脅迫状パニック⑩

「えー、西園寺凛さん?AshurA…アシュラって読むの?そのアシュラのメインヴォーカル……つまり歌手ってことね?」

「はい」

楽屋の一つを使って、警察による事情聴取が行われている。

おれは白髪混じりの初老の刑事の前に座ると名前と職業を確認される。

増田と名乗った初老の刑事は、断りもなく煙草を吹かすと、灰皿に押し付けた。

「ええと……あなたが今回、落ちた照明の下にいた人?」

「はい」

おれはそう言うと、燻ってきた煙を手で払う。

「あー……なんか脅迫状貰ってた人もあなただね」

「……はい」

増田警部補は頭をガシガシとかくと、じっとりとした目でおれを見る。

「なんか恨みとか買ってないの?女とか」

「……女性関係の恨みは無いと思います」

「本当に?あなたほら、今風にいうとイケメン?だし、女とか取っ替え引っ替えとかしてないのー?」

なんだこの刑事!

名誉毀損で訴えられても仕方がない様なこと言いやがって……。

おれはムカムカする心を落ち着けると、一つ息を吐いて再度否定する。

「おれは、女性にそんな失礼なことはしません」

「ああそう。ふーん」

増田警部補はそう言うともう一本タバコに火をつけ、フーッと煙を吐く。

「じゃあなんでこんな風に狙われるの?理由なく狙われるとかある?」

「おれが知りたいです。というか、それを調べるのがあなた方の仕事なんじゃないですか?」

「だから、調べてるじゃないの、今」

煙草を持った指で眉毛をかくと、増田警部補はため息をつく。

「でもねえ、なーんの恨みもないのにここまでされるかねえ?」

「それはそうかも知れませんが、心当たりはないって言ってるんです」

おれは、極力イライラを抑えながらも、相当低い声が出てしまった。

増田警部補はなるほどねえ、とブツブツ言いながらおれのプロフィールを見ている。

「わかりました、いいでしょう。でもね、あなた、今回運が良かったから生きてるけど、次は命無いかもしれないよ?なんか思い出したらちゃんと言ってね」

そう言うと、警部補はおれを部屋の外に追いやる。

な……なんっっっだあの刑事!!

おれは盛大にムカつきながらも、自分たちの楽屋に戻る。

「凛さん!」

「凛!」

「大丈夫?顔、真っ青だよ」

おれは敦士とメンバーの顔を見て気が緩むと、悔しさからまた目に涙が滲んでくる。

「あのクソ刑事!!」

おれの態度を見て、先に事情聴取を受けていた他のメンバーが「やっぱりな」と言う顔をする。

「やっぱり、凛もデリカシーのない事言われたか」

清十郎が苦々しい顔でそう言う。

「おれが女取っ替え引っ替えして恨みを買ったとか、つぎはこ、殺される…とか……!勝手に決めつけて……」

「……!」

優の目が険しく細まる。

「は?なにそれ。デリカシーない以前に、人として失礼極まりないね」

敦士はおれの顔を見ると、強い口調で言う。

「それは流石に失礼すぎます。事務所からも抗議をしてもらいます!」

そう言って、敦士が楽屋を出て行く。

おれは畳の上に座ると、思わずため息が出る。

「次は殺される、か……」

「そんなことはおれたちがさせない!」

一哉の強い口調に、おれは思わず顔をあげる。

「一哉……」

「……だから落ち着け。あんなクソ親父の言うことなんか気にするな」

「ーーわかった」

おれはそう言うと、ペットボトルのお茶を飲む。

ふと指を見ると、この事件の最初についた傷が目に入る。

実際にはこの何日か前から脅迫状が届いていたらしいけど、この剃刀から照明まで、どんどんとことが大きくなってきている。

おれは指の傷を眺めると、不意に恐ろしさが込み上げてくる。

もし、これで次に怪我をしたのが自分じゃなくてメンバーだったら?

おれの代わりに怪我をしたり……最悪ーー。

そこまで考えて、ブルっと身体が震える。

「あー。まぁたマイナスなこと考えてる!」

翔太はそう言うと、おれの横に腰を下ろして肩を抱いた。

「おれたちは大丈夫だーって!もちろん凛も!すぐに犯人は捕まるよ」

翔太の言葉に、そこにいる全員が頷く。

「皆さんお待たせしました。もう、帰っていただいて良いそうです」

敦士がそう言って楽屋に入ってくると、おれの方を向く。

「凛さんは今日は翔太さんの家ですか?」

「うん」

「では翔太さん、凛さんをよろしくお願いします」

「まっかせとけー」

翔太は努めて明るく言うと、おれの手を引いて立ち上がらせる。

「ねー凛!まずはおれの車を見て、褒めて!」

「ふっ、なんだよ、それ」

思わず笑ったおれに、嬉しそうに目を細める。

「そーそー。凛は笑ってた方が可愛い」

か、かわいいって……優にも言われたけど、格好いいじゃ無くて?

