脅迫状パニック⑬
「……さん!凛さん!」
「……ん…」
おれは敦士に激しく揺り起こされると、重い頭を振って起きる。
「大丈夫ですか?体調でも悪いですか?」
「ん…いや…大丈夫…なんか頭は痛いけど……」
おれはゆっくりと起き上がると、重い頭を振った。
「何度チャイム鳴らしても出て来なかったので、合鍵を使わせてもらいました」
ああ、だから敦士が部屋の中に居たのか。
なんか、頭が靄がかかったみたいにボーッとする。
「今何時?」
「もう午後九時ですよ」
「えっ?!」
そんなに眠りこけてたのか……。
退院して、部屋に帰ってきたのが十三時だから……え、八時間も眠ってた事になる。
おかしいな、そんなに疲れてたかな。
「ところで凛さん、手に何を持ってるんですか?」
「え?手…?」
おれは自分の手を見ると、なぜか白い封筒を持っていた。
こんなの、持って寝たっけ?
おれは何気なく封筒を開くと、中身を出した。
中身は便箋が一枚。
おれはその封筒を開くと、激しい眩暈に襲われた。
『LIN どラま の 出エンを ヤめロ 。 次ハ 本トう二 殺ス』
見覚えのある、切り抜き文字の脅迫状。
おれは、自分の手がカタカタと震えているのが分かる。
なんでだ?
犯人は捕まったんだろう?
しかもーーこれじゃあまるで、おれがここで寝ている間におれの部屋に入って、この手紙を持たせたみたいじゃないか。
と、いうかーー。
もしかしたら、おれが帰ってきた時、誰かがここにいた可能性だってある。
「凛さん!」
ぐるぐると空回り始めた思考を、敦士が止めた。
「……とりあえず、ここは危ないように思います。一旦外に出ましょう」
敦士はそう言うと、手早くおれの泊まり用具をかき集める。
そのまま、おれの手を引き外へと連れ出す。
「どこへ行く気だ?」
「とりあえず、車まで」
そう言うと、敦士は無言で歩く。
車に着くと、敦士はふうと息をついておれを振り返る。
「すみません……言いにくいんですけど、あの部屋は盗聴されている恐れがあったので……」
盗聴……。
おれは唇を噛み締めると、頷く。
もうこの際どんな可能性だって潰しておかなくてはいけない。
「今日は一先ず一哉さんのところに泊まってください。一哉さんの方は準備万端で待ってますから」
「ーーわかった」
「後、凛さん……こんな事言いたくないんですが……念のためにGPSを肌身離さず持っていてくださいね」
「……うん」
そう言うと、敦士は車を発進させた。
車を運転しながら、敦士はハンズフリーで一哉に電話をかけている。
しかし、動き出した車の方向は一哉の家とは逆方向だ。
「……どこ行くんだ?」
「事務所です。一哉さんが迎えにきてくださる手筈になっていますので」
「え?直接行かないのか」
「……この車にGPSが付けられていると、厄介ですから……」
言いづらそうに敦士がそう言うと、おれはごくりと唾を飲む。
……そこまで考えなきゃいけないのか。
いや、相手はおれの部屋に侵入するほどヤバい奴だ。
しかも、おれのコーヒーか、ポットか…いずれにしても何か薬を混入した疑いも否めない。
警戒するに越したことはない。
おれは窓にうつる自分の顔を見つめた。
ーー酷い顔だ。
おれは苦笑いをする。
イケメンが台無しだな。
車は首都高を直走り、MARS MUSICの事務所へ着いた。
そこには一哉が待っている。
「一哉さん、お待たせしました」
「……悪いな、一哉」
「なんだなんだ、しけたツラしやがって。おれの部屋に来るのはそんなにつまらないか?」
一哉はわざと明るくそう言うと、おれの頭をくしゃくしゃと撫ぜた。
「おら、もっと嬉しそうな顔しやがれ」
一哉なりの気の使い方に、おれは少しだけ笑う。
「どうせ、オシャレな部屋なんだろ?」
「当たり前だ。誰の部屋だと思ってる」
そう言うと、おれを車の助手席に促す。
「一哉さん、お願いします」
敦士の言葉に、一哉は真剣な表情にもどし頷いた。
「ああ、任せろ」
一哉はそう言って運転席に乗り込むと、エンジンをかけた。
車は静かに駐車場から滑り出す。
「なあ、凛。少しドライブしないか?」
一哉の提案に、おれは頷く。
確かに少し気分転換がしたい。
一哉はハンドルを握ると、首都高を走らせる。
そうしてしばらく車を走らせ、首都高を降りると、静かな海の見える公園に車を停めた。
真冬ではないが、エアコンを止めると夜の今は少しだけ肌寒い。
一哉は無言で自分のジャケットをおれにかけると、おれの頭をぽんぽんと叩く。
「無理しねえで、泣きたい時は泣いちまえ」
そう言って、一哉はおれの頭を自分の胸に抱き寄せた。
「……っ」
おれは張り詰めていた緊張が一気に解け、目からポロポロと涙を溢れさせる。
脅迫状、酷い贈り物、事故に見せかけた障害未遂、誘拐、部屋への侵入……それらの事は、とっくにおれの心のキャパを超えていた。
おれは低く嗚咽すると、一哉に縋り付いて静かに泣く。
