第27話 2008年8月18日 竜神参りと力返しの儀
僕は大あくびをしながら居間のテーブルの前に座っていた。昨夜は花火と祭りの屋台ではしゃいでしまい思いの外寝不足だ。
品数の多い朝ごはんにもすっかり慣れてしまっていた。神奈川に帰った時に朝ごはんが足りないなんてことになってしまいそうだ。
「昨日花火してきたんだものね。疲れちゃった?」
「楽しかったか?」
祖父母が笑顔で僕の反応を待っている。孫が夏を満喫しているのを嬉しがっているのが分かるのだがそんな風に見られると気恥ずかしい。僕は素直に楽しかったことを認める。
「うん。楽しかったよ」
楽しさを伝えるために口から出た単純な言葉は小さい子のようだった。言った後で僕は思わず恥ずかしくなって俯く。遊んだ後の疲れというのは清々しいものだ。肉体的な疲れが気にならない。
「『妖怪退治の儀』は行われなくて残念だったけど商品は山分けって良かったわね。お米は帰る時に一緒に車で持って帰りなさい。野菜とお菓子もそれと……他にも何かあったかしら……」
祖母があれこれとお土産を考えているのは僕が神奈川へ帰る日が近づいているからだ。僕が呼子村にいる時間もそう長くはない。
「いいよそんなに……」
「それと今日はお祭りの片づけをしたあと“竜神参り”をするからね」
「ああ……そう言えばそんな儀式があるって言っていたね」
僕は白米を口に運びながら頷いた。
「“竜神参り”から帰ってきたら“力返しの儀”をやるから今日は忙しいわよー!と言ってもそんなに大変なことはないから」
祖母は穏やかな笑みを浮かべた。
その後祭りの片付けに参加したのだが竜の力を失った僕は見事に役立たずとなっていた。「あれ?火差君もっと力なかったっけ?」なんて大人達から笑われる。
額の汗を拭って顔を上げると錬が苦しむ僕を見てニヤニヤしていた。笑ってないで手伝えよ!と思ったけど僕だって竜がいなくたってできるというところを見せつけてやりたい。再びテントの支柱を両手に抱え込み直すとズカズカと道を歩いた。明日全身が筋肉痛に襲われそうだ……。
同じく祭りの後片付けを手伝っていた祖父母と合流すると僕は永久湖へ向かった。他の五家の子供達も両親を引き連れて永久湖へ向かって歩いて行く。暑さのせいで皆無言、あるいは「暑いですね」と言いあうぐらいの会話しかしなかった。
昼間の永久湖は穏やかで夏の鋭い日差しを受けて湖面を輝かせていた。夕暮れ時に見た何かが這い出てきそうな光景とは大違いだ。湖の前には神主が控えていて棒に和紙が貼り付けられた、お払いの時に使用する神具を手にして待っていた。白髪交じりのおじさんは日陰にいたものの、和装は暑そうだった。額から汗が噴き出している。
「皆さんお揃いでしょうか。竜神参りを始めさせて頂きます」
そう言うと神主が湖の前に並んだ五家の子供達の前で祝詞を読み上げ始めた。僕には何を言っているのか全く理解できなかったけれども黙って手を合わせる。ついでに竜へ謝罪と感謝を心の中で呟いておいた。
5歳の時の僕が失礼なことをしてしまってごめんなさい。でもお前のお陰で僕は大切なことにいろいろ気が付くことができたよ。こんなことを言うと変に思われるだろうけど竜になることができて良かった。
僕らが祈っている最中に風が一瞬だけ強く吹いた。肌にまとわりつくようなむわっとした空気を吹き飛ばす、心地良い風だ。
「僕さ。妖怪退治をやってこの世には悪いとも良いとも言えないことがあるんだなって思った」
「突然どうした?
竜神参りが終わり永久湖の前でしばし五家の者達が井戸端会議を始めた時、僕を含め五家の子供達も木陰の下で集まって話をしていた。茶化す
「違うって!ほら。妖怪退治って僕らや村の人達にとっては正しい行いだったじゃない。でも虐げられて妖怪と呼ばれた人たちにとっては酷い行いになる……。正しいと思う行いも実は悪いことかもしれないっていうのを考えなきゃいけないんだって思ったんだ」
優しい朔君らしい考え方だった。それを聞いて錬はふーっとため息を吐く。
「大体絶対正しいことなんてこの世にないだろ?そんなの考えてる暇はない。その都度自分で良いと思った方を選ぶしかねえ」
「うわあ……。錬ってば不良発言。あたしもそう思うよ!だったらなるべく両方にとって良い方を選びたいよねー。
木楽さんが木の下に座りながら元気よく意見をまとめた。隣に座っていた水嵩さんも湖を眺めながら呟く。
「本に載っているようなことでも事実をそのまま言い残しているってわけじゃなかった。都合の悪い部分は良いように言い換えられてる……。でもそれはお互いを守るためのもので……うーん……。難しい」
「そうだ!義人君いつ帰るの?」
僕は木楽さんから不意に声を掛けられ我に返った。まさかここで僕が話す番になるとは思っていなかったからだ。
「23日の朝9時ぐらいには父さんが迎えに来る予定」
「えー!もうすぐじゃん!
