。リンはすぐにキャサリンの元に近づいた。

「キャサリン……キャシー? どうしたの? おーい?」

 リンが肩を揺らし、キャサリンは正気を取り戻した。

「リンさん、なぜそんなに身軽なの? あたしに、あなたと同じぐらいのこと、できるかしら」

「自信を持って、ボクだってキャサリンと同じぐらい最初は不安だった。けど、体力づくりを重ねていき、飛び跳ねるにもコツを掴んだんだ。それに、ボクなんて比じゃない。まだ序の口の域なんだ」

「あなたのジャンプ力で序の口なの?」

 目を丸くし、キャサリンが驚いた。

「こんなのジャンプって言えない。凄いひとにしたら、一回のジャンプ力でこのぐらいの屋根まで上れるほどなんだ」

「現実に可能なの?」

 にやけながらリンが、靴の間から何かを取り出した。10センチ四方の小型装置を手に乗せる。小さく舌を出した。

「ごめん、ちょっと誇張しすぎたかな。現実にはさすがに難しい。この世界では、持っている人なんていないと思うんだけどね」

「これは?」

「小型軽量化したブースター」

「ブースター?」

「正式には、携帯型重力制御装置さ。ボクが試作で作ったんだけど、素材がなかったから重力もほんのわずかだし、範囲も小さい」

 スゴイわ! とキャサリンはリンの手先の器用さと知識の豊かさにおどろく。自分には到底真似のできないことに尊敬の眼差しを見せた。

「そうだ、これ、キミの出来そうな基礎トレーニングのメモ……」

 と、言葉を切り、一枚の紙切れをキャサリンに渡してきた。

「これ?」

「この敷地を五周ぐらいできるほど回復してたんなら、そのメモのメニューは三ヶ月やるには余裕かもしれないけど」

「えっ?」

 メモには次の内容が殴り書きで書かれていた。



 ・腕立て伏せ  一日  百回

 ・屈伸     一日  二百回

 ・懸垂     一日  五十回

 ・走り込み   一日  五キロ

 ・腹筋     一日  百回



「書かれている通りだよ。急いで殴り書きで書いたから鍛錬の仕方は、キミのやりやすいようにすればいい。ボクが帰ってくるまでに」

「帰ってくるまで? えっ、あっ、用事があるとか言ってたあれ?」

 リンが唇を引き締めた。うなずきもみせる。

「それと、詳しいことはオネエサン、フリージアさんに聞いて。もうすぐ来る」

 近づいてくるひとりの女性が、キャサリンに微笑みかけた。リンとは違う懐かしさにあふれた笑みに、彼女は緩みのある表情へと変化した。

「お義姉ちゃん!」

 キャサリンには驚きとともに、幼少の顔が甦る義姉の顔に笑みが浮かんだ。


                     6へつづく



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