脅迫状パニック⑪
翌日の昼、おれは翔太の車に揺られてツジテレビへ向かっていた。
翔太の車はポルシェのカイエンSだった。
翔太っぽくてカッコ可愛い。
しかも、運転も上手い。
なんでこう、AshurAのメンバーは全員スペックが高いんだ!
「ねえ、凛。本当に大丈夫ー?」
「大丈夫だって」
あの後おれたちは馬鹿みたいに笑えるお笑いDVDを見たり、下らないYouTubeを見たりして深夜までグダグダして過ごした。
翔太が色々気を遣ってくれたおかげで、なんだかんだと昼近くまでゆっくり眠れたし、気持ちも落ち着いている。
台本の台詞も頭から飛んではいない。
……たった一つの不安材料はラストのキスシーン。
おれのキスの経験って言ったら、優、清十郎、翔太……あ、駄目だ、悲しくなってきた。
考えない様にしよう。
翔太の車は無事ツジテレビに入ると、玄関で敦士が待っていてくれていた。
「楽屋はちゃんとチェック済みです。不審物や盗聴器などはありません。今は一哉さん達が先に入って、誰も来ない様に見張ってますよ」
うう、ありがとう皆。
おれは楽屋に入ると、皆に挨拶する。
「はよ」
「おはよ」
「おはよう」
「おう」
おれはとりあえず席に着くと、ふうと息を吐く。
「顔色、悪く無くてよかった」
優の声に、おれは笑う。
「昨日は散々翔太がふざけてくれたからなー?」
「えー?楽しかったっしょ?」
「ああ、楽しかったさ」
「何して遊んだんだ?」
「んーとね、一緒にお風呂入った!」
清十郎の問いに、にゃは!という笑い声が聞こえそうな笑顔で翔太が言うと、何故か敦士を含め全員の表情が固まる。
「……は?今なんて?」
「おい、てめーなんか変なことしてないだろうな」
翔太は優と一哉に同時にそう聞かれると、ペロっと舌を出す。
「内緒ー」
「凛!」
ええ、おれに飛び火するの?!
おれはもうヤケクソで答える。
「あーもう、めっちゃキスされましたー。これでおれはメンバーの大半とキスしてまーす」
「翔太、てめー!」
一哉がその端正な顔に青筋を立てる。
翔太は相変わらずヘラヘラと笑っていた。
敦士は苦笑いをすると、メイクを促す。
「メイクさん来てますよ、呼んでいいですか?」
「あー、よろしく」
まあ、おれの場合そこまでのメイクはしないから、主にヘアメイクになるんだけどな。
おれは鏡の前に座ると、メイクを待った。
いつもはAshurAのLINのイメージで衣装に合わせてヘアメイクもバッチリ決めるんだけど、今日は瑞樹だから、ヘアメイクはナチュラル気味だ。
「おー、なんかいつもの凛と違う」
「今日はLINじゃ無くて瑞樹だからな」
そう言うと、おれは西園寺凛から葉山瑞樹にモードをチェンジする。
「準備オーケーですか?良ければそろそろ向かいましょう」
「了解」
「いってらー!」
「不審者が来ないか、ここは見張っておくから頑張ってこい」
「おう、行ってくるぜ!」
そう言って、おれはロケ現場に向かった。
現場は言われた通り、厳重警戒が敷かれていた。
通常よりも倍ほどの警備員が立っている。
「LINくん、昨日の件聞いたよ。大丈夫かい?」
現場に着くと、拓海さんが気遣って声をかけてくれる。
「あ、拓海さん!おはようございます。……はい、おれはなんとか大丈夫なんですけど……。でも、皆さんに迷惑をかけないかが心配で……」
おれは思ったままのことを口にする。
拓海さんは少し困った様に笑うと、おれの頭をセットが崩れない程度に撫でた。
「きみは……本当に優しいね。大丈夫だよ。今日はこんなに警備も強化してもらってるし」
「はい、よろしくお願いします!」
おれは頭を下げると、他の出演者に挨拶をしに行く。
「………」
一通り挨拶が終わると、いよいよ撮影に入る。
『出会った頃は、こんな風に君のことを想うなんて思わなかった♪
いつのまにか、ぼくの心の一番深い部分に君が入り込んでいたよ♪』
『駄目だ!感情はぶつけるんじゃない、感情は曲に乗せるんだ!もう一度!』
『はい!