水嵩さんは一拍置いてから遠慮がちに「25日の夕方かな」と答えた。
「うわーっ。寂しくなっちゃうな。折角妖怪退治した仲なのに」
木楽さんが大袈裟にがっかりしている。その様子を見て錬が携帯電話を弄りながら鼻で笑った。
「元の3人に戻るだけじゃねえか。それに
「あのね?この瞬間はもう2度と訪れないんだよ。あたしだって高校受験したら呼子村を出てく予定だし、2人だって来年同じタイミングで来るかも分からないんだから」
薄々勘づいていたけど多分僕らが全員揃って遊ぶのは今年が最初で最後な気がする。必ず来年会おうという約束でもしない限り自然に集まるのは不可能だろう。「来年も絶対会おうね」なんて約束をするほど僕らは幼く、無邪気ではなかった。
「まあ、お互いこれが最後でも元気でいようね!今年の夏は変で楽しかったよ!」
僕らは木楽さんの言葉に大きく頷いた。木楽さんの言っている通り。今年の夏は一味違ったおかしな夏だったけど今までのどの夏休みよりも楽しかった。
多分この夏のことを僕は大人になっても覚えていると思う。そんな不確かな自信がある。
そのあと特に別れを惜しむでも、今後のことなど何一つ話すことなく五家の子供達は解散した。あっけない関係のように思えるけど人間関係というのはこんなもんじゃないか。
出会っては別れ、別れては出会う。その繰り返しで特定の人と一生一緒みたいなのは多分ない。
祖父母と家路につくと僕はすぐに“力返しの儀”を行うことになった。力呼びの儀を行った場所と同じ、家の側にある
「じゃあご先祖様に力を返しましょうね。もう1度この水を飲んでご先祖様に感謝して終わり」
僕はそれを聞いて少し驚いた。竜の力を返した時と同じだったからだ。
祖母の目を盗んで水をばれないように足元にこぼす。そもそも僕はご先祖様の力を降ろしていない。はじめからずっと竜の力だったので返すも何もないのだ。
祠の前で手を合わせ義明さんに感謝を述べる。
僕を、竜を助けてくれてありがとう。僕は書物に残っていないあなたの立派な行いを忘れません……。
一連の儀式が終わり、これで妖怪騒動は終わり!と喜びたいところだが確認したいことが1つだけ残っている。
僕は力返しの儀を終えるとそのまま自転車に乗り込んだ。
「どこに行くの?」
力返しの儀の片づけをしていた祖母が首を傾げる。
「ちょっと『民宿 竜泉』まで行ってくる」
僕が会おうと思っていた相手は初めて出会った時と同じ場所に足を組んで座っていた。
シャツに黒いスラックスというシンプルなスタイルでも絵になるようにその青年は座っていた。こういう時に僕は「イケメン」ってすげぇなと思う。木楽さんが熱狂する理由が少し分かった気がした。
「やあ。片付けお疲れ様」
僕はサンダルを脱いでそこら辺に置いてあるスリッパに履き替えると
「あの『妖怪退治の儀』で使う人形を配置したのって春明さんですよね?」
その問い掛けに春明さんは片眉をあげて面白そうに聞いていた。
「春明さん、はじめから全ての
一体春明さんって……何者なんです?」
春明さんはソファにふんぞり返ったまま天井を見上げた。答えを考えているらしいがすぐに何か思い付いたのか真剣な表情で僕に言った。
「僕の正体は……。あの日本で最も有名な陰陽師、
そこで
僕は春明さんの熱弁を冷めた表情で見ていた。真面目に聞いた僕が馬鹿みたいだ。僕の表情に気がついた春明さんは端麗な笑みを浮かべた。
「そんな顔しないでよ!もちろん冗談さ。本当は安倍晴明の弟子の弟子の……子孫ってところかな。
純粋にこの村の歴史研究に来ただけだよ。妖怪が出現しはじめた原因は僕じゃなくて君だったろ?」
僕はその言葉に押し黙った。結局黒幕は僕で春明さんは何者でもなかったのだが納得できない。
「だったらどうして僕が竜だってすぐに教えてくれなかったんですか?全部そうですけど春明さん、今回の妖怪退治の真相、全部分かってたんですよね。敵じゃないなら尚更ですよ」
春明さんが敵ではないことは分かっていたが僕らを誘導するだけで答えを教えてくれないことだけが解さなかった。妖怪退治のヒントを出すなんて回りくどいことをしていたのか真意を知りたい。
春明さんは爽やかな笑みを浮かべ僕を真っ直ぐに指さした。
「答えが重要なんじゃない。答えに辿り着くまでが重要なんだよ!それを五家の皆に学んで欲しかった」
僕は呆然と春明さんの指先を眺めていた。
え?そんなこと?教師みたいな理由に僕は力が抜けた。なんだ……やっぱりただの変な歴史研究者だったのか。
「てっきり春明さんが妖怪だと思ってました」
「面白いこと言うね」
僕と春明さんは腹を抱えて笑い合った。こうして春明さんと話すのも最後かと思うと少し寂しく思う。胡散臭くはあったけどこうやって腹の中を探り合うのはなかなか楽しかった。
「僕、23日に神奈川に帰るんです」
「そっか。もう夏休みも終わりか……。気をつけてね」
「春明さんも。さようなら」
そう言って春明さんは片手をひらひらと振って民宿の玄関まで僕を見送ってくれた。民宿の外に出た瞬間、背中越しに何か春明さんが言っているような気がして振り返る。
何故か民宿の出入り口に置かれたソファには誰もいなかった。もう春明さんは部屋に戻ってしまったんだろうか。
僕は自転車に跨ると祖母の家に向かってペダルを踏み込んだ。
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