涙が後から後から止めどなく溢れ出て、胸が苦しい。
一哉は何も言わずにおれを抱きしめ、背中を撫でくれていた。
「おれはっ……殺したいほど…っ…憎まれてるんだな……っ」
人の悪意がこんなに怖いなんて知らなかった。
当たり前のように、好意だけ受け取って生きてきた……おれはあまちゃんだ。
「………その、百倍…いや、一千倍好かれてるだろうが」
おれの背を撫でながら、一哉がそう言う。
「おれだって……そうだ」
そう言った一哉の声が僅かに震えている。
「このおれが、好きでいるんだぞ」
一哉はそう言うと、おれの頬を撫でる。
「……一哉…」
おれが濡れた瞳で一哉を見上げると、視線が一哉の真剣な青い瞳とぶつかった。
一哉はその唇を開きかけて、閉じて…また開く。
「凛ーー好きだ。……いいか、ライクじゃねえぞ」
一哉の真剣な視線が、嘘でも冗談ではないことを表している。
「凛、愛してる」
そう言うと、一哉の唇がおれの唇を覆った。
ゆっくりと押し付けるようなそれは次第に激しくなり、おれは車のシートに押し倒される形で強く唇を奪われる。
唇を揺さぶって開いたところから舌が入り込み、おれの舌を絡め取った。
「…っ…んっ」
そのあまりの激しさに、おれは息もできず一哉の肩に掴まってただキスを受ける。
ゾクゾクと背中に走る電流を感じながら、おれは唇を貪られた。
一哉は唇を離すと、再びおれを抱き寄せる。
本当は、わかっていた。
優も、清十郎も、翔太も、敦士も、一哉も……そういう意味でおれを好きだっていうことは。
でも、おれはそれに気が付かないふりをしていた。
気が付きたくなかったからだ。
気がついてしまったらーーその中の誰かを選んでしまったら……AshurAとしての関係性が壊れてしまうんじゃないかと思っていた。
おれは、今のAshurAが好きだ。
誰が欠けても駄目なんだ。
仮に、おれが誰かの手を取ったらーー他のメンバーはどう思うのだろう。
今のままではいられなくなるのだろうか。
そんなのは、嫌だ。
おれは、そんな自己中心的な考えから、皆の好意に気がつかないふりをした。
おれは、最低だ。
好意だけ受け取って、何も返そうとしない、選ぼうとしない……。
「……ごめ…一哉……ごめ……おれ……っ」
おれの言葉に、一哉はその瞳を切なそうに細めた。
「ーー悪い。おれは、最低だな。おまえを困らせることをわかってて、自分の気持ちを押し付けた……」
違う、最低なのはおれの方だ。
「なあ、凛。でもな、ひとつだけ聞いてくれ」
一哉はそう言うと、おれの背をあやすように撫でる。
「おれは……おれたちは、おまえが誰を選ぼうと、誰も選ばなかろうと、おまえへの気持ちを変えたりはしない」
そう言うと、優しく笑う。
「だから凛、あまり自分を追い詰めるな。おれたちは、おまえが一番幸せになれる道を探してるんだ」
「一哉……」
「ま、もちろん自分が選ばれるための努力はどんどん続けていくけどな?もちろんそれは、他の奴らも同じだ。ーーだから、覚悟しておけよ、凛」
なんで……なんで皆こんなおれを好きでいてくれるんだ。
おれは再び涙を溢れさせると、ポロポロと零す。
「ありがっ…と…ごめっ…ありっ…とっ…っ」
「ふっ…まったく、おまえは本当に泣き虫凛だな」
一哉はそう言うと、乱暴にハンカチでおれの顔を拭いた。
皆の好意が胸に沁みていく。
嫌われている事の、何万倍も愛されていると感じられた。
だからおれはひとつ、心に決める。
皆の気持ちには、誠実にいよう。
一哉の言う通り、誰を選んでも、誰も選ばなくても……無かったことにはしないでいよう。
皆の気持ちに、おれも向かい合っていこう。
「ふっきれたみたいだな」
一哉はおれの鼻を摘むと、ニヤリと笑う。
「ひゃめろ!おれのひゃなはおばえみたいにたかくなひんだ!」
「だから高くなるように摘んでやってるんだろうが」
くっそー!
おれは負けじと一哉の頬を摘むと、びよんと伸ばしてやった。
おおー伸びる!
流石、お肌のコンディションバッチリだな。
「へめー、やひやがったな」
おれたちは互いの行動に顔を見合わせると、大声で笑った。
こんな大声で笑ったの、久しぶりだ。
「……ありがと、一哉」
「ふっ、下心があるからな」
そう言うと、一哉は車のエンジンをかける。
「さ、帰って風呂入って、その不細工な顔を明日までになんとかするぞ」
「うっ……」
おれはサイドミラーに写った自分の顔を見て愕然とする。
最近、流石に泣きすぎた。
目がパンパンだ。
「一哉様、明日までになんとかなりますか?」
「仕方ねえな、なんとかしてやるよ……その代わり痛くても我慢しろよ?」
その日帰ってからしてもらった一哉のフェイスリンパマッサージは、確かに効いたが、死ぬ程痛かった……。
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