脅迫状パニック⑮

「……凛さん、眠れませんか?」

おれが寝返りを打つと、敦士にそう声をかけられる。

「んー…頭が冴えちゃって。ごめんな、気にせず寝ていいぞ」

「いえ、おれも同じです」

敦士はそう言うと、同じように寝返りを打っておれの方を見る。

「明日からの事ですが……」

敦士そう言うと、少し迷った後に切り出した。

「ドラマ、どうしますか?」

敦士の言葉に、おれは正直答えを迷う。

もはや、ここまで来るとおれ一人の問題ではない。

他の人への迷惑も考えなくてはならない……。

「ーー事務所は、何て言ってる?」

「そうですね……正直ここまで凛さんの身に危険が及んで居ますから……辞めてもいいと言っています」

「監督は?」

「……撮りたい気持ちはあるそうです。ですが、事情が事情なので、凛さんの気持ちに任せると」

「……」

「……」

「……正直、怖い」

「そう、ですよね」

「それに、他のスタッフや出演者の身を危険に晒すのは嫌だ」

「……はい」

「おれを、殺したいほど嫌いな理由って何なんだろうな」

「凛さん……」

「明日、監督と話してみるよ」

「はい……」

敦士はそう言うと、少しためらった後おれの頬を撫でた。

「凛さん」

「うん」

「……凛さん」

「うん」

「……何があっても、どんな時も……おれは凛さんの味方です」

「……うん」

敦士はぎこちなくおれの頬を撫でると、再び寝返りを打って天井を向いた。

おれも、同じように上を向く。

僅かに触れている肩が温かい。

おれは、思わずもっと触れそうになる心を抑え、目を閉じた。

「敦士……おやすみ」

「おやすみなさい、凛さん……」


ーー夢の中のおれは、どこかに繋がれていた。

手足を動かそうとしても、ピクリとも動かない。

おれは必死で声を出そうとする。

けれど、どれだけ叫んでもおれの口からはヒューヒューと息が出るだけで、音にならない。

目の前に、男が現れる。

顔の作りは靄がかかっていてよくわからないが、なぜかニヤニヤしている表情だけがわかった。

男は、おれの服をナイフで切ると、おれにのしかかる。

そのまま、ナイフをおれの心臓に突きつけてーー。

「凛さん!!」

「……っ!!」

おれは、暗闇で敦士に揺り起こされると、荒い息をはいた。

「……っはぁっ…はぁっ…」

「凛さん!大丈夫ですか……」

おれは暗闇の中上半身を起こすと、びっしょりかいた汗を手で拭う。

「凛さん……」

敦士はそう言うと、ガタガタと震えるおれの身体をそっと抱きしめた。

「ーー凛さん……ドラマ、辞めましょう……」

苦しげに、敦士がそう言う。

「もう……これ以上……苦しむ凛さんを、見ていられません……」

敦士はそう言うと、おれの身体を強く抱く。

「……っ……おれ……悔し……」

おれは、脅迫犯に、負けた。

そう言うことになるのだろうか。

けれど、もう限界だった。

おれは敦士に縋り付くと、静かに嗚咽する。

敦士は、そんなおれの背をずっと撫で続けた。



翌日、おれは監督と話す為に敦士と現場を訪れる。

監督は、おれの酷い顔を見ると、それだけで何を言おうとしたか理解したようだった。

「事情が事情だ。当たり前だが、人の命の方が大切だからね。脅迫犯の思う通りになるのは癪だが……今回はLIN君の身の安全が第一だよ」

