07‥‥僕と、ひだまり。
あー……暇だ。
雲ひとつない青空をボーッと眺めながら、暇を持て余す。
空はこんなにも広いのに、悲しいかな。僕の行動範囲は約十五センチ。
メートルではなく、センチだ。
昼休み終了の鐘がなってから既に二回の鐘が鳴り、それでも僕は変わらず
数日間学校をサボり、久々に登校してきたかと思えば午後の授業をサボるなんて、ダラけているなんてレベルじゃない。
生活指導の対象なのではないだろうか。
元から超がつくほど頭の悪い僕だ。
そろそろ進路にも影響してくるし、進学どころか留年だ。
もう僕は高校二年生で、これから先のことを見据えなければいけない時期なのに。
危機感がない――なんてことはない。怖い程、バリバリ感じている。
正確には成績、就職、進学等のことではなく、身の危険に関する危機感という意味で。
「んぅ、っ、ふぅ……むにゃぁ……れんぅ……そこはお尻だよ……?」
「………」
「もうちょっと……ぁん……した、だよ……?」
「寝て……るんだよね?」
「んぅ……」
ゆったりとした陽射しに煽られて、気持ち良さそうに寝顔を晒すアゲハ。
規則正しい寝息に、時折呟かれる僕の名。
右手首をしっかり
僕の右手とアゲハの左手。
屋上から逃げるには、まずこの手錠をどうにかする必要があった。
鎖を断ち切る道具なら倉庫の中に転がっていそうだが、彼女を抱えて探すのには無理があるし、見つけたとしても起こさぬよう解錠するのは難しい。
アゲハは、僅かな物音ですら反応するのだ。
握っている――いや握らされている手のひらからよくわかる。
ちいさな溜息を吐いて、グラウンドから響く男子たちの嬌声を初めて羨ましく思った。
僕もみんなとワイワイ楽しくスポーツがしたい。
昔の僕では考えられない思考だけれど。
ワイシャツ越しに感じる胸の膨らみにドキドキしていた一時間前が酷く懐かしい。
脳の錯覚で浮かび上がった熱も、毎分毎秒と時間が進むにつれて冷めてしまう。
どんなに可愛くても、犯罪者紛いのイカれた人間なんかは好きにはなれない。
そんな殊勝な性癖を、残念ながら待ち合わせてはいない。
「――
「……歌?」
空気を震わせて、階下から女性の歌声が聴こえてきた。
弾き語り……という奴だろうか。ギターの音に乗せて、英語の歌詞が心地よく屋上に響く。
もちろん、僕の耳では単語を聞き取ることすらできないのだが。
「――
だけど。
落ち着いた
〝あなたの為になら窓辺に囀る小鳥さえも手にかける〟
それは紛れもない愛の歌。
どこまでも報われず、誰にも理解されない。
狂気染みたその歌詞と冷水のような曲調に、僕は懐かしさを覚えた。
――この歌を、僕はよく知っていた。
音楽の授業だろうか。
音楽室は確か三階に位置していた。
「……っ」
何故だろう。
僕はこの声の主を知っていて、尚且つ授業で歌っているとは思えなかった。
確かめたい。
この予感を、予感のままで終わらせたくない。
けれど、手錠とアゲハが邪魔で容易に動けない。
いささか考えて、僕は生唾を飲み込むと腹を括った。
横向きになりアゲハと向かい合う形をとる。
彼女の胸元に寄り添い、鼻息が髪の毛にかかる距離まで密着して、僕は恐るおそる手を伸ばした。
彼女の、スカートのポケットの中に。
*
ブレザーを着ていないアゲハが手錠の鍵を隠すとしたら、唯一ポケットのあるスカートの中。
トートバッグの中に入れられていたら詰みだけれど、そもそも、鍵なんて持ち歩いていないのかもしれないけれど、僕は半ば祈るようにポケットの中に指を忍び込ませた。
胸元から香る官能的な香水の匂い。
昨夜の悪夢が、蘇る。
けれど、屋上に響く歌声が、それを緩和してくれた。
甘えるようにアゲハに擦り寄って、指を奥まで突っ込む。
「……っ」
指先に触れた鉄の感触。
アゲハの寝顔を、鼻と鼻が触れ合いそうになる距離で見つめながら、そっとソレを抜き取った。
ビンゴ。
思わず笑みが溢れた。
僕の思惑どおり、スカートのポケットの中には手錠の鍵が入っていた。
これで抜け出せる。
「れん」
鍵穴に鍵を入れた瞬間、僅かに瞳を開けたアゲハが寝言のように僕の名を呼んだ。
心臓が、はち切れんばかりに脈動する。
ここで見つかったらマズイ。
そう思った僕は、咄嗟に彼女の顔に詰め寄って髪を撫でた。
子供を寝かしつけるように、優しく微笑みながら。
「ずっとそばにいるよ、アゲハ」
「んんぅ……れんぅ。ちゅーしてくれないとやぁー」
トロンとした目付きで甘えてくるアゲハ。
突き出した形の綺麗な唇に、羞恥心を飲み込んでそっと触れるだけのキスをした。
「おやすみ、アゲハ」
耳元で囁く。
数秒も経たずに寝息を立て、眠り直したアゲハに罪悪感を感じながら、僕は鍵を時計まわりにまわした。
なんとかアゲハの拘束を抜け出した僕は、歌声の聴こえてくる方向に歩み寄る。
落ちないよう気をつけながら階下に顔を覗かせると、真下の窓は開いていて、そこから歌声が聴こえてくることがわかった。
「この声……やっぱり」
消え入るように演奏が終わり、時が動き出したかのように各所から喧騒が蘇る。
終わってしまった。
もっと聴いていたかったのに。
悔いが募る――その前に、僕は極力声を抑えて、歌った。
冷汗がべったりと背中に張り付く。
自分でも、この危険さを理解しているけれど。
〝あなたと目があって恋を知った〟
歌う。彼女が弾いていた曲を。
彼女には圧倒的に劣るけれど、後ろのアゲハに怯えながらも発声した。
〝きっと覚えていないでしょう? 私たちのプロローグ〟
怪しい発音で、緊張で息を切らしながら祈る。
帰らないでほしい。
そこにいてほしい。
僕に、現状を打破する勇気をください。
そして――祈りは通じた。
僕の拙い歌に合わせるように、ギターの音色が響いた。
瞬間、僕ははじかれたように屋上の出入り口まで走った。
頭は自然と冴え渡っていて、雀の涙程度に頭の回転も速くなっている――と信じたい。
たったの数秒でよくここまで絡ませたなと褒めたくなる鎖を倉庫の中で見つけたボルトカッターで断ち切り、鍵を開けた僕は一度アゲハを振り返ってから、一瞬の躊躇のうち屋上から逃げ去った。
音を出したら気付かれるとか、もうそんなことを気にしている余裕はなかった。
壁からにょきっと生えた【音楽室】の札の前まで来て、僕は緊張と焦りからくる胸の高鳴りを抑えるために深呼吸した。
呼吸を落ち着かせ、震えの治まった手で音楽室のドアを開ける。
「―――ぁ」
窓から吹き抜ける心地よい風に踊らされるカーテン。
半透明な布に包まれるようにして、小兎姫ゆきはそこに居た。
風に流される黒髪が陽に当たって、まるで
一瞬で、目が奪われた。
「やぁ。また会ったね玖楽後輩。六時限の授業をサボってあたしのライブを観に来るなんて、随分と殊勝な不良だね。なにか良いことでもあったのかな?」
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