16‥‥僕と凛蝶

 そして、アゲハは弾ける様に笑って言った。

 目尻をあげて、年相応の無邪気な笑顔で。



「でも、その許嫁も亡くなっているから必然的に破断になったの。彼のお父様が色々あってね、元から正義感の強かった彼はそれに耐えられなく首を吊って……。あ、ごめんね、こういう時にする話じゃなかったね、あははは」



 無理に笑っている――だなんて、そんな演技は一切なかった。

 ただの笑い話として、必然の出来事としてアゲハは笑い飛ばした。



 反応に困った僕は彼女から目をそらし、数多く連なる店舗を眺めた。

 その一角、子供向けホビーショップの前でマスコットキャラのサラマンダーちゃんが子供達に囲まれていた。

 相変わらずの人気値で中の人は大変そうだ。



「何見てるの? 女?」


「……きみはさ、すぐそっち方向に思考を持ってくのやめなよ。そこまで女に飢えてないし」


「つまり目移りできないほどに私が好きってこと?」


「おめでたい頭してるね」


「え、ムカつく。ちょー反抗的」



 肩にグーパンをかましてからふふふ、と笑い、僕の肩に頭を乗っけたアゲハ。僅かな重みから、いつもとは違う匂いが漂ってくる。



 これは確か、グッチの香水だったとおもう。

 僕もむかし気に入ってつけていた代物だ。



「ね、れん。私はね、すごく不安に弱い生き物だから。直接言ってくれないとわからないの。察しろとか無理。言われなきゃわからない」


「そっか。じゃあ、僕になんて言って欲しいのかもちゃんと言葉にしてよ。僕だって頭悪いから無理だよ、察するの」


「察するのに頭の悪さ関係ないし。私はれんより頭いいしバカにしないでよばーかばか」



 めんどくさ――間違っても口には出さないけど。

 それと手の甲がとても痛い。白と黒色のネイルチップが皮膚に食い込んでいる。



「こうずっと爪で刺されてるとさ、気持ちよくなってくるよね。たまに自分でやるの。親指の付け根あたりをね、鉛筆とかでグリグリ押すのも好き」


「頭おかしいんじゃないの?」


「なんできょうはそんなに冷たいの? 罵倒するの? 何かしたかな私? 酷くないですか?」



 何もしてない日なんて無いとおもうけど。

 これも口には出さず、突然のキレ防止のために指を絡ませた。



 そして、今の雰囲気でしか言えないことを言おうと、腹をくくった。

 その結果、どうなるかはわからない。

 けれど、間違いなく今後必要なことで、いつかは通る道だから



「少し好きになったかも」


「――え?」



 見たことないような顔。

 例えるなら、そう。ひょっとこにアゲハを足して二で割った感じ。

 自分で喩えておいてよくわからないけど、きっとそんなかんじ。美少女ひょっとこ。



「前までは怖かった。怖いだけ。今は怖くない……って言ったら嘘になるけど、プラスで色々ときみのことわかったし、理解できる部分もある。……だから今は、友達として好き、ぐらい」



 なんだかひょっとこから複雑そうな顔に変化していく姿がおもしろくて、空いてる手でアゲハの頰を摘んだ。

 マシュマロみたいに柔らかいほっぺたを上下にひっぱって、言葉を続ける。



「努力するよ。好きになる努力。恋人として、とかはまず置いといて。まずは友達から。それで、もっかい最初からやりなおそ?」



 今までのことは忘れる。

 なかったことにする。

 されたことも、やらされたこたも見たことも全部忘れる。



 それに、アゲハは気がついてないかもしれないけど、僕たち自己紹介すらしてない。

 ただ一方的に名前を知っているだけで、お互いのことは何も知らない。

 少なくとも、僕はきみのことをほとんど知らない。

 家族構成も、誕生日も、名字でさえ。



 だから。



「ねぇ、アゲハ。こっち向いて」



 顎に手を添えて、僕を見ているようでどこも見ていない大きな瞳のピントを僕に合わせる。

 綺麗なブラウン色の虹彩が、赤く充血する。



「……………、…………れん」


「きっと僕達、もっと仲良くなれたはずなんだ。こんな出会い方じゃなかったら。この関係のまま停滞していなければ。どうかな、アゲハ。どうおもう? これが今の僕の心境で、きみに伝えたい言葉だよ」


 

 これが僕の本音だ。

 どんなに酷いことされたって、逃げ出したくたって、ここ最近は、ずっと一緒にいるから。

 少なからず、好意は芽生えた。



 僕だって男だ。

 イカれていてもアゲハは美少女で、黙っていればとても魅力的な女のコだ。

 ただ、少しだけ。

 他の人と、生まれてきた環境が違うだけで。

 アゲハは、可哀想なんだ。



「本当にこのまま、爛れて痛む皮膚のような関係を抱えて生きていくの? 僕は、嫌だよ」


「……イヤ……やだ、そんなの」


「アゲハ……」


「だって、だって好きって言ってくれたのに! 抱きしめてくれたのに! キスしてくれたのに! 守るって、結婚もするって、お父さんにもお母さんにもお兄ちゃんにも紹介して、今更なかったことにするなんて、また他人から始まるなんてイヤ!! やっとひとつになれたのに、好きなのに……愛してるのに」


「アゲハ。今のキミのままじゃ、僕はきみを愛せない」



 僕の本心をまっすぐに伝える。

 そして気がついた。僕は、僕の考えをこうして彼女に伝えるのは初めてなのではないだろうか、と。



 彼女の恐ろしさから、痛みから逃げて、僕はまともなコミュニケーションを避けていたのかもしれない。

 いや、避けていたんだ。



 僕の今の状況。元凶はどうであれ、元を辿ってもアゲハという少女が起こしたことではあるけれど、僕にも非は少なからずある。

 中途半端に受け入れた、僕にも。



 被害者は間違いなく僕で、しかしまた、彼女も加害者であり被害者だった。

 どちらにも非があって、ただふたりだけが傷を負う。 

 ふたりだけ。

 ただ、それだけの話。



「だからやりなおそう。一から、また。今度は逃げずに正面から受け止めるよ。それで嫌なことは嫌って伝えるし、本音で話す。一緒に映画とか見て、喫茶店でコーヒー飲んで……きみのオススメの本とかも紹介してよ。そうやって、新しい関係を…………ねえ……アゲハ……っ」



 おかしなことに、お互いの目からは涙が溢れていた。

 とめどなく、大粒の涙が。 

 鼻をすすりながら、潤む視界で僕はアゲハを見つめた。



 空気を孕むようにふわりと浮いた銅色あかがねいろのショートボブ。

 左目の下にぽつんと佇む黒子ほくろ

 モデルさんと勘違いしてしまうくらいに整ったきれいな顔。

 人混みの中でも聞き分けられる透き通った声。



 僕がこれまで出会ってきた女性とは、一線を画す美少女で。

 僕をこれだけ振り回した女のコは、たぶん、今後も現れないだろう。



「れん…………私は」


「うん」



 目尻から顎にかけて流れる涙。

 掠れた声で、くしゃくしゃに顔を歪めながら、アゲハは言った。



「私は――――」



 言いかけた、その時だった。



 ショッピングモール全体に響き渡る警報音。



 目覚ましのように耳障りなアラートがアゲハの声を遮り、そしてデパートで買い物を楽しんでいた千単位の人間を一瞬にしてパニックに陥れた。



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