第3話
いつもの古びた券売機。
いつもの原色オムライス。提供口。
ただ違う点として謎の青年が視界の真ん中に立ち、こちらへ少なからず注がれる周囲の視線を背負っていた。
すいません、少々目立つ声が出ました。
入学からこっち平穏な日常を送るため、まぁまぁひっそり過ごしてきたというのに。
おのれ。
いつの間にそこにいたんだ、話しかけるつもりがあるなら気配を忍ばないでくれ。
肩から斜めにかけた鞄は何が入っとんだというくらいでかくて、大学生男子にしては華奢な体格とアンバランスに見える。
自分の目線よりやや低いところで、わしゃふわっとした無造作ヘアが自由な方向へ遊んでいる。
ヘアスタイルというより癖毛なんだろう。
気持ちはわかるぞ、朝、大変だよな。
…そうじゃなくて。
急な接触にぼんやり観察してしまったが、たっぷりその時間をかけても彼は一言も発しなかった。
いや、もしかして話しかけようとしてきた、というのがそもそも勘違いなのか?
だとしたら突然に声を上げ、姿形をまじまじ確認してくる男を前に固まっている可能性もある。
早いとこ逃げたくなった。もうオムライスに決めたんだ。あぁ日替わりデザートはチーズケーキか、いただこう。
誰かが開けた出入り口の扉から、並木道を突き抜けてきた風と揺らされた枝葉の擦れる音が侵入し逃避思考から引き戻された。
扉が閉まると同時にまた遠のいていった緑の名残が二人分の癖毛と膠着をやわらかく揺らした。
綻んだ今なら、この空気も破れそうだ。
仕方ない。
こちらから打ってでることにした。
「…あの、」
朝から大して喋ってないせいで声が掠れた。だからこちらの声が聞こえないのか、数秒と間を置かず声が被せられた。
「あのさ…!」
お、喋った。
良かった、用事があるんだな。いや良くは無いか。
なぜなら、
「安藤くん、だよね?クラスどこだったっけ」
「……?」
なぜなら結局、観察の甲斐も無く
彼が誰だかまったく見当がつかなかったからだ。
俺たちをゆるく囲んでいた視線たちはとっくに興味を無くして再び喧騒に散っていた。
いつまでも突っ立っていたら邪魔になると思い、とりあえず食券を買う。
ボタンを押すと、「オムライス…」と後ろから呟きが聞こえたが、気にしない。
あれだけの間をとっておいてただの世間話でした、は無いだろうな。たぶん。どうだろ。
昼をとりながら、なぜ俺に忍び寄りあまつさえ素っ頓狂を演じさせたか聞こうじゃないか。
パラポロピロリンと明るい音を響かせ食券が落ちてきた。どうぞ、と後ろに券売機の正面を譲った。
「…あ、僕はもう食べたから大丈夫。」
…あーそうですか。ぼんやりと、噛み合わなさそうだな、と思う。
とにかく本題にさっさと入りぱっぱと済ませとっとと終わらせよう。
洋食の提供口へ向かうと、彼は黙ってちょこちょことついてきた。
動きや容姿から全体的に小型犬っぽい印象だが、さっきの第一声が割と低めの声だったことが意外だった。
なんつってたんだっけ。そうだ、クラスか。
あ?
…クラス???
思考と共に足が止まりかける。
クラス分けのされた講義なんてあっただろうか。
振り返って聞いてみた。
「クラスって、どの?……すか。」
入学して一ヶ月でやっと気づいた。
例え学年が上でも鞄や制服で見分けられないのが大学の厄介なところだ。
まぁ雰囲気からして同じ一年だろうけど。
声はいまだ少し掠れる。もう昼だぞ、喉よ起きろ。
強めの咳払いをしてみた。
新校舎の眺め良いテラスと違い、ここは席が埋まるほど混むことはない。焦って場所を確保しなくても大体いつも同じような席につける。
予期せぬ連れがいてなんとなくいつも以上にゆったりした足取りになるが、それに反してカウンターの向こう側は昼時にふさわしく慌ただしい作業が繰り返されている。目が合い笑顔を返してくれるおばちゃんも、味噌汁を準備する手は止まらない。
提供口にたどり着いたと同時に、後ろから答えになってない答えが返ってきた。
「僕は、ちばけんが主任だったんだけど、」
「は…?」
「あら、違った?」
俺の疑問符に反応したのはおばちゃんだった。
おばちゃんの腕まくりされた手元では今まさに、湯気たつ味噌汁の添えられたトレーにオムライスが乗せられるところだった。まだ券見せてないんですけど。
「いつものボタン押してたから、てっきり今日もオムライスかと思って。」
さすがだ。
やはり長年の経験と勘から先んじて動けてしまうのか。
いや、違うな。もちろんそれもあるだろうが、それだけ俺がここに通い詰め、かなりの頻度でオムライスをいただいている証拠でもある。
これ知らないところでオムライスくんとか呼ばれてるやつじゃないかな。
などと考えたら咄嗟の言葉が引っ張られてしまった。
「あ、いやすいませんこっちの話です、自分はオムライスです、ありがとうございます!」
しまった。
あぁもうこれでオムライスくん確定だ。
いつも「はい」とか「どうも」とか控えめなお礼とかしか伝えてこなかった事を悔いる。というか自分のコミュニケーションスキルの低さを恨む。
まともに交わす最初の会話がこれか。まともでもないし。
おのれ、某。この短い時間で何度ゆさぶってくるんだ俺の平穏を。
「そう?よかった。じゃあ今日も味わって食べてね。いつもありがとね!」
100点満点の返しで更にダメージを食らい、間違いなく強ばっている笑顔をなんとか返す。
早くその場から離れたくて足早に席を探した。
右窓際、後ろから5列目あたり。
両目1.5の視力で確認できた。うん、やっぱり空いてるな。
いつも通りの光景を進みながら、頭の片隅にさっきの彼の言葉がよぎった。
予想外の返答に動揺したせいで妙に熱くなった顔と裏腹に、首の後ろらへんから、徐々に、冷めていくものをわずかに感じていた。
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