09‥‥?僕‥‥90
知らない天井だ。
なんてネタを使えるほど目覚めはスッキリしていて、思考は妙に冴えわたっていた。
黒と白のモノトーンカラー。
それがこの部屋の第一印象だった。実にシンプルで、僕好みの部屋だ。
何も知らずに来ていたのなら、きっとこの部屋の主が女のコだとは思うまい。
ベッドから起き上がり、真っ先に僕は出口に向かった。
――ガチャ。
案の定部屋の外からは鍵がかかっていて出られない。
潔く諦めて、続いて唯一存在する窓に近づいた。
鍵は開いていて、安易に外から出られそうだ。
しかし……地上に降りる為に必要なロープの長さはどれくらいだろうか?
窓を閉めて、次にクローゼットの扉を開いた。
服をつなげてロープを作ろうと思っていたのだが、おかしなことに、クローゼットはクローゼットではなかった。
いや、それは確かに反論の余地もなくクローゼットなのだが、それは全くの名ばかりであって、目を疑うほどに別物として生まれ変わっていて、本来の用途を果たしてはいなかった。
写真写真写真。
画鋲、ナイフ、包丁、カッター、彫刻刀によって貼り付けられた僕の写真。
様々な凶器と狂気によってクローゼットの中は満たされ侵されていた。
もはやそこは別世界。
扉の向こうには宇宙が広がっていた。わーお、いっつふぁんたじー。
視なかったことにして戸を閉めた。
その後もしばらく部屋を徘徊して、脱出できる隙を隈なく探し続けたが、とうとう見つけることができずベッドの上に倒れ込んだ。
倒れ込んで、低反発枕に何度も何度も頭突きを喰らわす。
――先輩。ゆき先輩。
ガラスが砕け散る。
まっすぐと、狙われたかのように頭部へ野球ボールが線を描き、美しい彼岸花を頭に咲かせたゆき先輩。
美しい――そう、美しかった。
一瞬だけれど、僕は、それを、美しいと、思って———
「ああああああああああああ!!」
頭を掻き毟りながら壁に拳を叩き付ける。
三回殴ったあたりで拳から血が出てきたので、殴るのをやめて頭をぶつけた。
ぶつけた。
頭。
ぶつけた。
「——れん、大丈夫!?
いつの間にか部屋に入ってきていたアゲハが僕の脇腹にバッドを叩き込んだ。
肺の中の酸素が血反吐と一緒に排出され、衝撃でベッドから転げ落ちた。
黒色の絨毯の上でうずくまる僕を後ろから優しく抱きしめるアゲハに、なぜだかデジャブを感じた。
「大丈夫、大丈夫だよ。私はどこにも行かないよ、ずっと傍に居てあげるからね心配しなくていいからね。もうれんを
涙と鼻水と血で服を汚されるのも厭わず、胸に抱いてくれる彼女のやさしさに、僕は色々と止まらなかった。
「おご、ごぼッ、おおおおおお、ごほっ、ごほっ…………っ!」
「うん、苦しいなら我慢しなくてもいいからね。胃の中のもの全部出しちゃいなよ」
胃液と一緒に吐き出されてきたシチュー。
まだ苦しくて、喉に指を突っ込んで絡まっていた髪の毛を吐き出した。
頭が痛い。吐き毛が止まらない。
瞼が重くて、全身を激痛が駆けまわっている。頭が、オカしクなリそうだ。
「あ、アゲハ、アゲハ……僕、僕は……アゲハ……っ」
「んー? どうしたのかな~?」
二の腕に突き刺さる注射器から透明な液体が流れ込んでくる。
段々と眠気が強くなってきて、体の力が抜けてくる。痛みが、和らぐ。
「次起きたら一緒にお買い物しに行こうね~。――おやすみ、れん」
*
ベッドから飛び起きて、知らない部屋でぐっすりと眠っていた事実に恐怖する。
ここはどこ?
誰の部屋?
違う、どうして僕はここに――思い、出した。
音楽室。
血に濡れたゆき先輩の姿を。
「っ、せ、先輩は……うぐっ!」
脇腹に痛みが走り、息が止まる。
身に着けた覚えのないネグリジェを捲って脇腹を確認してみると、なるほど道理で痛いワケで、皮膚が青紫色に変色していた。
打撲じゃすまされないような色だ。
どうしてこんなところを怪我しているんだ?
ていうか、なんで僕がネグリジェを着せられてるんだ?
誰の趣味だよ。
もう何が何だか判らず混乱する僕の目に、希望が映り込んだ。
出口。
ドア。
僕は縋るように出口へ向かって走り、祈るようにドアノブに手を掛けた――
「――なにを考えているんだ!?」
刹那、怒声。
続けざまに少女の悲鳴と、乾いた音がドア越しに響いた。
思わずドアノブに掛けようとした手が止まり、そっと壁に張り付いて耳を澄ました。
悲痛でいて痛々しい声が否応なく鼓膜を震わせる。
「い、痛い、やめてお父さん……痛いよぉ!」
「おまえは一体何を考えているんだ
ドスッと鈍い音が振動で伝わり、少女の悲鳴と呻き声がドアを透けて届く。
それから約三十分の間、男の怒声と暴力は止まらなかった。
ドアに背を預けて、僕は黙ったまま少女のすすり泣く声を聴く。
――アゲハ。
お父さんと呼ばれた男は、確かにアゲハと呼んでいた。
つまりここはアゲハの部屋で、僕はあの後ここに拉致されてきたということだ。
それを、お父さんに見つかった、のか。
当たり前の反応だと思う。実の娘が男を誘拐してきたのだから。
けど、そうなんだけど幾らなんでもやり過ぎじゃないか。
啜り声がなくなり、ドアの向こう側で動く気配を感じた僕は急いでベッドに戻ると布団をかぶった。
ややあって、部屋へと入ってきたアゲハは、机の上に何かを置くと僕の名を呼んだ。
「れん……ご飯だよ」
返事はせず、寝たふりを貫き通す。
アゲハの声は、弱々しい鼻声だった。
「れん……ぐす」
鼻を啜りながら布団に潜り込んできたアゲハが、僕の胸に顔を埋めて体を震わした。髪の毛から柑橘系の甘い匂いがする。
「れんは、お父さんが思ってるような悪い人間じゃないよ。優しくて、可愛くて、メンタル弱いけど、私の惚れた大好きな人だよ」
涙で濡れたレースの布が肌に張り付く。
顔面を擦りつけて泣くアゲハを、僕は抱きしめた。
「れんぅ……私、絶対負けないから。絶対、お父さんになんか負けないから……」
彼女の強い決意を聴いて、僕は彼女の歪みの一端を知った。
僕は、彼女をどうしたいのだろう。
頭に過ぎった、彼女を助けてあげたいという気持ちについて考えながら、アゲハの背中を撫でる。
より一層体を震わせすすり泣くアゲハ。
彼女の匂いと体温に包まれながら、僕は再び訪れた睡魔に堕ちていった――。
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