キャサリン編 PART1

1-4



 穏やかな風が、キャサリンのいる病室へと入ってくる。

 このところの数日間、彼女のお見舞いに訪れる来客の慌ただしさで、隣の病室からも文句の小言が響いてきた。シェルターにいたころとは比べ物にならないくらい解放された場所にいるのだと、彼女は思った。シェルターでの暮らしは、来る日も来る日もポジティブに生きようと考えていた。ハリーやフリージアの背中ばかりを追いかけている日々だった。

 いつの間にかフリージアの大人びた行動に彼女は、有無も言わずただただ従うばかりだった。やがて、フリージアがこのイプシロンシェルターに出発した際に、わずかに言い残したのが手紙のやり取りだった。

 数十年と文通をつづけ、やっとフリージアに会える。昨日訪れたハリーが義姉さんに会いに行くことを知り、彼女には不安がよぎった。『手紙には困ったことが起こった』という文面があった。文章から慌てふためくことが読み取れたのだ。

 義姉に会ったというハリーの顔は、あまりにも穏やかだった。慌てる様子もなく彼は、フリージアが元気であること、次の目的地のこと、を語りだした。

「ハリー、本当に?」

 真剣な面持ちでハリーを見据えた。

「本当に、お義姉ちゃんは元気なの?」

「ああ、俺が見る限りは困っている様子はなかったな」

 意味深な表情をしたキャサリンに、ハリーと一緒に訪れていたリンが、声をかけた。

「キャシー、ボクは君とフリージアさんのことをよく知らないから、こんなこと言うのは、すごく失礼になってしまうけど、小さい頃に一緒だったのなら同性じゃないとわからないこともあるかもしれない」

「えっ?」

「ただ、ボクも女の視点からみると、どことなく何か隠している雰囲気はあったんだ」

 リンの発言に、ハリーもキャサリンに続いてふり向いた。

「あ、いや、本当にこれは『女の勘』っていうのかな。男のひと、特に、ハリーには感づかれないように注意しているのかもしれない。だから本人オネエサンに直接訊いてみたらどうだい?」

 やさしくリンが語りかけつづけて、天井を仰ぎながらハリーが、

「まあ、そうだな。俺にもアイツがどんなことを考えているのか、しばらく会ってなかっただけに分からなくなった。お前なら、俺がいないところで本心を打ち明けるだろうよ」

 と、キャサリンに話しかけた。

「お義姉ちゃん、来るって?」

「久し振りに顔を見たいって言ってたから、本当のことを訊けるかもしれない」

「それはそうと」

 ハリーが近くの椅子に腰掛けるとくつろぎながら、

「キャサリン、しばらくこのイプシロンシェルターに滞在できるか?」

「ハリー、今なんて……?」

「遠征隊を下りろとは言わない。だが、ここから先はさらに過酷なんだ! 充分に訓練された彼女や忍耐力がたかい俺でも本当に」

「今までどんな思いでここまで来たと思ってるの! あたしはハリーが遠征に出かける度に、シェルターで待っていて心配な思いをしてきたのよ! 今度こそ、ハリーと一緒に困難を乗り越えられると信じてここまで……、ここまで来てるっていうのに」

 ヒステリックに、キャサリンは声を荒げた。

「キャシー、落ち着いてよく聞いてくれ。ボクもハリーと同意見なんだ」

 リンも強い口調でキャサリンの双眸をみつめる。不安に満ちた彼女キャサリンの眼が訴えかけていた。

「リンさん、あなたまで」

「根拠をきちんと説明するよ。ボクはこれでも過去の世界で戦場というところを経験したんだ。そこでは、女というのは、おとこの数十倍努力しても超えられない領域があることが分かった」

「……」

「来る日も来る日も自分の力のなさに嘆いたりもした。食料も限られている中で、体力を維持し、それこそ細胞が暴走するのではないかと、体が拒絶反応をみせることもあった。絶体絶命に晒される中で、仲間に最善となる指示も出さなければいけない。まさに自分自身との壮絶な闘いなんだ。

 言ってしまえば、君の場合、精神が幼すぎる。地下通路の闘技場内で、キャシーの動きを逐一みていたわけじゃないけど、ボクからすれば、動きが鈍いと感じたんだ。このまま旅を続けていると体力不足と訓練不足で、危険な目に遭う気がしてならない。この先は、今以上に苛酷さがともなう。自分の事で精いっぱいになり、他人を気にしている余裕がないんだ」

 リンの話から自分の体力、気力がのちに、ハリーを、遠征隊全体を危険な目にあわせ、足手まといになるかもしれない。張り詰めた感情でシーツを握りしめずっと俯いていた。彼女リンには力強い説得力があった。それだけの過酷で壮絶な環境を生き抜き乗りこえていたんだ、ということをこの時、つよく受け止めた。

