脅迫状パニック⑫

長い眠りから目が覚めると、そこは見慣れない真っ白な天井だった。

おれは視線を彷徨わせると、まだ動き辛い首を回して周りを見渡す。

ーーここは?

「あっ!凛!気がついた?!」

おれの動きに気が付いた翔太がおれに駆け寄ってきた。

「ーーここ、は」

「ここは病院だよ。凛は急性アルコール中毒になって、入院になった」

おれは言われて、なるほどと合点した。

よく見ればおれの腕にも点滴がつながれている。

「よかった、意識を取り戻して……」

「凛、とりあえず無理しないで今は休むんだ」

「……あいつは……」

おれは、思い出すだけで吐きそうになりながらも、そう聞く。

「大丈夫です。捕まりました。警察に引き渡してあります。あの男の部屋のパソコンから、うちに送られたものと思われる脅迫状のデータが出てきましたし、先日スタジオに荷物を持って現れた時の防犯カメラの人物像とも一致しました。あの男はこのスタジオに出入りしているロケ弁の業者だったようで、スタジオに出入りする顔もきいたようです」

敦士はそう言うと、おれのベッドに近づき、深々と頭を下げた。

「凛さん……すみません……おれが守るとか言いながら……結局凛さんを危険に晒してしまった……」

その顔は後悔と自分への怒りに溢れている。

おれは首を振ると、点滴の繋がれていない方の手で敦士の手を握った。

「……敦士の所為じゃない」

敦士はそれでもその唇を噛みしめて、自分自身を許せずにいる様だった。

おれは言葉を続ける。

「それに、ちゃんと助けに来てくれたじゃないか。……あの背負い投げ、格好良かったぞ」

「凛さん……」

敦士はその目に涙を溜めて、おれを見つめる。

「だから、そんな顔すんな。な?」

おれは敦士の手の甲をポンポンと叩くと、強張った顔を精一杯動員して笑顔を見せる。

「けど……なんであの場所がわかったんだ?」

おれは素朴な疑問を口にすると、敦士は涙を拭ってポケットから機械を取り出す。

「コレです。万が一のことを考えて、撮影中も凛さんに持っていてもらったGPSですよ」

そういえば、渡されてたな。

撮影に夢中で忘れてたけど、ポケットに入れてた。

……連れ去られる時落とさなくて良かった……。

「玄関のドアは、あのクソストーカー野郎が興奮して鍵を閉め忘れててくれたから良かったよな」

一哉の言葉に、おれはあのシーンを思い出して大きく深呼吸をした。

「き……気持ち悪かった」

おれの台詞に、そばにいた優がおれの頭を優しく撫ぜる。

「そりゃ、そうでしょ……。でも、凛が無事で本当に良かった」

「うん……でも、おれ……恥ずかしながら、しばらく一人で眠れる気がしない」

一人で夜目覚めて、あのシーンを思い出したら……パニックにならない自信がない。

おれの言葉に、メンバーは顔を見合わせる。

「そんなことなら、今までみたいにみんなの家に来ればいいよ」

「賛成!」

「大歓迎だ」

「っていうか、まだおれの家に来てねえだろ」

「皆……」

皆の優しさに涙が出る。

おれはその言葉に甘えて世話になることにした。

「今日のところは入院ですし、おれが付き添います。皆さんは一度ご自宅に戻ってください」

あれ、そういえば今日って…。

「はい、あの日から一日が経っています」

え、おれ丸一日以上寝てたってこと?