「本当に……すみません」

おれは監督に頭を下げると、拳を握る。

「また、ぼくは君と仕事がしたい。だから……これに懲りずにまた役者に挑戦してくれないか」

監督はそう言っておれの肩を叩くと、部屋を出ていく。

俯くおれに、敦士が声をかける。

「ーーお疲れ様でした、凛さん」

「敦士……そうか、終わった、のか」

おれは顔を上げると、無理矢理笑顔を作る。

「おれは、アーティストだからな。……やっぱり、歌が合ってる」

「凛さん……」

「今日は夕方『ミュージックエクスポ』の収録だよな?」

「凛さん、大丈夫ですか?」

「……仕事一個潰したんだ。本業くらい頑張らないとな」

おれはそう言うと、気合を入れて頬を叩いた。

「……っし!」

さすがに、まだこの時間はみんな集まってないよな。

「もう、次の楽屋空いてる?」

「空いてると思います。行って休んでますか?」

そうだな。

正直、今日はメイク前に入念に下地してもらわないと、疲れと泣いたのでひどい顔だからな……。

「そうする。メイクさん来たら入って貰って」

「分かりました」

敦士はそう言うと、おれを楽屋へ案内し、事務所に電話をしに行った。

おれはポツンと鏡の前に座ると、メイク台に突っ伏す。

五分くらいすると、楽屋をノックする音が聞こえた。

「LINさーん!メイクに来ましたよ!」

おれは顔を上げると、楽屋の鍵を開ける。

そこには、いつものメイク担当の深見くんがメイク道具にホットアイマスク、冷やしたタオルなど荷物をたくさん持って立っていた。

「あー今日やりにくいかも、おれ。ごめんな」

「うわちゃあ!これは酷いですね……一体どうしたんです?」

深見くんは驚いた顔をしておれの顔を見ると、メイク台に座らせる。

「失恋でもしました?」

わざと明るくそう言う彼に、おれは苦笑いをして答えた。

「ま、そんなようなもんだよ」

「へえ!LINさんでもそんなことあるんですね!……さて、まずはホットアイマスクで目の隈を取りましょう……」

そう言って、彼は袋から出したアイマスクをおれに被せる。

しばらくすると目の周りがじんわり温まってきて、少しだけリラックスしてきた。

「うわ、肩もガッチガチじゃないですか!」

そう言って、首や肩周りを念入りにマッサージをしてくれる。

「ほら、この辺り、リンパの流れが悪すぎてパンパンですよー」

そう言って、おれの首周りをゴシゴシと擦った。

「いてて……」

「我慢してください、そのうち気持ち良くなりますから……」

そう言うと、首の周りに何かが巻かれる。

「……?新しいマッサージ?」

「はい…そうです。少しだけ動かないでくださいね……」

そう言うと、彼はその何かをグイと引っ張った。

「……っ!ちょっと……痛…っ」

「すぐ、痛くなくなりますよ」

ヒヤリとした冷たい声で、彼はそう言う。

首に巻かれた何かによって、次第におれの首は絞められ息ができなくなってきた。

「……っなに、を……」

「警告、したでしょ。次は殺すって」

「……っゲホ……カハッ」

おれは、何か紐状の首に巻かれたものを引き剥がそうと指を引っ掛けるが、既に深く首に食い込んでしまって解けない。

何度も指をかけては掻きむしる。

くる、しい……。

いやだ……。

だれ、か……!!

