18‥‥僕と、久しぶり。2/2

「ゆ、ゆき先輩……どうして、ここに……? 頭の怪我は、大丈夫なんですか!?」


「説明は後だよ。すぐにここから逃げないと。――あの子、逆境で光るタイプのようだし」


「え?」



 煙の奥から聞こえてくる歪な音。

 ドスッとかドサッとか。不良映画や任侠映画でお馴染みの効果音が、煙幕の向こうから聞こえてきた。



「あ、アゲハ……! アゲハを、助けなきゃ……!」


「何を言っているんだい、蓮。早く逃げよう」


「で、でも……!」


「でもじゃない。あの女はきみを一ヶ月も監禁してたんだよ。あたしだって怪我を負わされた」


「い……一ヶ月?」



 そんなに僕は、アゲハの家に監禁されていたのか。

 体感ではまだ三日ぐらいしか経っていないのに。



「今この瞬間しか隙はないんだ。警察だってあてにならない。だから、さあ」



 この手を取れと、ゆき先輩が促す。

 けれど、



「アゲハは……良い子なんだ。僕がいないと、ダメなんだ……。ゆき先輩にも、色々迷惑かけたけど……アゲハは――」


「蓮……予想通りにハマってるね」


「え?」


「ストックホルム症候群ってヤツだよ」



 ストック……なに?

 ゆき先輩が憐れむような瞳で、僕をみた。

 ガサガサと、懐から先輩は何かを取り出しながら。



「無理もない。きみは悪くない。悪いのは、あの女なんだから」


「ゆ、ゆき……先輩?」



 それ……なんだよ。

 


「大丈夫。次に目を覚ましたら、安全な場所だから」


「せ、先輩――」



 刹那、先輩の手に握られたソレが僕の首に押し付けられた。

 ばちばちばち。

 体が激痛によって動かなくなり、視界が一瞬にして霞んだ。



「あ……げは」


「助けてあげるから。あたしが、蓮を」



 その言葉を最後に、僕は気を失った。

 煙幕の中にいるであろう、アゲハへ手を伸ばしながら。







 そして目が覚めると、そこはショッピングモールの中ではなかった。

 白と黒のモノトーンカラーな部屋ではなく、今度は桃色やら少女趣味の人形やらが置かれた十畳ほどの広い部屋だった。



「……ここは」


「あたしの部屋だよ。そして、きみの部屋」


「ゆき……先輩」



 メイド服姿のままベッドに寝かされていた僕は首だけを動かして声の方向をみた。

 ゲーミングチェアに深く座ったちいさな先輩が、コントローラー片手にくるくる回っている。



「僕は……どうして――」



 そこで、アゲハの顔が思い浮かんだ。

 部屋を見渡す。

 どこにもアゲハがいなかった。

 アゲハの匂いがしなかった。

 


「どこから説明しようか」



 椅子から立ち上がったゆき先輩が、ちいさな足取りで僕のそばにやってきた。

 ベッドに腰掛け、やわらかな眼差しで僕の頭を撫でる。



「きみは一ヶ月間……あたしと音楽室で再会したあの日から一ヶ月間、きみは行方不明になっていた。捜索願も出てる。まあ、警察も諦め気味だけどね」



 ゆき先輩は、僕の頭から頬、顎にかけて指をなぞらせた。

 くすぐったくて、片目を閉じて体をよじらせる。



夜之凛蝶よるのあげは。美術部部長の三年。少し前に倒産したけれど、それまでは莫大な資産を保有していた社長令嬢で、とうの本人も株やら保険金やらで三億近い資産がある。さらに色々ときみを使って動いていたみたいだからね。警察のお偉いさんも彼女の傀儡だよ」