ていうか、皆仕事……。

「大丈夫、多少押したって敏腕マネがスケジュール組んでくれるさ」

「皆、敦士……ごめん」

「はいはい、もうお互い皆『ごめん』は無しにしよう、ね」

優の言葉に、おれは頷いた。

「……だな。この借りは高速レコーディングで返す!」

「その意気だ!それでこそ凛!」

「凛さん以外の方は、明日から通常通りお仕事ですよ!お休みは凛さんの意識が戻るまでのお約束ですからね」

既にいつも通りになった敦士に、皆は苦笑いをする。

「翔太さんはウェブラジオ、一哉さんはグラビア、優さんは雑誌のインタビュー、清十郎さんはスポーツバラエティーの収録です」

「「「「はーい」」」」

「おれは?」

「凛さんはまずは体調を戻してください。体調が戻ったらドラマの収録が待ってますよ!」

そんなこんなで、その日は皆解散となった。




「凛さん、眠れませんか?」

暗闇で目を開いていたおれに、横から敦士が声をかける。

「あー……流石に一日中寝てたからな」

おれはそう言うと、椅子に座ってベッドサイドにいる敦士に視線をやる。

「敦士こそ、疲れたろ。付き添い用のベッド準備してもらってるんだし、寝ろよ」

「おれは、大丈夫です」

「強情だなあ」

「凛さんには負けますよ」

おれはゆっくりと上体を起こすと、敦士と視線を合わせる。

「おまえ、まだ色々考えてるだろ」

「……」

「黙ってても分かるんだからな?おまえ、すぐ責任を全部抱え込もうとするから」

「凛さん……」

大方「責任を取って辞めます」とか考えてるんだろ、この頭でっかち直情型は。

そんな事されたっておれは全然嬉しくないんだぞ。

「おれは、おまえがAshurAに愛想つかすまでは、AshurAのマネージャーしてくれないと嫌だからな?」

「……っ」

おれはそう言うと、ベッドの上に置かれた敦士の手を握る。

「なあ、どうしたらおれたちのマネージャー続けてくれる気になる?」

「………」

「ん?言ってみ」

おれはそう言うと敦士の瞳を覗き込む。

その瞳がおれの視線を捉えて揺れた。

「……て、ください」

「ん?」

「キス、してください」

「………」

「……なんて、冗談ーー」

そう言う敦士の唇に、おれは自分の唇を重ねた。

ちゅ、と触れるだけのキス。

おれは唇を離すと、真剣な目をした敦士と目が合う。

敦士は切なげに瞳を細めると、次の瞬間噛み付く様におれの唇に口付けた。

何度も角度を変え、激しく唇を重ねる。

舌で唇をこじ開け、その舌を侵入させおれの舌を絡め取った。

「……っ…ふ」

おれは吐息を漏らすと、敦士のシャツを掴む。

舌を吸い上げられ、甘噛みされ、何度も絡み合わされる。

しばらくの後、その唇を離されるとおれは閉じていた瞳を開けた。

「……狡いです、凛さん……」

敦士はそう言っておれの肩口に顔を埋めると、ボソリと呟く。

「うん、ごめんな」

「……好きです、凛さん……」

敦士の小さな囁きが、闇に溶けて消えた。

おれは敦士の背中をポンポンと叩くと、「おれもだよ」と答える。

多分、敦士が欲しい答えは、少し違うと思う。

けど、これが今のおれに出来る精一杯の答えだった。

「凛さん……」

敦士はそう言って無理矢理笑顔を作ると、おれから離れる。

「おれは、AshurAの……LINのマネージャーです。これからも…この先もずっと」

「うん……サンキュー。頼りにしてる」

ごめんな。

おれは、おまえの気持ちに気がついて見ないふりをした。

狡いよな。

でも、それでもおまえに離れてほしくなかったんだ……。

「さあ、寝ましょう。明日は退院です!」

「ああ……そうしよう」

おれはそう言うと、ベッドに横になり目を瞑る。

敦士も簡易ベッドへ移動すると、布団の中に入る。

「何かあれば、起こしてください」

「わかった。おやすみ」

「おやすみなさい」

おれは、恋をしたことがない。

西園寺凛として生きている今も、徳重雅紀として生きていた時も。

推しとして、凛は好きだった。

でも、敦士にこんな切ない顔をさせる様な、そんな焦がれる感情をおれは知らない。

おれは、今まで知った様な顔で恋の歌をたくさん書いてきた。

それは『共感を呼ぶ』としてヒットし続けたが、そんなものはすべて机上の空論だ。

なんで、こんなおれを好きなんだ。

こんな、まやかしで出来たこのおれを……。

このおれにも、いつか……焦がれる様な恋をする日が来るのだろうか。

