脅迫状パニック⑭

翌日は、ドラマの撮影から仕事が始まった。

おれは皆に迷惑をかけた事を謝ると、逆に心配をしてくれる。

「災難だったなぁ」

「無事でよかったわ」

中でも大御所二人がヘソを曲げなかったのは有り難かった。

この大御所に嫌われると、ドラマの仕事はうまく行かないとまで言われていた人物だからだ。

拓海さんもホッとした表情でおれを迎えてくれた。

「おれと話した直後にいなくなったから、気が気じゃ無かった……」

確かにあのタイミングで居なくなられたら、気が気じゃ無かっただろうな……。

「すみません、拓海さん」

相変わらず警備員の数は多い。

しかし、この間の様に関係者として紛れ込まれたら、もうわからない。

おれは極力一人にならない様に、敦士や拓海さんたちと行動を共にした。

撮影は順調に進む。

遂に、伸びに伸びていたキスシーンの撮影だ。

おれは緊張で口から心臓が飛び出そうになりながらも、リハを思い出して瑞樹になりきる。

『瑞樹……』

『橘堂さん……おれ……』

『しっ……』

リハの通り、拓海さんの手がおれの頬を撫で、上を向かせる。

そのまま顔が近づき、そっと唇が触れた。

台本では、触れるだけのキスだった筈だ。

しかし、拓海さんは唇を重ねたまま、更に強く唇を押し付ける。

何度も啄む様なキスを重ね、最後はペロリとおれの唇を舐めた。

「……っ」

おれは、その深くはないがねっとりとしたキスに、思わず背筋に電流が走るのを感じる。

ディープキスでも無いのに、こんなに艶のあるキスができるなんて……おれはあらためて拓海さんの色気に参った。

『瑞樹……愛してる』

その強い視線に、おれの瞳が揺れる。

春人の愛がじんわり瑞樹を満たし、おれの中の瑞樹はその瞳を切なげに細めた。

『橘堂さん…おれも…』

「……カット!」

カットがかかると、スタジオ中からため息が漏れる。

どうやら一発オーケーらしい。

おれはホッとして身体の力を抜いた。

ふと見れば、拓海さんの視線がまだこっちを向いている。

「……拓海さん?」

「ああ…いや……」

おれの視線に気がつくと、拓海さんは口元を押さえ、視線を逸らす。

「何かありました?」

え、おれちゃんと撮影前に歯を磨いてきたし、臭うものも食べてないぞ?!

「ちがうよ。その……想像以上に……瑞樹…きみが可愛くて……」

「……!」

拓海さんの言葉に、おれも照れる。

拓海さんも憑依役者タイプなんだろうか。

と言う事は、おれはちゃんと瑞樹を演じられてたってことかな。

「あ、ありがとう…ございます。でも、何かあったらすぐ言ってください!おれ、直します」

「うん」

この日の撮影はこのシーンで終わりだ。

おれは軽く伸びをすると皆に頭を下げる。

「撮影が押してすみません!明日からもよろしくお願いします!」

おれの言葉に、スタッフの方々からねぎらいの言葉をかけられる。

腰は低くしといて損はないからな!

