02‥‥僕と**。 1/2

「――そろそろ、学校から母さんに連絡行ってるかもなぁ」




 時間をかけてゆっくりと帰ってきた僕は、憂鬱になりながらボロアパートを見上げた。




「……覚悟、決めるか」




 一旦、懐からスマホを取り出して、ゆき先輩の電話番号を確認する。

 何かあったら先輩に話を聞いてもらおう。

 それを出汁に、またゆき先輩と会えることができると思うと、多少の憂鬱は消えた。




「よし、行くか」




 いまにも崩れ落ちそうな階段をのぼって、ドアの前。

 ブレザーの胸ポケットから鍵を取り出して、いつものように、平静を装って玄関に踏み入れた。




「あ、おかえりれんちゃん。んもう、新学期早々やるわねっ!」


「――え?」




 居間からひょっこりと顔を出した母さんが、ニヤニヤと口許を綻ばせていた。

 新学期……早々?

 顔が、蒼ざめていくのがわかった。


 

 無断欠席の件?

 それとも、ばら撒かれた写真?

 あるいは、その両方?




「さ、早く部屋に行きなさい。明日にでもお話しましょう? 母さん、あと一時間もすれば仕事だから」


「え、あ、あ、あ――」




 呂律が回らない。心臓がドクドクと早鐘を打ち、視界の隅が黒く染まっていく。

 連絡がいっていることは、想像できたし覚悟もできていた。

 だというのに、母さんからその言葉がでてきた瞬間に、脆くも砕け散った。



 バレた?

 どうして?

 考えるまでもなく、学校から連絡来たのだろう。



 そんなのわかりきっているのに、理解したくない。

 理不尽だと叫びたい。



 込み上げてくるものを堪えて、居間の隣にある僕の部屋へと逃げ込んだ。

 襖をあけて…………呼吸が、止まった。

 肩にかけたカバンが、床に落ちる。




「――おかえり。れん」




 鈴が転がった。

 きれいな声だった。

 甘い匂いが、した。



 ベットの上、星鳴高校の制服を着た知らない女のコが、ポッキーをくわえて僕を見上げていた。




「ごめんね、ハンガー借りてる。ブレザー暑くて……。どうしたの? 早く着替えてこっちおいでよ。――あっ、ごめんね。見られながらじゃあ着替えられないよね。トイレ……うん、トイレ借りるね。お花摘んでくる」




 呆然とする僕の傍を通ってトイレへ向かう女のコ。

 さりげなく指先を僕の指に絡ませて、パチリと片目を閉じて。

 まるで恋人にそうするように。

 触れるように鼻腔をくすぐる香水から、知らない人間の匂いがした。




「お母さーん、トイレってどこですか?」


「玄関の横よ、ちゃん」


「あっ、ありがとうございます」




 ……アゲ、ハ?

 

 なんで、そんなふつうに、母さんと話しているんだ?

 そもそも、誰だよ。


 部屋に充満した甘ったるい香水の匂いが、無性に気持ち悪い。

 まるで塗り替えられてしまったかのようだ。

 あるいは、他人の部屋に招かれてしまったような。



 ここはもう、僕の部屋じゃない。




「――あれ、まだ着替えてないの?」




 帰ってきたアゲハと呼ばれた少女が、僕の顔を覗き込んだ。

 鼻と鼻が触れ合う距離。

 僕は咄嗟に後ろへ下がって、窓ガラスに背をくっつけた。




「何に緊張しているのかわからないんだけど、とりあえず座りなよ。ね? ほら、こっちおいで、れん。ほ~ら、ポッキーもあるよ?」




 当然のように、予め決まっていた定位置かのように僕のベッドに座ったアゲハは、隣をポンポンと叩きながらポッキーをくわえる。



 僕は首を振って、絞り出すように、当然の疑問を投げかけた。




「き、きみは、誰なの? どうして僕の部屋に……?」


「どうして?」




 きょとんと、彼女は小首を傾げた。

 なにかおかしなことを……言っただろうか。




「どうしてって、れん。なんてあるの? あ、でも、そういえば、私初めてだもんね。れんの家に上がるの。初めての、お家デート……えへへ」




 にへらと、だらしなく顔を歪ませた少女を目の当たりにして、背筋に冷たいものが走った。




「つ……付き、合ってる? なんのはなし」


「そういえば、れ~んぅ? きょうはどこ行ってたの? 昨日も休みだったよね?」




 言葉を遮るように、僅かに声のトーンを上げたアゲハ。

 反射的に、隣の居間に居るであろう母さんの方へ目線が向いた。



 脈拍があがる。

 息が詰まる。

 目の前の少女が、人とは思えない、僕とは違う存在におもえた。




「ダメだよー、ちゃんと学校行かないと。お母さん知ったら悲しませちゃうよ。母子家庭なんだから、れんがしっかりしないと。――あぁ、それと」



 

 少女がポッキーを噛み砕いた。

 凍てつくように冷めた双眸が、僕を射抜く。




 そんなことしてお金を稼いだらダメだよ。私も悲しいし? そもそも、前提として、でしょ?」




 言葉がでなかった。頭がまっしろに塗りつぶされていく。

 不快な感覚が脳髄を駆け巡った。



 あってないような襖の向こうには、母さんがいるというのに。

 アゲハは声を落とすこともなく、落ち着いた声量で、秘密を暴く探偵のような面持ちで事実を突きつけた。




「あ……あ、あ……ッ」


「れん?」




 自分の部屋なのに。

 唯一安心できる世界だったのに。

 早く出て行きたいという衝動に駆られて、僕は逃げるように家を飛び出した。




「あれ、どこか行くの、蓮ちゃん――」




 母さんの呼び止めに、僕ではなく、正体不明の謎の少女アゲハが返答した。




「学校に財布を忘れたみたいで、慌てて行っちゃいましたぁ♡」


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