君の笑顔が、君の笑い声が、ぼくを幸せにする♪
君の瞳が、君の吐息が、ぼくを人間にする♪
たった一人の、ぼくの大切な君♪』
『そうだ、いいぞ!』
だんだん荒削りな歌からブラッシュアップするイメージで……。
おれは歌を歌いながら、瑞樹と自分が徐々にリンクしてゆく感覚を味わっていた。
『……よし。いいぞ瑞樹。合格だ』
橘堂プロデューサーにそう言われ、おれは心から喜びが溢れてきた。
この喜びは、瑞樹の喜びだ。
この人に認められたい、そんな思いが報われた瞬間。
おれは、自然のその顔に笑顔が溢れるのを感じる。
『あ…ありがとうございます!』
「……っ」
春人役の拓海さんが視線を逸らす。
少し目を伏せると、なんとも言えない優しい顔をして瑞樹の頬を撫でた。
『よく、やったな』
ゆるゆると撫でると、名残惜しそうにその手を離す。
お互いがお互いに惹かれていく、大切なシーンだ。
「はい、カーット!!もうね!二人とも最高だよ!」
監督が興奮気味に話す。
「特に最後の場面!瑞樹の健気な笑顔と、それに惹かれて行く春人の表情…最高の絵だった!」
よ、よかった!
大切なシーン、なんとかポカらずに済んだ!
「じゃあ、一旦休憩入れようか!」
そう言った監督の声に、場の空気が和らぐ。
おれもホッとしたから喉が渇いた。
「……LINくん。すごいよ、きみ」
「拓海さん!」
気がつくと、拓海さんがおれのそばに来ていた。
「いや、そんな!拓海さんの演技が素晴らしいので……引っ張っていただいてます!」
「恋を、してるの?」
「へ?」
「いや……なかなかね、素の演技であれほど恋する顔をできる役者はいないから……もしかしたら、恋をしてるのかなって」
そ、そこまで褒めてもらえるなんて……!
おれは感激した。
「いえ……お恥ずかしながら……恋人なんて存在がいたことがないんです……」
「……!そうなの?」
「や、やっぱり変……ですよね?」
おれは恥ずかしそうに頭をかくと、苦笑いをする。
「いや……変じゃないよ。むしろ好都合だ」
好都合?どういうこと?
おれは頭にハテナをたくさん飛ばすと、首を傾げる。
拓海さんは少し笑うと、おれの耳に唇を近づけて囁いた。
「……きみの恋人に、立候補しようかな。きみに、恋してしまいそうだから。LINくん……いや、西園寺凛くん」
………?!
おれは、パッと拓海さんの顔を見上げると、拓海さんは少し笑ってシイと唇に指を立てた。
おれは耳まで赤くすると、思わず俯く。
いや、冗談だよな?
冗談に決まってるよな?
拓海さんはそんなおれの肩を叩いて颯爽と去っていく。
去り際に耳元で再び「考えておいて」と言い残しながら……。
じ、冗談……じゃないのか?
おれはバクバクする心臓を抑えながら、頭を振ると何か飲み物を探しに歩き出す。
やっぱりセット内には無いな。
楽屋まで行かないと無いか…。
おれはセットの隙間を通り抜けて楽屋へと行こうとする。
と、トンと誰かにぶつかってしまった。
「あ、すみません……」
「……いえ」
そう言うと、その相手はおれに道を譲る。
おれはその横を通り抜けようとするが、その瞬間強く手を引かれた。
「?!」
おれは一瞬パニックになると、相手を見上げようとする。
その瞬間、口の中にタオルが詰め込まれ、口を塞がれる。
おれは抵抗しようと男を見ると、目の前にキラリと光る刃物が突きつけられる。
「……騒いだら殺す」
おれは情けないことに恐怖とパニックで声を上げることもできず、そのままその男に担ぎ上げられた。
男はおれを抱えたまま足早に裏口からスタジオを出ると、おれをワゴン車の後部座席に押し込める。
おれは、恐怖からなすがままになっているこの状況が悔しくて、車のシートで抵抗を試みようと顔を上げる。
その瞬間目の前に出されたのは一本の注射器。
ーー毒?!
「大丈夫、毒じゃ無いよ。ちょっとだけ気持ち良くなるだけだよ」
ーー麻薬?!
