19‥‥僕と先輩と丹代さん

「それで先輩、これからどうします? 部長もどっか逃げちゃいましたし、下手に移動はできないどころか、いつか特定されちゃうと思うんですけど」



 サラマンダーちゃんから脱皮しながら、丹代さんがゆき先輩に問いかける。

 ゆき先輩は、顎に指を持っていくと思案気に唸り声をあげた。



「正直、そこまでは考えてなかった。蓮を救出するまでしかね」


「ですよねー。わたしもそこまで頭良くないですし、全然案は思い浮かびませんけど。――っと、ふぅ。こんな真夏に着る物じゃないね。仲の人も命がけだ」


「あ、あの、丹代さん……」


「なぁに、玖楽くん?」


「……下着、か、隠さなくて、いいの?」



 着ぐるみを脱いだ丹代さんは、下着姿だった。

 水色のレース柄の下着を汗で張り付かせた丹代さんは、僕の指摘に少しだけ顔を赤くして、



「えへへ……。玖楽くんになら、別に見られてもいいよ?」


「……っ」


「わたし達の仲じゃない? い、今さらだよ……その、いやらしいこととかは、まだしてないけど?」


「な、なに言ってるんだよ丹代さん……っ」



 恥じらいを浮かべつつ、僕を誘うように胸元を寄せたり、太ももに手をあてたりする丹代さんから視線を逸らす。

 逸らした先で、ジト目のゆき先輩と目があった。



「せ、先輩……丹代さんを止めてください」


「……わかった」


「く、玖楽くん……どうして見てくれないの? この下着、玖楽くんのために――」


「――え?」



 ドサッと、丹代さんが前のめりに倒れて僕に転がってきた。

 丹代さんのやわらかな肢体と汗の匂いと、突然の出来事に僕は混乱した。



「安心していい。その程度じゃ人間は死なないから」


「せ、先輩……バッドは……やりすぎじゃ」


「スタンガンを取りに行くまで約五秒ほどかかるからね。すぐ近くにあるバッドの方が有効だと思ったんだ」



 そう言って、再びベッドの下へバッドを戻すゆき先輩。

 丹代さんの髪を掻き分けて頭部をさすってみる。

 腫れているようだったが、出血はしていなかった。



「それはそうと、お腹空いてないかい? 何か作ってあげよう」


「あ……少し、お腹空きました」


「ん。じゃあ、夕食にしようか」





 ゆき先輩の作ったシチューを食べ終えた頃、丹代さんがようやく復活した。



「あれれ……なんかすっごい頭が痛いんですけど……。何かあった? 玖楽くん」


「え? え、えと……ううん。特には」


「そっかあ。――あ、先輩? シャワー借りてもいいですか?」


「うむ」



 洗い物に勤しむゆき先輩の承諾を得て、丹代さんは下着姿のまま浴室へと向かっていった。

 先輩の家は、とても大きかった。

 内装しか見ていないけれど、とんでもない大きさの屋敷だ。

 武家屋敷……というのかな。

 廊下以外の部屋は全部畳で、縁側からは風情のある庭が広がっていた。



 都心でこれだけ大きい家に住んでいるということは、先輩は相当の金持ちなのだろう。



「ゆき先輩は、このでかい屋敷で一人暮らしなんですか?」


「そうだよ。両親は北海道に住んでてね。ここは亡くなった祖父の屋敷だったんだ」


「へ、へえ……お金持ちなんですね」


「いや、ただのガソスタ店員だったよ」


「え? じゃ、じゃあどうやってこんな家……」


「祖父があたしに遺産を用意しておいてくれたんだ。貯金と株式投資で得た配当金リターンを貯めてね。この屋敷は、あたしの卒業祝いで贈ってくれたんだ。その前に亡くなってしまったから、弁護士から聞かせれた話だけど」



 食器を洗い終えたゆき先輩が、僕の隣に腰を下ろした。

 食器用洗剤の匂いが先輩から漂う。



「蓮はしばらく、ここに住んでいてほしい。できるならお母様のところに返してあげたいけど、まだ危険だから」


「……でも、僕がここにいたら先輩にも危険が」



 言いかけて、胸が痛んだ。

 危険?

 誰が?

 無論、アゲハだ。



 アゲハは、今ごろ何をしているのだろうか。

 きっと、僕がいなくて寂しがってるに違いない。



 彼女が泣きながら、僕を探している姿が脳裏に浮かんだ。



「――蓮?」


「あ……先輩……」


「きみは呪われてるんだ。あの女に」



 呪われてる。

 その言葉を、僕は否定した。



「違います。アゲハは、寂しがり屋なだけなんです」


「じゃあ、きみはあの女を愛してるのかい?」


「……それは」


 

 言葉に詰まる。

 結局のところ、僕はアゲハのことをどう思ってるのだろうか。

 嫌いか好きかで問われたら、好きだ。

 けど、それは女性として好きとか、そういうのじゃない。



「一種の錯覚。精神的疾患の一つだよ、それは。日本では珍しいけど、外国ではそういう例が多くある。人質に取られた女性が、犯罪者に恋愛感情を抱くケース。ストックホルム症候群って言うんだ」