「もうすぐですよ。安心してください。ちゃんと自殺に見せかけてあげますから」

こいつ、だったのか……。

おれは次第に遠くなっていく意識の中で、楽屋のドアがバンッと蹴破られる音を聞いた。

「おい!!凛さんを離せ!!」

「てめえ何してんだ!!」

「……っ!何で気がついた?!」

ふと首を絞める力が緩んだ瞬間、おれの体は誰かに抱き止められる。

刹那、ガシャンと派手に何かが倒される音が響いた。

「大丈夫か、凛!」

「……っ!ゼェ……ハッ…ゼェ…」

首に巻きついたものとアイマスクを外されると、そこには深見が清十郎と一哉に羽交い締めにされる姿が見える。

優と翔太に支えられて起こされると、おれは咽せながら深見を見下ろす。

「……ちっ……あと少しで殺せたのに……あぁ、残念だなぁ……」

深見は押さえつけられながらも狂気を含んだ冷笑を浮かべ、おれを見上げている。

「……っなっ…んで……ゲホ」

「邪魔だったからだよ、アンタが」

「てめえ、なに言ってる!」

一哉の怒鳴り声にも何の感情もないように、薄笑いを浮かべたまま、深見は言葉を続ける。

「あんたさえ消せば……あの人はおれを見てくれるって言ったんだ……なのに!」

深見の薄笑いは消え、ただその顔に狂気だけが色濃く残っていた。

「なんでアンタは死なないんだ!アンタさえ死ねば、おれは……!」

「もうやめないか!!」

不意に、AshurAのメンバーでもない、敦士でも深見でもない人物の声が響く。

「……っ拓海…さん…っ」

そこには、荒い息をして立つ拓海さんの姿があった。

「大丈夫か……凛くん」

拓海さんは辛そうな目でおれをみると、視線を伏せた。

そして、意を決したように瞳を上げる。

「深見……彼はーー神谷は全て話したぞ」

拓海さんはそう言うと、後ろを振り返った。

そこには、名和プロの後輩である神谷聖陽が視線を落として震えながら立っている。

「か……神谷さん……!!」

「深見…もういい。やめてくれ……」

「神谷さん!おれは神谷さんのために……神谷さんのためだったらなんでも……」

「誰も、殺せなんて言ってない!!」

神谷涼介はそう言うと、涙目でその場でくずおれた。

「ぼくは……彼をちょっと脅して……役を降りるようにしてくれって言っただけだ……」

「………」

「……どういうこと?説明してくれるよね?」

優の、真剣に怒った無表情に押され、神谷は怯えたように話しだした。

「最初は、ただの脅迫状を送った……それで役を降りてくれればいいと思ったから……」

最初の剃刀入りの手紙は神谷だったわけだ。

でも、おれは役を降りなかった。

それどころか、皆に心配され、演技を絶賛されている。

神谷は焦った。

そこで、神谷は自分に好意があるメイクアップアーティストの深見をけしかけたのだと言う。

深見は、もしおれが役を降りたら神谷に自分と付き合うように言った。

神谷はそれを承諾し、深見のおれへの脅迫が始まった。

それと同時に、あの変態男のストーカーが始まっていた。

写真集やCDを切り刻んで赤ペンキを塗ったのは深見。

写真集やブロマイドに……言うのもおぞましい気持ち悪い行為をしていたのはストーカー男だった。

「決して、僕はLINが死ねばいいなんて思ってない……」

神谷はそう言うと地面に手をつく。

「そもそも、なんで凛を役から下ろそうと思ったの?この役がやりたかったの?」

翔太の言葉に、神谷は震える。

「……から…」

「は?」

「久我さんが!LINの事を好きになるのが許せなかったからだよ……!」

そう言うと、神谷はボロボロと涙を流す。

「……っ」

その言葉に、拓海さんは辛そうに目を細めた。

「ぼくは……ずっと久我さんが好きだった!何度も好きだって言ったのに、相手にしてくれなかった……!なのに……ぽっと出のアーティストなんかに……取られたくなんて無かったんだよ……!」

神谷の告白に、おれは目を見開いた。

そういう、事だったのかーー。

「神谷……。おまえは一つ間違ってる」

久我さんはそう言うと、その唇を噛んだ。

「おれは……お前の事を軽んじていたから相手にしなかったんじゃない。……その時にはすでに凛くんを好きだったから、お前の想いに応えられなかったんだ……」

「なん……ですって?……」

神谷はその言葉に、呆けたように拓海さんを見上げる。

「お前を相手にしてないと感じさせたならすまない……でも、事実だ」

そう言うと、拓海さんは昔語りを始めた。

「おれと凛くんが初めて会ったのは、三年前のゴールドディスク大賞の授賞式のパーティーだ。おれは、その時の総合司会をしていた」

そう言ってその時を思い出すかのように、拓海さんは瞳を閉じた。

「その日、挨拶に来てくれた凛くんに……一目惚れ…だったんだ。その笑顔、その声、その瞳に。その瞬間、おれの人生は全て凛くん……君に囚われた」

おれの方を見ると、切なげに少しだけに笑う。

だから、と拓海さんは言う。

「おれは決してお前を蔑ろにしてたわけじゃない……ただ、その時にはすでにおれの心に…凛くんが住んでいたんだ」

「そ……そんな……嘘だ……」

「……嘘じゃない」

「そんな…そんな…じゃあ…ぼくのしたことって……」

神谷はそう言うと、嗚咽を漏らす。

拓海さんはそんな神谷の方を抱くと、諭すように語りかける。

「だから神谷……自首しよう。これ以上罪を重ねないように……」

「う……うわあ……うわあああああ!!!」

神谷は大粒の涙を流すと、床に突っ伏して泣いた。

誰もなにも言わない。

しばらくの後、警察がやってきて深見と神谷を連れていく。

神谷はおれの顔を見ると、何か口を開きかけて、しかし結局そのまま閉じて連行されていった。

おれは、それをただ見送るだけしかできなかった。

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