そもそも、役者としては全然新米だし。

「凛さん、お疲れ様でした。おれは次回の打ち合わせがありますから、少し楽屋で休んでてください」

「わかった」

おれは楽屋に戻ると、ふうとため息をつく。

座敷の畳に腰を下ろすと、テーブルの上のルイボスティーを飲んだ。

緊張してたから、どっと疲れた…。

おれは敦士を待つ間、明日の撮影分の台本に目を通そうと三話目の台本を開く。

しばらくそうして台本を読んでいたら、妙な眠気がおれを襲う。

……あれ、おかしいな。

昨日はなんだかんだでそんなに遅くはならなかったはずだ。

なのに、振り払っても振り払っても、眠気が飛ばない。

目の前がフワフワとして、揺れる。

我慢できずにそのままおれは机に突っ伏したまま夢の世界へと旅立った。

「ーーさん!ーーんさん!!凛さん!!」

「……ん……」

「大丈夫ですか?!」

「……あ、おれ…寝てた…」

「はい……。打ち合わせが長くなる旨の電話を入れても出ないし……心配しました」

敦士はホッとしてそう言うと、おれの台本を覗き込む。

「ーー凛さん」

「ん?」

敦士の表情が険しい。

敦士はおれの手元から視線を離さない。

「その手紙ーー何ですか?」

「手紙?」

おれは開きっぱなしの台本に視線を落とす。

そこには、見覚えのある白い封筒が挟まれていた。

「ーー?!」

こんなもの、おれが台本を読み始めたときには、間違いなく無かった。

つまりーーおれが寝ている間に誰かがこの部屋へ侵入し、この手紙を挟んだと言う事だ。

「あ……敦士……」

「大丈夫です、凛さん。おれが開けます」

敦士は慎重にその封筒を開ける。

そこに書かれていたのはーー。

『警告 ハ しタ 。 死 ネ 』

敦士は静かに手紙を閉じると、その唇を噛む。

おれは情けない事に、カタカタと震える指を止めることができなかった。

「凛さん!」

敦士はおれの名前を呼ぶと、震える手を握る。

「なあ……犯人、捕まったんだよな…?」

なのに、なんで……。

「凛さん、落ち着いてください」

敦士はおれの手を強く握りしめると、しっかりとした口調で言う。

「とりあえず、ここを出ましょう。先程、ホテルの手配をしました。そこに行きましょう」

敦士はそう言うと、おれの手荷物をまとめる。

そして、おれのスマホの電源を切った。

「気持ち悪いかもしれませんが……聞いてください。万が一、部屋に侵入されたとき、凛さんのスマホの位置情報のデータを取られていたらまずいので……明日の朝までスマホの電源は入れないでください」

