第20話

いくつか部屋の前を通りすぎると、建物の造りと反して近代的なキッチンがあった。

慈円先輩に託された麦茶を盆に乗せて運び出す。先輩が煮出して準備してくれていたらしい。こんなに手間暇かかって丁寧な麦茶を初めて見た。茂手木の抱える盆には人数分のグラスが乗っていて、慎重な顔つきで言った。


「お寺の掃除って、あれかな、雑巾がけ。」


「それ放課後によくやるやつだろ。スピード感あるタイプの。

香取先輩が楽しそうに構えてるのが容易に想像できるな。」


「クラウチングスタートでね。廊下の端っこから。」


「危ねぇな。勢いで額とか落ちないか。」


「慈円先輩のお家、なんでもかんでも貴重そうだからなぁ。雑巾じゃなくて、箒がけとかお願いしようか。」


茂手木が手元から目を離さないため、俺も茶色い液体が波打つボトルが滴るのを目で追っていて、背後に人が立ったことに気付かなかった。


「さすがに彼もそこまで暴れないと思うけどね。」


「うわ、びっくりした・・・。」


茂手木が盆を握る手に力を込め、目を見開いた。

音もなく慈円先輩が追い付いていた。なんでこのサークルはみんな忍び寄るんだ。


「あの、このお宅の所蔵はなんでも高そうって話していたところなので、グラスを危険な目に遭わさせないでください。」


振り向くと先輩の腕の中にはバスケットが収まっており、MOTEGIと印字された個包装の焼き菓子が山盛りになっていた。手土産に渡したものだ。つい目が行ってしまう。

バスケットがゆっくり視界を左に動く。あ、チョコのマドレーヌもある。

バスケットが今度はゆっくり右に動く。MOTEGIのトマトマークがプリントされたものもあり、赤みを帯びている。まさかトマト味か?新作じゃないか。

そのまま上昇したバスケットを追って視線も上がった。先輩の頭の上まで掲げられたあたりで目が合い、ハッとした。


「俺で遊んでませんか。」


見なくても分かるが、横では茂手木が肩を震わせていたに違いない。


「安藤くん、正直だよね。表情が。」


今度こそ隣で笑い声が弾んだ。やかましい。


「香取くんが言うくらいだからね。

安藤くん、本当にここ、大丈夫?」


「え?」


バスケットを下ろした先輩は、廊下で列の先頭からのぞかせたのと同じ、不安げな顔を浮かべた。


「あ、お墓のことですか。すみません、ご不快でしたよね。」


よく考えたら、自宅を気味悪がられたと思えばいい気分はしない。


「そうじゃない。信じる度合いは人それぞれなんだし、怖いってことは『そこにいる』って思えるってことだからね。それに仕方無いことだろ。俺だってお化け屋敷の幽霊は怖い。」


「そこは怖いんですね。

でも、本当に違うんです。考えてみればここには、」


なんとなく視線を逸らすと窓越しに墓地が見えて、はっきりと意識に上った。

そうだった、ここには先生が眠っている。どうりで入り口の門構えには見覚えがあるはずだ。

一体、来たのはいつが最後だったろう。


「安藤くん?」


「あ、いや。とにかく大丈夫ですよ。

すみません、麦茶がぬるくなりますね。」


踵を返すとボトルの氷が音を立てた。


「そうだ、」


再び声をかけられて振り返ると、慈円先輩はいつもの笑顔に戻っていた。


「そこらへんの掛け軸も額も、実はほとんど祖父の手による物なんだ。だから高価でもなんでもない。気にせず楽しく雑巾がけしてよ。」


一層穏やかに垂れた目元から、祖父君との仲がうかがえた。


「じゃあやっぱり、貴重なものですね。」


同じくらい穏やかな目で茂手木は先輩を見上げていた。それを真っ直ぐ見返した先輩は、そうだね、と照れたように小刻みに頷いていた。

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