17‥‥僕と、久しぶり。1/2

「え……?なに、なにが起きたの? 火事?」



 学校の火災訓練でしか聞いたことのない目障りな警報に、買い物客が戸惑い、何事かと固まっていた。

 間をおいて、備え付けられていたスピーカーからくぐもった音が響き、



『――うぎゃああああああああああああああああああッッッ』



 いやに現実味のない叫び声……否、悲鳴。



 ぶつんと切れたスピーカーからながれる静寂に、僕は唾を飲み込んだ。

 刹那、弾かれたように買い物客が非常口に押し寄せていき、そこかしこから怒声や悲鳴が響き渡った。



「あ、アゲハ……もしかして、ゾン――」


「なワケないでしょ、れん。今の……録音だよ」


「……へ?」



 録音……?

 その言葉に呆然として、口角が固まった。



 もしかして、この演出もアゲハが……?



 いや、しかしなんの為に?

 危機的状況で僕との距離を縮める吊り橋効果を狙った自作自演だとしても、序盤でネタバラシするワケがない。

 それとも、ほかに狙いがあるのか。



 アゲハのことだから、僕の想像を軽く上回るような計画があるのだろう。

 そして僕は必ず巻き込まれる。今から身震いが止まらない。



 僕の思考を読み取ったのか、呆れたように首を左右にふったアゲハが、僕の腕を引いて立ち上がった。



「とりあえず、デートはおしまいだね。巻き込まれる前に脱出しよっか」


「アゲハの演出じゃ……ないの?」


「そんなワケないじゃん、私のこと買い被りすぎ。きょうは純粋にデートを楽しみに来たんだよ」


「そ、そっか……疑ってごめん」


「んーん、だいじょうぶ。帰ったらいっぱい甘えるから」


「……あ、うん」


「任せて。れんのことは必ず私が……守るから」


「う、うん……頼むね」



 こんな状況だというのにブレず、アゲハは花が咲くように笑った。



 頼もしいと思う反面、男としての面目が立たない。

 本来なら守るという言葉は、僕がいう科白セリフのはずなんだけど。



「大丈夫だよ。いまのれんは〝れいか〟だからっ」


「なんの慰みにもなってないよ、それ……」



 でも、そっか。

 今の僕はれいかなのか。

 なら仕方ない、アゲハにしっかりと守ってもらうとしよう。



 彼女の右腕に抱きついて、身を寄せる。

 ニヤニヤしたアゲハが、ふふんと鼻を鳴らして歩き始めた。



「開き直ってわたしを頼るところも好き」


「もう何しても僕のこと好きじゃん」


「うん、そうだよ? 大好きだよ、愛してるもん」


「わ、わかったからはやく出ようよ!」




 言って、羞恥に染まった頰を隠すように僕はアゲハから視線を逸らした。



 一階から最上階まで見上げられる中央の空間には、それぞれの階を結ぶエスカレーターが起動していて、二階から一階にかけて人が凝縮していた。



 こんな調子ではエレベーターも使えそうにない。

 なら、僕たちがこのデパートから脱出するには階段しかないのだが……。



 ふと、僕の視界に違和感が入り込んだ。



「ねえ、れん。さっきの話だけど……」


「う、うん?」


「私、れんのこと、好きだから。だから、れんが嫌がることは、もうしない。れんが悲しむこともしない。だから……れんも、私の悲しむこととか、しないって約束してほしいな」



「アゲハ――ちょっと、待って」


「……?」



 僕たちがいる三階に向かって、二階からエスカレーターで上がってくる少女の後ろ姿。



 背中にかかるウェーブのかかった茶髪は証明に照らされて赤く輝いていた。

 首元にはお飾りのようなヘッドフォンがかけられていて、記憶のなかの少女とリンクする。




 まさか――と思った刹那。

 ピクリと肩が震え、背の低い少女は、こちらに振り向いた。



 まるで僕の視線に気がついたかのように振り向いて、ぎょっとした。



「なんで……防護マスク……?」



 防護マスク。

 ガスマスクとも呼ばれる迷彩OD色の面を被った彼女は、とうとう三階にたどりつき――



「れん、下がって」


「え……?」



 ピタリと歩みを止めたアゲハの肩に、僕の頭がぶつかった。



 何事かとおもい、アゲハの視線のさきへ目を向けた。

 そこには、このデパートのマスコットキャラクターである〝サラマンダー〟ちゃんが看板をもって立ちすくんでいた。



 看板には、ひらがなで〝いっつ、しょうたいむ〟と汚い筆致で書かれていて――瞬間、僕たちの足元になにか転がった。



 からんからんと転がる缶状の物体。ゲームの中で見たことがあるような形状に、僕は首を傾げた。



「あれ、これなんて名前だっけ――」


「――れん……ッ!?」



 それが何なのか、答えが出るよりもはやくプシューという音とともに濁った煙が缶から吐き出された。



 瞬く間に煙幕が僕たちの視界を奪い去り……間をおいて、目から激痛をともなって涙が溢れた。



 いや、目だけではない。

 鼻腔からも鼻水が大量にあふれ、喉の奥が痒い。



 たまらずうずくまって嘔吐し、顔面を液体で大洪水にしながら悶えていると、鎖を引っ張られた。



「……れ、ん……?」


「アゲ、ハ……」



 異常なほどに涙を滴らせ、僕と似たような状態に陥っているアゲハに手を伸ばす。



 アゲハと僕の手が重なる――その間際、赤い体毛に覆われた足がアゲハの手の甲を踏みつけ、タバコを消すようにぐりぐりと痛ぶった。



「ぁぁっ!!?」


「あ……あ、げは……っ!」



 アゲハから漏れる苦悶の声に、僕は滂沱の涙を垂れ流しながら、ボヤける視界の奥でサラマンダーちゃんをめつけた。



 貼り付けられた笑顔が、クリクリとしたおおきな瞳が、何故だろう……まるで人間のように殺意を纏っていた。



「や、めろぉ……ッ」



 絞り出すように叫ぶ。

 やめろ、やめてくれ。そんな酷いこと、しないで、助けて。



 悲痛な顔を浮かべるアゲハに、僕の胸の奥が痛んだ。



 なんとかしてでも彼女を助けなければ……拳を握り、身体中を犯す不快感をねじ伏せて、立ち上がろうとした時だった。



 神聖な主人公の覚醒を蔑ろにして、誰かが僕の首根っこを引っ張り上げ思いっきり放り飛ばした。鎖が尾ひれのように音を鳴らしてついてくる。




「待たせたね」




 そんな科白セリフとともに、僕を煙幕の外に放り出した彼女は防護マスクをはずした。

 案の定……そこにはあの日、音楽室で別れ、生死不明だった友達の顔があらわになった。



小兎姫ことひめ……ゆき、先輩……」


「うむ。記憶に異常はないようだ。さて、脱出するよ玖楽後輩――いや、蓮」



 

 ゆき先輩は、無愛想な顔を精一杯綻ばせて、僕に手を差し出した。




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