そんなおれの姿を見て、少し安心したらしい敦士が明日のスケジュールを伝える。

「皆さん。明日ですが、念の為録音は延期としました。なので、午前中の仕事はありません。凛さん以外の方は午後もオフとなります。凛さんは明日の午後はドラマの撮影の予定ですが……どうします?」

敦士が心配そうな瞳でおれを見つめる。

「……いくよ。まだ役は下ろされてないんだろ?」

「勿論です。撮影も厳戒態勢でおこなってくれるそうです」

「あ。じゃあさ、皆で警護がてら凛の撮影を見に行くってのはどう?」

「いや、邪魔にしかならねえよ」

優の言葉に、一哉が即座に却下をする。

「なんだよー!一哉は心配じゃないの?」

口を膨らませた翔太を一哉が一喝する。

「心配に決まってるだろ。でも、それとこれとは話が別だ。大勢でぞろぞろロケ現場に行ってみろ、凛の株が下がるだけだぞ」

「では、凛の楽屋にスタンバイしてるっていうのはどうだ?」

ふと思いついた様に、清十郎がそう言う。

「……なるほど、それなら邪魔にはならないな」

清十郎の案に、一哉も頷いた。

……皆の優しさが嬉しい。

おれはじんわり胸が暖かくなるのを感じると、でも、と声を出す。

「折角のオフだぞ。ゆっくりしたらいいのに」

「オフより凛のが大事」

「そうそう」

うう、どれだけ良い奴らなんだよ……。

おれはツンと鼻の奥が痛くなるのを感じると、ずびっと鼻を啜った。

「さんきゅ、皆」

「じゃあおれは、明日何時にどこまで凛を送れば良い?」

「明日はツジテレビの第六スタジオです。翔太さん、よろしくお願いします」




翔太の家に着くと、まずはゆっくりバスタブにつけられホカホカにされた。

おれはシャワーで良いって言ったんだけど、翔太が『疲れた時はお風呂にゆっくり浸かるの!』といって入れてくれたのだ。

ご丁寧にバスボムまでいれて、良い香りのお風呂に浸かると、確かに気持ちも解れてくる。

おれはチャプリと浴槽の水面を指で突くと、指についた水を弾いた。

あ、駄目だ。

一人でいるとどうしても悪いことを考えてしまう。

おれがソワソワと浴槽から出ようとした瞬間、カラリと浴室の扉が開く。

「凛ー?ちゃんとあったまってる?」

「え、翔太?!」

見れば、翔太が裸で浴室に入ってくる。

「あー、やっぱり!もう出ようとしてるー!どうせ、一人でいるとなんとかかんとかって考えてたんでしょー!」

うっ、鋭い…鋭すぎる。

「おれも一緒に入るから、もっとあったまってくださーい」

え、いくら翔太のマンションが広くても、この浴槽に二人はキツくない?

ていうか、何気に翔太いい身体してやがるな?!

服を着てると細身なのに、程よく筋肉がついて……絶対アレ、おれより力ある……身長はほとんど変わらないのに!悔しい。

翔太はおれの目まぐるしく変わる思考を物ともせず、さっと身体を洗うと浴槽に滑り込んでくる。

濡れたピンクアッシュの髪が額に張り付いて妙に色っぽい……っておれ何言ってんの?

おれは妙に照れてしまい、視線を翔太から外す。

「あれー!凛照れてるの?」

そりゃいい歳した男同士で寂しいからって一緒に風呂とか気まずいでしょうよ?!

おれが視線を上げられずにいると、翔太は何かを考えついた様に悪戯っぽく笑う。

「目線が合うのが照れるなら、こうすればいいじゃん」

そう言いながら、翔太はおれの身体をくるりと反転させると、後ろから抱きかかえるような体勢にした。

ま、まてまてまて!

これはこれで恥ずかしいぞ!

翔太の息が耳にかかって、なんかゾクゾクする。

いつのまにか、するりと翔太の腕がおれの腰に回されてホールドされていた。

「しょ、翔太……」

「んーなに、凛」

耳元で翔太の声がする。

おれは、バクバクと音をさせる心臓の音をうるさく感じ、ふるふると頭を振る。

すると、不意に翔太の唇がおれの首筋に触れた。

「……っ!」

「……凛」

「……っ…あ」

やばい、変な声が出た!

翔太の唇は首筋を伝い、耳朶を甘噛みする。

チュッと音をさせて耳朶から唇を離すと、おれの肩口に顔を埋めた。

「凛……好き……」

いやいや、おれも翔太の事は好きだよ!

でもなんかこれ……おれはドキドキする心臓を抑えながら、翔太の頭をポンポンと叩く。

「うん……お、おれも翔太の事好きだぞ?」

「本当?」

「当たり前だろ」

翔太はそう言うと顔を上げ、その目に悪戯っぽい光を灯す。

「じゃあ、チューしよ!」

「は?!」

なんでそうなる?!

絶対ふざけてるだろおまえ!!

おれの混乱をよそに、翔太は後ろからおれの顎を掴むと、その唇をおれの唇に重ねた。

「……っ」

最初は優しく、次第に激しく重ねられる唇に、おれは息が出来ずに口を開く。

その隙を逃さず、翔太の舌がおれの口内へ侵入した。

舌で上顎をそっとなぞられ、おれは思わず震える。

そのままねっとりとおれの舌を絡め取ると、水音が聞こえるほどに激しく絡ませる。

蕩けそうなくらいの甘いキスに、おれの脳内はクラクラと揺さぶられる。

だーかーら!

なんでおまえらは揃いも揃ってキスが上手いんだよ!!

おれは思わず力が抜けそうになって翔太につかまる。

翔太はそれを支えると、なぜかおれの腰に手を這わせた。

いやいやいやいや!

いくらなんでもふざけすぎ!

っていうか、これ以上こんなことしたら色んな意味でのぼせる!

おれは無理矢理翔太の身体を引き離すと、浴槽から立ち上がる。

「もう!翔太ふざけすぎ!」

おれはザブザブと浴槽を出ると、脱衣所へ逃げ込んで座り込む。

「……やっべー。本気で襲うところだった……」

浴室の翔太の呟きは、おれには聞こえなかった。



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