「ぼ、僕……?」



 ゆき先輩が、露出した鎖骨に指を這わせる。思わず変な声を上げてしまって、先輩が薄く悦んだ。

 見たことがある笑みだった。

 その笑み。

 ゆき先輩の顔に、僕の知っている笑みが浮かんだ。



「きみがデートした相手に、夜を明かした相手に、警察関係者の男性はいなかったかい?」


「……先輩」


「他にも政治家、資本家、女優、アイドル、作家等々。この市に住んでる大物とは、大体寝てきたんだろう? それら全て、あの女によって意図されたものだったんだ」


「や、やめて……先輩……っ」



 ゆき先輩の指が胸元に入ってくる。

 気がつくと、顔のすぐ横に先輩の手のひらがあって。

 先輩の幼い顔が、すぐ近くにあった。

 黒い髪が僕のうなじに流れる。

 荒い息が、僕の顔を撫でた。



「きみは魅力的だ。ズルい。魔力を秘めている。人を惹きつけ、欲情させて、庇護欲を掻き立てられる」


「っ、ぅ、やめ――」


「蓮。成果には報酬が付き物だと……思うんだが」



 無表情に張り付いた、下卑た笑み。

 先輩の指が舐るようにメイド服を脱がせていき、優しく肩にキスをした。

 水が弾けるような音。

 聴き慣れた、リップ音。



 抵抗しようとして、気がついた。



「はは……ゆき先輩……。あんたも同じじゃないか」



 ベッドの格子にはめられた手錠。

 僕の左手首に繋がった手錠が、ジャリッと音を立てた。



「先輩も……僕を犯すんですか」


「蓮……あたしは、初めてなんだ。人に興味なんてもてなかった。恋愛なんてくだらないと吐き捨ててた。でも、きみがあたしを狂わせた」



 うなじから上へ唇が這う。

 くすぐったい。

 尊敬していた先輩に、好意を抱いていた先輩に、こんなことをされて苦しかった。



 同時に、



「蓮も、興奮してる。ここ、膨れ上がらせて」



 まだ頭の中で、あの夕焼けを背景にギターを弾く先輩の美しさが残っていて。



「……泣いてる、の……かい?」


「………いい、ですよ。こんな……穢れた体で、いいなら」


「―――」



 先輩の顔が強張る。

 頬を伝う涙の感触に気持ち悪さをおぼえながら、僕は笑った。

 今まで、そうしてきたように。

 媚びるように。

 相手を欲情させるように。

 僕は、微笑した。



「先輩が……欲しいです」


「――だ、めだ」



 ゆき先輩が、視線を逸らす。

 戸惑いの色が見えた。

 先輩の肩が、震える。



「こんなのおかしい……同じじゃないか。あたしも、あの女たちも……っ」


「せん……ぱい?」



 唇を噛み締めた先輩が、懐から小さな鍵を取り出すと、手錠の鍵穴に差し込んだ。

 手錠から解放された僕を、先輩が抱きしめる。

 ちいさな体で、きつく。



「ごめん。ごめん、蓮。あたし、変だった」


「……いいですよ」


「ごめん。あたしが、守るって……あたしが守るって決めたのに」



 立場が逆転して、僕にしがみついて泣きじゃくる先輩の背中を優しく撫でながら、ふと視線をドアの方向に移した。

 半分開かれたドアから、ショッピングモールのアイドル、サラマンダーちゃんが顔を覗かせていた。



「……っ!?」


「………」



 びっくりして声が出ない僕を見て、サラマンダーちゃんは手に握っていた鉛筆をそっとしまってから、堂々と部屋に入ってきた。



「あ、あの、あの先輩……! サラマンダーちゃんが……!」


「うん? あ――あぁ、すっかり忘れてたよ。彼女はあたしの協力者なんだ」


「協力者……?」



 本当に忘れていたのだろう。ゆき先輩はぎょっとした面持ちでサラマンダーちゃんを見遣った。

 サラマンダーちゃんは、もぞもぞと頭部を取り外す作業に移った。



「きみを助けるために色々協力してくれたんだ。紹介しよう――とは言っても、既に存じ上げているとは思うが」



 ぱかっと、サラマンターちゃんの頭部が外れた。

 長い黒髪を溢れ出させて、にょきっと生えてきたのは僕の見知った人物だった。



「――ぷふぁ! あっついなあ、これ。下着がびちゃびちゃだよ。悪いですけど先輩、サラマンダーちゃん廃棄でお願いします」


「に、丹代さん……!」


「久しぶりだね、玖楽くん。元気そうでよかったよっ」



 クラスメイトの丹代さんは、花を咲かせるように無邪気な微笑みを浮かべた。


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