3 『くちびるに歌を持て』

 腕時計は午後5時をまわり、辺りはだんだん暗くなってきた。

「半田さん、私たちがいないのにもう気づいたかしら」

奈緖子の問いかけで皆ははっとした。

「そうだわ、半田さんがわたしたちがいないのに気づいて、きっと誰かに知らせてくれるわよ」

知絵は喜びの声を上げたが、哲弥は自信なさげに言う。

「でも、それまで俺たちつかなぁ」

つかなぁじゃなくて、たせるのよ」

「じゃ、誰か捜しに来るまでここでただ待ってるのかい」

秀夫が尋ねた。

「待つのよ。下手に動いてますます迷っちゃったら大変だもの」

知絵はこう答えたものの、自分でもじれったさを感じていた。


 それから1時間くらい経った。月はまだ昇らず、森は闇の中に沈んでいる。時折鳥の鳴き声がするだけだ。秀夫が持ってきた懐中電灯が、かすかに敷物を照らしている。

 とうとう知絵のじれったさは頂点に達した。そしてその矛先は最初に男子をけしかけた哲弥に向けられた。

「元はと言えば小椋くんが男子に『樹海に入ろう』なんて言ったのがいけないのよ」

「なら、すぐに止めれば良かったじゃないか」

「わたしは、まさか本当に入るなんて思わなかったのよ」

「それじゃ一人くらい残して追っかけるとかさ」

則之が言う。

「勝手に付いてきたのよ」

 そう言うと知絵はゆかりと奈緖子をにらみつけたので、二人は震え上がった。

「無責任な班長だよ、全く」

哲弥のつぶやきを聞いた知絵はすぐさまやり返す。

「無責任な副班長ね、全く。それなら『モグラ』くんがトンネルを掘ってわたしたちを森の外まで案内してよ」

今度は知絵のイヤミに哲弥が言い返した。

「何か言ったか、ネクラ女」

「あら、おしまいのほうが良く聞こえなかったので、もう一度言ってもらえませんか、モグラくん」

 今にも飛びかかりそうな様子でにらみ合う二人を見て、あわてて男子たちは哲弥を、女子たちは知絵を押さえた。

「やめてください! 体力と知力を消耗するだけです」

奈緖子の言葉に我に返った二人は座り込んだ。


 それからしばらくは無言の時間が流れた。懐中電灯の光が徐々に弱くなっている。

「みんな、『くちびるに歌を持て』って話、覚えてる?」

ゆかりが話を切り出した。

「こないだ道徳の時間で読んだやつだね」

秀夫がうなずく。

「乗っていた船が遭難して、救難ボートに乗った人たちがみんなで歌を歌って励ましたって話。あの話みたいにみんなで歌ってみたらどうかな」

「ふうん。いい考えだけど、俺は人の真似が嫌いなんだ」

哲弥はそっぽを向く。

「いいことはどんどん真似すべきよ。昔の人の経験の積み重ねが現代に繋がっているんだから」

 知絵の意見に皆は手を叩いて同意した。

「それでは皆さんに尋ねます。何の歌を歌いたいですか」

いつの間にか司会をやっている知絵が尋ねた。ゆかりが発言する。

「合唱大会で歌う『気球に乗ってどこまでも』がいいと思います」

「その前に、ちょっと発声練習しようぜ。それじゃ、1.2.3」

則之は立ち上がると音頭をとって歌い出した。

「♪ ソソラ ソラ ソラ 兎のダンス

 タラッタ ラッタ ラッタ ラッタ ラッタ ラッタ ラ♪」

「ちょっと、止めてよ! もう十分よ!」

知絵は口では怒っていたが、顔は笑っていた。場が和やかになったのを見て、則之が言った。

「これで発声練習は済んだから、『気球に乗ってどこまでも』を歌おうか」

「では、今度はわたしが指揮者になるわね。1.2.3」

皆は歌い出した。

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