おれは寝返りを打つと、薄ぼんやりとカーテン越しに見える窓の外の灯りを見る。

ごめんな。

こんなおれでごめん。

おれは、そんなことを考えながら眠りについた。



おれはカーテンの隙間から入ってきた光に目を覚まさせられると、軽く目を瞬いた。

身体のだるさはすっかり取れている。

おれはゆっくりと起き上がると、簡易ベッドに視線をやった

敦士は既に起きているのか、ベッドは空になって整えられている。

すると、病室のドアが開き、敦士が入ってきた。

顔を洗ってきたらしい。

ネクタイが緩められ、タオルを首にかけている。

「凛さん、おはようございます。もう起きて大丈夫ですか?」

「はよ。うん、もうだいぶ良いよ」

「退院して大丈夫そうですか?」

「うん。いつまでも寝てられないしな。仕事も山積みになってくし」

おれはそういうと、軽く伸びをする。

トラウマがあるとはいえ、もう犯人は捕まったのだ。

怯えることもない。

おれも顔を洗おうと起き上がると、自分の手首を見てそのアザにドキリとする。

「凛さん!」

「ああ……大丈夫だ」

拘束具を付けられた時のアザ。

このアザが消えるまでどのくらいかかるだろうか。

おれは軽く頭を振ると、冷たい水で顔を洗う。

鏡に映るおれの顔は、知っている様な、知らない様な、不思議な顔。

おれでいて、おれでない。

そんな感覚。

おれは顔を拭くと、髪を整える。

おれは、誰なんだろう。

西園寺凛?徳重雅紀?それともLIN?

きっと、どれもがおれなんだ。

どれが欠けてもおれにはならない。

「なあ、このアザ……メイクで消えるかな?」

「濃いめのドーランを塗ってもらいましょう。駄目なら、リストバンドでも嵌めますか?」

「そうするか」

その後、診察も終わり先生の許可も出たため退院となった。

おれは、荷物をまとめると……って言っても、殆どが敦士が用意してくれたものだけど……タクシーに乗り込む。

敦士はおれを家に送り届けると、玄関で心配そうな顔をした。

「一人で大丈夫ですか?」

「昼間なら多分大丈夫。夜はちょっと辛いかもだけど、皆が居てくれるみたいだし」

「わかりました。また、仕事の合間に様子を見にきますから…何か欲しいものがあれば連絡ください」

「サンキュ」

おれは敦士を見送り、マンションの鍵をかける。

一人の部屋は妙に広くて、おれはソファに膝を抱えて座り込んだ。

腕のアザを見るたび、気持ち悪さが込み上げてくる。

人を性的対象として見た、あのおぞましい目。

おれは頭を振った。

昨日の敦士も恋愛対象としておれを見ていたはずだ。

なのに、気持ち悪さはかけらも感じなかった。

だから、このおぞましさは、ただ男にそういう対象として見られたからと言うわけではないらしい。

他のメンバーとキスした時も、恥ずかしさはあっても気持ち悪いとか嫌とか、そういえ感情はなかった。

だから、やはりこの気持ち悪さは『』という性質を無視してただ『』されていた、歪んだ見方が気持ち悪かったのだ。

おれはため息をつくと、キッチンに立ってコーヒーを淹れる。

久しぶりに帰った我が家は、なんとなく物悲しい。

おれは改めてメンバーや敦士のありがたみを感じる。

おれはコーヒーを持ってリビングに戻ると、テレビのリモコンを探す。

ーーあれ?

確か、出て行く前はここにおいたはず……。

おれはキョロキョロとテーブルの上を見ると、すぐ横にそれは置かれていた。

なんだ、あるじゃん。

おれはリモコンでテレビをつける。

その時、またも軽い違和感を感じた。

おれはいつも、朝は同じニュース番組を見ている。

あの日は朝出て行ったきりだから、朝のツジテレビニュース番組のチャンネルのままのはずだ。

なのに、付けたテレビはテレビ関東を映している。

まさか、な。

おれは、嫌な予感を打ち消すように、部屋の中ををぐるっと眺める。

ーーうん、変なところは無い。

ちゃんと、玄関の鍵もかけてあったし、窓の鍵も掛かっていた。

ざわつく心を押さえるように、おれはテレビを消して音楽をかける。

部屋におれ以外の人の気配はないーー筈だ。

たまたま、チャンネルを替えたまま忘れてしまっただけだ。

うん、そうに違いない。

おれは痛み始めた頭を押さえて、ソファーに横になる。

そのまま、おれはトロトロと眠りに落ちていった。

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