第2話

春。

意図せずとも出会い、別れるあの季節は誰にも平等に訪れる。



「安藤くん、だよね?クラスどこだったっけ」


「……?」

誰でしたっけ。



このように、俺にも忍び寄ってきた。



広大な敷地いっぱいが自然に囲まれた光境大学。

「東京」や「大学」と聞いて浮かぶおしゃれキャンパスではないが、まぁ都心・副都心からの利便性も悪くない。

ここ数年で大掛かりに取り組まれた改装で生まれ変わったキャンパスなんて、真っ白まっさらで綺麗なもんだ。


まったく落ち着かない。


ほんの少し前まで男子校で生活していた自分にとってこの白い箱に内包された自由できらめく風は、竜巻同然だった。

正面から直撃されれば息が吸えない。

吹っ飛ばされる5秒前。

傘でもありゃメリーポピンズ。

この冬から春の間に起きた環境の転換は、俺の心身を足元からぐらつかせた。

心と胃袋が直結する俺の燃費の悪さといったらなく、大学では慣れない毎日に神経を遣い、腹が減り、家では神経を遣われ、腹が減り…


それもこれも、音大への受験に失敗したことが原因だ。

と、家族には思われている。

…いや、決定打になったことは確かだが、原因とは少し違う。

そもそも受験してはいないのだから。



だが空腹前線も半月すぎればやや沈静した。

ガス欠一歩手前の足取りを持ち直せたのは十中八九、セーブポイントのおかげだ。


常緑樹に囲われた道の先、大学敷地内の隅っこ。

建て替えという難を逃れた学食棟『緑堂』は、無機質な他に比べ幾分か落ち着ける空間である。適度な雑音も大衆食堂然とした雰囲気も、少々野暮ったい母校を感じさせる。

単純なネーミングも覚えやすいし。

更には、一見すると定番のメニューでも隠し味が効いていたり甘味の種類が充実していたり。その細かな気配りは弱った身と心に響くものがあった。

ほぼ毎日顔を出す寝癖猫背に声をかけてくれる提供口のおばちゃんたちが、第二・第三のおふくろに見える時さえある。…言いすぎた、撤収。

ちなみにここも、椅子だけは硬い。


神経がすり減り腹を空かせていたが、逆に腹を満たせれば心も平穏を取り戻せる。単純構造の持ち主で良かったとは思う。また白いダンジョンには嫌でも慣れるし、家にはなるべく居なければいい。

どんな新奇の光景でも毎日のように同じ空気を吸っていれば、新たな習慣が生まれ日常と化す。



しかし、ちまちま静かに積み上げた日常に限って崩れるのは一瞬なのは何故なのか。


ゴールデンウィークの過ぎた5月半ばの午後、ようやく慣れた時間割を半分こなし緑堂へ向かった。並べられた食品サンプルを前に日替わりランチとオムライスを見比べる。

ここのオムライスは真っ赤と真っ黄のコントラストで目が覚めるようだ。いつも目を惹くため3回に1回ペースでいただいている。

ガラス越しにじっと眺め、よしやはり、と顔を上げた。その時だった。

正面に写った自分の右後ろ、今まさに肩へ触れんと忍び寄る、人、が。


「うぉわっ…!?」


咄嗟の一言は掠れて最後の方はほとんど出なかった。

朝からほとんど喋ってないせいだ。

それでも、普段の俺からすればまぁまぁな声量が出たと思う。

振り返って二度驚く。

近い近い。

突然の奇声に、右手を伸ばしてきた姿勢で固まる青年がいた。


「びっくり…した……」


こちらの台詞だよ。

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