「わ、わかった……」

「では、行きましょう。おれの車も同様に使えませんから、タクシーを呼んであります」

敦士はそう言っておれの肩を抱くと、外へ促す。

タクシーの中でも、おれは頭の中をグルグルと様々な疑問が回っていた。

ホテルに着くと、敦士がフロントにチェックインをしにいく。

おれはソワソワとしながらそれを待っていた。

誰もが怪しく見え、誰もが自分を見ている様な、不信感が募る。

おれは、敦士が早く戻ってきてくれる様に祈った。

「あの…すみません」

「?!」

突然声をかけられ、おれはビクリと身体を跳ねさせた。

心臓がバクバクし、背中に冷たい汗が流れる。

「AshurAのLINさんですよね?あたし、ファンなんです!握手して貰えませんか?」

「あ……ああ……はい、いいですよ……」

おれはぎこちなく笑うと、手を差し出す。

「きゃあ!ありがとうございます!一生の思い出にします!!」

女性は嬉しそうに握手をすると、そのままペコリとお辞儀をして歩き去った。

まるで、耳のすぐ横に心臓があるのではないかというほど、心臓の音がうるさい。

おれは深呼吸をすると、震える手を握りしめた。

「凛さん!すみません……チェックイン手間取って……大丈夫ですか?」

おれは何とか頷くと、敦士はその眉を顰める。

「顔が、真っ青です。早く部屋に行きましょう」

部屋に入ると、私はおれの荷物を置いて、さっと部屋の中のチェックをした。

そうしてカーテンをしっかり閉めると、おれをベッドに座らせる。

「凛さん。ここなら大丈夫です。おれが出たら鍵はもちろんチェーンもしっかりかけて、誰がきてもおれが来るまで開けないでくださいね」

そう言って、敦士は部屋を出て行こうとする。

「あ、敦士…!行っちゃうの?!」

おれは、そう言って思わず敦士のシャツを掴んだ。

「コンビニに行って、飲み物と食事を買ってきます。凛さん、昼から何も口にしてないでしょう?」

「……食べられる気がしない」

「ーーそうかもしれませんが、少しは何か食べてください。食べやすい物、買ってきますから」

そういうと、敦士はおれの背をさすって落ち着かせてから足早に部屋を出ていく。

最後にドアから少し顔を出し、もう一度チェーンをする様に念を押して、敦士はドアを閉めた。

おれは言われた通りチェーンをかけると、ソファに座る。

ベッドに横になると、また寝てしまいそうだったからだ。

敦士が帰ってくるまでの間が長い。

おれはソワソワと視線を動かすと、溜息をついた。

たったの十五分が、まるで一時間にも二時間にも感じる。

おれは、自分の情け無さに自嘲した。

その五分後敦士がドアをノックすると、おれは飛び上がってドアを開けた。

一応、覗き穴から敦士であることを確認して。

「すみません、遅くなりました」

「いや……さんきゅ」

おれはソファーに座ると、天井を仰ぐ。

「凛さん、ヨーグルトとかゼリーくらいなら食べられそうですか?」

「ん……ヨーグルト、貰う」

おれはそう言ってヨーグルトを受け取ると、モソモソと口に運ぶ。

正直、味はよくわからない。

ただ、カロリーの補給の為に食べた。

「凛さん」

「……うん」

「おれは、隣の部屋に居ますから、何かあればすぐ……」

「え!」

「え?」

おれの言葉に、敦士は驚いたように目を見開く。

「……だ」

「え?」

「一人は……嫌だ…」

「凛さん……」

敦士は困ったように頭をかく。

「今日は…空いていた部屋がシングルルームしかなくて……」

わがままを言っているのは、わかっている。

でも、どうしても一人でいたく無かったのだ。

「おれ、ソファーでいいから、ここにいてくれよ」

「何言ってるんですか、いいわけないじゃないですか!」

「………」

「………」

「はぁ……分かりました。おれがソファーで寝ます」

「それは駄目だ……おれのわがままでここにいて貰うんだし……」

「しかし……」

「一緒に寝ればいい」

「……!」

「駄目か……?」

「駄目かって……」

「……ごめん、無理だよな。ーーおれのわがままだった」

おれは無理矢理笑顔を作ると、ヨーグルトの残りをかき込む。

これ以上迷惑をかけちゃ駄目だ。

おれは自分にそう言い聞かせると、深呼吸をする。

最悪、眠らなきゃ良いだけなのだ。

「ごめんな、わがままばっか言って」

「凛さん……」

「敦士だって疲れてるのに、おれは自分のことばっかりで……嫌になるよな」

おれは努めて明るく言うと、頭をかいた。

「……っ」

「敦士に愛想尽かされないようにしないと」

「凛さん!」

敦士はそう言うと、はぁと大きなため息をついた。

「愛想尽かすとか……あるわけないじゃないですか。わかりました、ここに居ます」

「え、でも……」

おれの言葉に、敦士は困ったような顔で見つめる。

「凛さん、一人だったら寝ない気だったでしょう?」

「………」

「ーーやっぱりそうですか。だったら、おれが居て少しでも眠れるなら……ここに居ます」

敦士にはなんでもお見通しなのか……。

おれは申し訳なさと情け無さで俯く。

「……ごめん」

「謝らないでください。……さ、凛さん。食べたらシャワー浴びて来てください」

おれはそう促され、バスルームに押し込まれる。

熱いシャワーを頭から浴びると、少しだけ気分が上昇した。

しっかり身体を温めて出ると、敦士がテーブルでノートパソコンに向かって仕事をしている。

いつもキチッと締めているネクタイを緩め、真剣に画面に向かう姿に、なぜかおれはドキッとした。

ーードキ?

何でだ、おれは今何でドキッとした?

おれは頭を振ると、敦士に声をかける。

「シャワー、お先。敦士も入れよ」

おれの言葉に敦士が振り返り、分かりましたと返事をする。

「これだけ片付けたら入ります」

そう言って再び画面を見つめる横顔が、なんだか違う人のようで、おれは思わず視線を逸らした。

シャツ越しに見える背中も、おれの知っているゲーム『君は最押し!』の敦士とは全然違う、筋肉質な男の身体だ。

ゲームでは、こんなに肩幅も筋肉もなかった。 もっとこう、細くて守ってやりたくなるような頼りなげな身体だったはずだ。

おれは髪をタオルで拭きながらベッドに腰掛ける。

「風邪をひかないように、ちゃんと乾かしてくださいね」

キーボードを叩きながら、ちゃんとおれの行動を把握している。

流石敏腕マネージャー。

おれは言われた通りしっかり髪を乾かすと、ベッドに横になり、敦士の横顔を再び見つめる。

しばらくすると、敦士はノートパソコンの画面を閉じ、軽く伸びをした。

「……終わった?」

「……っ!?凛さん、ずっと見てたんですか?」

「うん。だってやる事ないもん」

「そうでしたね、スマホも使えないですもんね、すみません……」

「敦士が謝る事じゃないだろ。……シャワー浴びたら?」

おれの言葉に、敦士は困ったように笑うと「じゃあシャワー行きます」と言ってバスルームに入った。

しばらくすると、シャワーを浴びる音が聞こえてくる。

おれは手持ち無沙汰になって、何気なくテレビをつけた。

タイミングよく、清十郎の出ていたスポーツバラエティがやっていた為、それを眺める。

ーー知ってはいたけど、清十郎運動神経良すぎだろ!

同じ番組に出ている一流アスリートたちに勝るとも劣らないパフォーマンスを見せている。

おれは思わず口を開けて見惚れていた。

「ーー清十郎さんの出ていた番組ですね」

いつのまにかシャワーから出ていた敦士が髪を拭きながらそう言う。

いつものスーツ姿とは違うラフな格好の敦士に、おれはなんだかどきどきした。

そして、やっぱりTシャツ越しの敦士は良い身体をしている。

「……な、何ですか凛さん?」

「いや……敦士って着痩せする?こうやって薄着で見るといい身体してるなーって。なんかスポーツやってる?」

「……実は、空手と柔道合わせて五段です」

な、なにー?!

「今もオフの日は道場に通っていますし、ジムも通っています」

そりゃいい身体に決まってるよね?!

あー、だからあの時綺麗な背負い投げ決めてたんだね?!

おれは改めてマジマジと敦士の身体を見ると、敦士は照れたような顔をする。

「あ、あんまり見ないでください。凛さんみたいにスタイル良くないんで……」

いやいや、何言ってるの?

充分すごい身体ですよ。

おれはテレビを消すと、ベッドの横を少し開ける。

敦士は少しだけ逡巡すると、控えめにおれの隣に座った。

「もう仕事はいいの?」

「はい、今日の分は終わりました」

「じゃあ、そろそろ寝るか」

「はい」

おれはベッドに潜り込むと、敦士も少し離れたところに入った。

「……おまえ、布団からはみ出てるだろ」

「………」

「風邪ひく。もうちょいこっちこいって」

おれの言葉に敦士は僅かに身体を寄せると、ベッドサイドに手を伸ばす。

「電気、消しますよ」

「うん」

そうやって、おれたちは真っ暗な部屋の中お互い天井を見つめていた。

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