 彼女の胸にエルシーの言葉がこみあげてきた。


『アンタも生きている以上、悔いの残らないように進みな。誰が、何ていようとも、覚悟を決めた道を進むんだよ』


「あたしは、あたしは、ハリーと同じ道を一緒に進もうと覚悟を決めたの。あたしにとって、引き返すことはあり得ないと思っているの。だから」

 キャサリンは力いっぱいリンの両腕をががっしりと掴んだ。顔を上げ、涙目に浮かぶ彼女が力いっぱいリンに、目力めぢからで訴えた。

「だから、お願い、リンさん。体術を教えて下さい! 過酷だというなら、あたし自身が強くなって、少しでもハリーのサポートに徹すれば、いいわけよね。それには今のあたしにはないものを覚醒させてほしい」

「あんた、本気なんだな」

 キャサリンはつよく頷きをみせた。

「ハリーと一緒に進むためだもの。足手まといにだけはなりたくないの」

 ハリーは黙ってキャサリンの覚悟を見守っていた。

「キャシー、そこまでして俺の後を……」

 おい、どうするよ、という呟きの聞こえそうな顔つきにリンはハリーを一瞥した。対するハリーは腕組みをすると大きくため息を吐く。椅子から前のめりになり、態勢を立て直した。

「キャシー、俺は一度南西に向かわなければならないが、用事が済んだらもう一度このシェルターに戻ってくるつもりなんだ。だから、もし俺と進むのであれば……それなりの覚悟の上で、マスターリンに教えを乞う必要がある」

 一瞬、ハリーがリンをみた。師匠マスター、と呟くもキャサリンがハリーに振り向いた。彼の手がリンに向かって伸びた。


「お、おい、ハリー。ま、まさか……?」

「教えるのは得意だろ! 師匠マスター

 手で顔を抑え、リンがあきれた顔になる。


(そうなのね、ハリーに体術を教えたのって……)


 キャサリンが両手を組んでほほえましい顔でリンをみつめる。

「あのなあ、ボクだってやらなければいけないことがあるんだから。それに師匠マスターは勘弁してくれよ」

「リンさんの用事が済んだ後でも、あたしは構わないわ。それまでに体力づくりは欠かさずにするから、リンさん。あなただけが頼りなの」

 キャサリンの眼力に押されているのか、リンが目を逸らそうとする。

「俺からも頼む。リン、本気で彼女キャサリンを鍛えてあげてくれないか? 訓練の仕方は君の一存でかまわない。これでも彼女は、シェルター内で訓練をしたとき、俺は何度も投げ飛ばされたことがあるんだ。彼女は日々努力を惜しまない性格だし、根性が据わってるというか、誰よりも努力家だと思う。数ヶ月あれば、自己防衛の領域までは、耐えられると信じてる。地下通路での戦闘のように、数人がかりで対処しないと勝てない相手が出てくるかもしれないからだ」

 ハリーは、頭を下げて彼女に訴えかけた。彼にしてみれば、一人でも多く即戦力に繋げたかったのだろう。

「俺も本当なら、まだリンに習いたいぐらいだ」

「ハリーまで何を言い出すんだ。ボクの立場がなくなっちゃうよ」

「お願いよ。リンさん」

 ここにエルシーもヴェイクもいれば間違いなくリンの強さに憧れ、同じ事を考えたに違いないとふと彼女は感じた。

 キャサリンとハリーの熱意のある売り込みに申し訳がない顔へとリンはかわってくる。あきらめの表情を浮かべながらリンが、

「とりあえず、わかった。キャシーがどのくらいの技量なのか、ボクなりに判断したうえで考えさせてもらえるか? 今言えるのは、キミのもつ限界の体力水準を垣間かいま見てから考えたいと思う。それからでもいいというなら、訓練するよ」

「本当か?」

 キャサリンとハリーが笑顔で見合わせる。

「うん、でもその前に済ませたいことがあるんだ。それが終わった後になるけどいいかい?」

「ええ、もちろん構わないわ! あたしも義姉と会いたい時間が欲しいし、この身体だと普段の力は充分に出せないと思うから」

 ハリーはリンとキャサリンの肩にそれぞれ手を置き、ふたりを一瞥した。

「よし、決まりだ! 俺もその間に南西の旅に出て、気象シェルターに行ってくるよ。おそらく、三か月、長くて六か月は行って帰ってくるまでにかかると見積もっているんだ!」

「それまでに特訓を完了してくれってことだね。基本は三か月あれば充分。あとは彼女の技量しだいだ」

「つまり、彼女の精神力と忍耐力?」

 リンがおもむろに頷いた。


                      5へつづく

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