 ゆき先輩が、可哀想にと僕の頭を引き寄せた。

 ちいさな胸に僕の顔が埋まる。

 食器用洗剤の匂いに混じって、先輩の甘い香りが肺に取り込まれた。



「ここで生活していれば、そのうちきみは正常になる。もう仕事だってしなくていい。きみのお母様が抱えていた借金も、あたしが代わりに返済した」


「そ、そんな……! なにしてるんですか、先輩! 安い金額じゃ、なかったでしょ……!」


「あたしには使い道のないお金だ。ただ娯楽に費やすだけだったお金を、こうして好きな人に使えたことを幸福に思うよ」


「す……好き、って」



 恥ずかし気もなく、そんなことを口にする先輩。

 つい一刻前、先輩にされたことを思い出して、体が震えた。



「もうきみの嫌がることはしない。本当だよ? あたしは、きみのことが好きなんだ。だからきみを守りたい」


「……僕は、先輩のこと……嫌いです」


「なら好きにさせる。無理矢理じゃない。ちゃんと手順を踏んで。――言ったろう? あたしは、ギャルゲーも得意なんだよ」



 いつかのように微笑んで、先輩が僕の唇に顔を近づけた。



「――もう、寝ようか」


「………」



 我を取り戻したゆき先輩が、直前で止まった。

 荒い息と赤い顔を僕から離して、先輩は僕を立ち上がらせた。



「あれー? もう寝るんですか? ならわたしも寝ます!」



 ちょうど浴室から戻ってきた下着姿の丹代さんを引き連れて、僕が目覚めた部屋へ戻った。

 内側から厳重に鍵をかけ、先輩は押し入れから布団を引っ張り出す。

 僕と丹代さんも手伝って、床にふたつ布団を広げた。



「蓮はあたしのベッドを使ってくれよ。きみを硬い床で寝かせるワケにはいかないから」


「え? だ、だめですよ。僕も下で寝ます」


「玖楽くん。誰と一緒に寝る?」


「え?」


「だって、お布団ふたつしかないから。必然的に誰かと一緒に寝ることになるでしょう?」



 た、確かに。

 頷いてしまった僕は、下着姿の丹代さんとネグリジェに着替えたゆき先輩を交互に見た。



「……蓮の好きな方を選ぶといいよ。あたしはどちらでも構わない」


「だって、玖楽くん。わたしのところに来る? いっぱい甘やかしてあげちゃうよ?」


「……っ」



 ど、どうする……?

 正直、僕はどちらとも一緒に寝たくない。

 


 多分、寝てしまえば。

 今度は僕の方が、我慢できなくなってしまうから。



「ねえ、玖楽くん? どうするの?」


「え、えと……」


「蓮……」


「……っ」



 僕は、足りない頭を必死に働かせて――数秒後、天啓が降りてきた。



「このベッドの布団、下におろせば……三人で、寝れますよね……?」


「チッ……」


「………」


「え? もしかして、その反応……気付いてました?」


「――しっかたないなぁ。玖楽くんの意気地なし」


「そういう男なのは、知ってた」



 視線で非難される僕。

 若干へこみながら、僕はベッドから布団を引き剥がした。



 僕を真ん中にして、川の字に寝る。

 右がゆき先輩で、左が丹代さん。

 真っ暗の中で寝るのは嫌だと言ったら、先輩が橙色のランプを点けてくれた。



「ねえ……手、繋いでくれないかな。玖楽くん」


「手……?」


「うん」



 僕の方に向きながら布団に包まる丹代さんが、手を差し出してきた。

 


「握ってくれないと犯すよ」


「………」



 冗談なのか本音なのか……それとも眠たいから機嫌が悪いのか。

 丹代さんらしからぬ言動が恐ろしかったので、僕は布団の外に手を出した。



「うれしい……やっぱり、わたしたちってそういうことだよね?」



 どういう、ことなんだろう。

 僕は頭が悪いから、わからない。



「ずっと心配してた。不安だったの。後悔もしてた。どうしてあの時、行かせちゃったんだろうって」


「……丹代さん」


「これからは、ずっと一緒だよ。死んでも離さない」



 ぎゅっと手を握り締められて、少し痛かったけれど。

 丹代さんがうれしそうに瞼を閉じたから、僕は何も言わなかった。



「……先輩?」



 ふと右側に視線を向けると、ゆき先輩が瞼を閉じながら手を伸ばしていた。

 その手を握って、僕も目を閉じる。

 三人で、手を繋ぎながら眠るなんて新鮮だ。



 思えば。

 こうして、何事もなく眠るのは、いつぶりだろうか。



「……ん、ぅ……んんっ」


「………」



 左側から、声を押し殺した嬌声が聞こえてくる。

 僕は聞こえなかったことにして、眠気が訪れるのを待った。



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