おれはイヤイヤをする様に暴れると、男はおれの腕を取った。
「大丈夫大丈夫。ただのその辺に売ってるお酒だから」
男はそう言うと、手慣れた様子でおれの腕にその注射器を刺す。
プツリと針を刺す痛みが伝わり、おれは身体中を動かす。
「はは。あんまり暴れると、早く効いてきちゃうよ」
男の言う通り、3分もしないうちにおれの身体に変化が現れる。
頭がガンガンと痛み、急激な吐き気がして目の前がぐらぐらと揺れ始めた。
「……っう」
男はおれを後部座席に放り込んだまま、車を運転しはじめる。
意識が朦朧として、何が何だかわからない。
五分ほど走らせて、男は車を止めた。
再びワゴン車の後部座席のドアを開けると、急性アルコール中毒一歩手前でグッタリとするおれをもう一度担ぎ上げる。
おれはそのまま男の部屋らしき場所へ連れてこられると、ベッドに寝かされる。
「ふふ……やっと二人きりになれたね……」
男はおれの猿ぐつわをはずすと、荒い息を繰り返すおれの頬を撫で上げる。
「大丈夫、死にはしないよ。自分の身体でアルコールの量は実験したからね」
男はそう言うと、ハァハァと気持ち悪い息を繰り返す。
なにが大丈夫だ!
おまえとおれとでは体格が違いすぎるだろ!
しかも、アルコール耐性は人によっても全然違う。
まあ、もっとも、アルコールを直接静脈注射された時点で耐性も何もないんだが……。
「今はちょっと気持ち悪いかもしれないけど、大丈夫。すぐに別の意味で気持ちよくしてあげるからね」
何を言っているのか分からない。
おれは身体を動かそうとするが、手足はまったく言うことを聞かない。
かすかに指先が動いたくらいだ。
男はどこで手に入れたのか、革製の拘束具を出してくると、キツくおれの両腕にはめ、ベッドの鉄格子に繋いだ。
「ごめんね、LIN。でも、LINがぼくのこと好きになってくれたら外してあげるからね。そうしたらずっと二人でここに居ようね」
おれはなんとか逃げることができないか、朦朧とする意識の中で周りを見渡す。
男の部屋にはおれの写真集やブロマイド、雑誌の切り抜きなどが所狭しと飾ってあった。
狂気に満ちていると感じたのは、それらの多くに自慰を施したと見られる跡が残っている事だ。
おれは、目に涙が浮かんでくるのを感じる。
なんで、なんで……。
男は笑いながら荒い息を吐き、おもむろにズボンのベルトに手をかける。
ーーまさか。
自分のベルトを外しジッパーを寛げると、既に立ち上がったそれが目の前にそそり立つ。
おれは激しい吐き気に襲われ、目線を逸らした。
男はそのままおれの服に手をかけると、シャツを捲り上げる。
ゾッとした冷気と、寒気がおれの体を襲った。
「はぁ…はぁ…なんて、綺麗な身体なんだ……」
男はおれの身体を弄ると、ニヤニヤしながら下半身に手を伸ばした。
「ーーんーっ!」
おれは精一杯の抵抗を試みるが、身体は動かない。
おれは絶望のどん底に落とされたーーー瞬間。
バン!と玄関ドアが蹴破られる勢いで開けられるた。
おれと男がそちらに視線をやったのと同時に、入ってきた何者かによって男の身体が宙を舞う。
「ーー?!」
「うわああああ!」
鬼気迫る表情で男の身体を投げ飛ばしたのは、なんと敦士だった。
男の身体は、変則的な背負い投げで綺麗に一本が決められる。
男はうぐっとうめくと、後から飛び込んできた清十郎にしっかりと取り押さえられた。
「凛!」
「大丈夫?!」
おれは駆け寄ってきた優と翔太の顔を見て気が緩んだのか、目から涙が流れる。
しかし、声が出ない。
二人はおれの拘束具を外すと、おれの顔を覗き込む。
「何された?!」
「……アルコールを静脈注射されたな……」
一哉は床に転がった注射器とアルコールの瓶を発見し、舌打ちをする。
「え?!それヤバくない?!」
「ヤバいから焦ってるんだろ…」
おれはわずかに頷くと、電話をかける敦士を見る。
どうやら救急車を呼んだらしい。
おれは、それを眺めると遂に限界が来て、そのまま意識を手放した。
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