第22話


調理班こと茂手木は、香取先輩と慈円先輩を連れて買い出しへ出掛けた。

あまりこの寺周辺に詳しい訳ではないから、商店街までの距離やどれくらい時間をかけて帰ってくるか俺には分からない。ただ三人衆の帰宅まで甲本先輩と二人でいることだけははっきりしていた。


気まずい。


お寺という空間がかなり特殊で、様々な音が全て遠く聴こえるような静寂が際立つ。来る途中は威勢良く耳を貫いていた蝉時雨もせせらぎ程度にしか感じない。

旺華寺の見取り図(仮)によると最も広い空間は、当然ながら境内を含めたお堂だ。「まずはそこに取り掛かろう。」とのことで、促されるまま雑巾を手に先輩についてきた。俺の前を勝手知ったる風に歩く先輩は、右手に箒とハタキ、左手にちりとりを携えている。

長い廊下を先程と反対にお堂へ歩く。床板が鳴った。

玄関に近付くにつれ蒸した空気が混じり、そこを通り抜けてお堂側へ向かうとまた少しずつ冷気が強くなった。

突き当たりを右に曲がると、お堂の障子が開け放たれていた。仏像が並んでいるのが覗ける。冷気はここから流れ込んでいたらしい。靴下越しに床の冷たさも感じる。慈円先輩は水分補給について繰り返し説いていたから、きっとエアコンの電源を入れておいてくれたのだろう。

お寺で最も長居するのは事務所でも待合室でもない。この本堂が心臓部のはずである。ゆえに冷房は格段なのだろう。

縁を境に畳敷きになっている室内を踏む。一際高い天井を見上げていたら甲本先輩がスッと振り返った。


「手前からハタいていくから、後からホコリを集めていってくれ。」


ぶつぞー気を付けろよ、と軽く笑って障子にハタキを当て始めた。

俺はより外から光を取り入れようと締め切られた障子を開けにかかった。最初に全員で手を合わせた境内と室内を区切っており、ここが開くと仏像に正面から自然光が当たって空間全体も明るくなる造りだ。

天井にも照明は取り付けられているようだが、今日の天気なら十分に明るくなる明かりを取り入れられるだろうと思われた。

障子は手入れが行き届き、手で軽く押せば引っ掛かることなく静かにスライドした。板張りの廊下を挟んだ向こう側はガラス戸になっていて外の様子がうかがえた。


「あれ、降ってきそうだな。」


背中に声をかけられ振り返ると、ハタキを持ったまま先輩がこちらに向かってきた。

確かに左手に見える墓地の奥に薄黒い雲が広がっている。先輩は俺の横を通り抜けガラス戸の鍵に手をかけて開けた。

途端に遠かった蝉の鳴き声が数倍に増幅して廊下を満たした。雨の匂いはまだしない。


「そういえば天気予報で、にわか雨って言ってましたね。」


「あいつら帰ってくるまで天気もつかなぁ。」


「茂手木が折り畳み傘持ってるんですけど、大人3人はさすがに入れないでしょうね。」


濡れずに済む面積の方が明らかに小さいだろうと思う。


「用意がいいな。だから鞄がでかかったのか。いつも何入ってんのかと思うよ。

ま、子供じゃないんだし、ビニ傘くらい買うだろ。」


どうだろう。子供顔負けな先輩が一名いるが。


「ほら再開するぞ。」


この調子では照明をつけないでいるとすぐに室内は暗くなってしまいそうだ。

促されて頭を引っ込めると、先輩は窓を閉め出入り口へと歩いていった。同じことを考えていたらしく、照明のスイッチを操作した。高い天井の蛍光灯が人工的な白い光りを放った。



そこから約一時間かけて箒がけに畳の乾拭きにと動き回った。しゃがみ通しだったためか終わる頃には膝が重くなり、お堂の広さを実感した。

先輩が埃を落とし、俺がそれを集めつつ畳を掃いていく。必然的に先輩のそばをついて回っていた。世間話も弾んじゃいないが、黙々と手を動かしたおかげで静かさは過剰に気にならず、気まずく感じることも無く済んだ。

その後は二手に分かれ、俺たちの荷物のある応接間を含み、予定していた小さい部屋を掃除して回った。廊下の雑巾がけは距離が長いぶん骨が折れそうだと考えつつ、水を汲み直すため部屋を出た。

曲がり角から先輩が姿を現した。


「そろそろ休憩しよう。室内は大体終わっただろう?」


確かにこの事務所が最後だった。慈円先輩にクギを刺されていたため水は飲んでいたが、ただでさえ普段から燃費の悪い俺からすればよく耐えたと思うほど小腹が空いていた。



小腹どころではなかった。

テーブルのバスケットに集合させられたMOTEGIネームの菓子に手を伸ばすと、ひとつめが胃を刺激し、一個が二個に、二個が三個にと空いた包み紙が増えてしまう。


「よく食うな。」


甲本先輩が俺の手元をぼんやり見つめつつ言った。


「この新作のトマト風味も美味いですよ。しっかりトマトの香りはしますけど、くどくないからいくらでも食えそうです。」


「そういうことを言ったんじゃ無いけどな。」


緑のヘタを模したバジルが添えてあるトマト型の上部に囓りつこうとする様を、テーブル越しにじっと見られた。


「安藤、学園祭の準備どうするよ。」


開いた口を閉め、あー、とかいやーとか言って目を逸らした。


「今のところはまだいいって、この間言ってくれたじゃないですか。」


「この合宿でじっくり考えたらいいと思ってたんだよ。それに、やりたいことが見つからないのか、どれにしようか迷ってんのかも分からなかったから。」


再び言葉にならない言い訳が口から出そうになったのに被せて先輩は言った。


「慣れてるなら作曲とかでもいいんだぞ。」


「えっ?」

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