第24話 2008年8月16日 五家祭り4日目(2)
僕は雨でびしょ濡れになりながら家に駆け戻った。サンダルの中に水と砂が入ってきて足が気持ち悪い。土や草が入り混じったような独特な香りが僕の鼻を刺激した。水に匂いはないけど雨が降る時は決まってこの匂いがするんだ。
「あら。雨に当たっちゃったのね。今タオルを持って来るから待ってて」
祖母は慌ただしく洗面所からバスタオルを引っ張りだしてくると玄関に立ち竦む僕に手渡した。
「ありがとう……」
僕はバスタオルで全身を拭くと家に上がった。念入りに足の裏を拭く。
つけっぱなしのテレビはずっとオリンピックの映像を映していた。襖を挟んだ隣の部屋で僕は着替えを済ませると扇風機にあたりながら今後のことを考える。
今夜僕は1人で永久湖の
自分自身に刃を突き立てたくないし五家の子供達の武器の餌食にもなりたくない。
僕は春明さんに聞けば何か解決方法が見つかるかもしれないと思ったけどこれ以上敵を増やしたくない。春明さんは何故か僕の素性を知っているようだった。もっと自分を知った方がいいという発言が今になって意味を成す。
誰に聞いても竜人になった場合の対処法なんて分からないだろう。だから僕は本能のまま動くことにした。
僕が戻りたかったのは
辛いのは五家の子供達から「妖怪」と同じように見られることだ。あの異質なものを見る目に慣れそうもない。
僕はここにきて悲しみとは少し違う、失望でもない……心にぽっかりと穴が開いたような気持になった。
なんだかんだ言って五家の皆で村を駆け回るのは楽しかったんだよな。
夕暮れがやってきた。今日は天気が悪いせいで雲が分厚い。薄っすらと雲の一部分が朱色に染まっているのが確認できる。いつもより薄暗い。
僕はまだ生乾きのサンダルに足を通すと祖母に声を掛けて外に出る。懐中電灯と家宝の太刀を腰に装備した。この準備も今日で最後だと思うと何だか感慨深い。
僕は今まで避けてきた永久湖の方角を眺めた。ずっと戻りたいと思っていたのは呼子村ではなく永久湖だったのだと気が付く。
武器の代わりに傘を持って行ったことのを思い出して笑った。
正義感が強くて頼りになるリーダーの
見た目はヤンキーだけど誰よりも冷静で思いやりのある
怖がりだけど優しい心を持っていざという時に力を発揮する
場の雰囲気を和らげ五家を緩くまとめ上げてくれる
妖怪退治前に五家の子供達の声が聞こえてこないと落ち着かない。少し前までは1人でも楽勝だろうと思っていたけどいざ1人になるとこんなに心細くなるとは思わなかった。確か僕のご先祖様も1人で竜退治をするって他の五家の武士達に伝えて戦いに出たらしいけどこんな気持ちになったんだろうか。
寂しさはあるが恐怖はない。自然と足が永久湖に向かう。
雨で濡れた畦道を暫く道なりに歩いて行くと突然木々で覆われた空間が現れた。木々の先に永久湖がある。木々の隙間から小さな赤い鳥居が見えて神社を確認することがきた。僕のご先祖様が竜を祭るように提案して作ってもらったであろう神社だ。
湖を正面から見ることのできる入り口に辿り着いた。木々が生い茂り薄暗い湖は底知れぬ不気味な雰囲気を醸し出していた。楕円形の湖の円周は小さくこじんまりとしていたが空と同じ鈍色の水が静かに
虫の声が1つもしない。この湖の周辺に生命体が消え失せてしまったようで僕は緊張感を高めた。
腰に引っ掛けた太刀の柄に手を掛けながら湖に足を踏み出す。
何もなかった上空や茂みに妖怪が現れる。人とは違う形を取ったそれらは今までの主の領域よりもずっと数が多い。
僕はゆっくりと太刀を抜くと襲い掛かってくる妖怪だけ退治した。暴れ出したい、何もかも消したいという気持ちが湧き上がってくるのを抑える。永久湖に足を踏み入れてから僕の心は荒れていた。
襲い掛かってきた妖怪を両断した瞬間、僕の目の前に倒れこんだのは着物をきた、過去に生きていたであろう男性だった。
僕は思わず目を疑う。
僕が切ったものは妖怪ではなく過去に生きた人間だった。
僕は驚きで声がだせなかった。
憎悪に溢れた瞳で男性は僕を見ていた。男は錆びついた刀を持っていたが僕の一撃によってその場に倒れた。
呼子村と湖は何処かへ消え失せ僕はどこかの戦場に立っていた。あちこちに人が倒れていて……遠くの大門から鎧兜を被った人が出てくるのが見える。本能的に危険を感じた僕は走って逃げた。
次に現れた場面は永久湖だ。たどり着いたころにはへとへとでとんでもない空腹を感じる。何日も飲まず食わずで走ってきたような感覚がした。
苦しい。僕は何でもいいからお腹に何かを入れたくてたまらなくなった。
耐えきれなくて思わず目の前に広がる湖の水に飛びつく。夢中になって水を手で掬って飲む。不思議なことに湖の水を飲むたびに力が湧き上がってくるような気持ちになった。
腕に違和感があって僕はふと自分の右腕に視線を移した。
……腕に鱗が生えている。
僕は驚いて湖から離れるとその場に尻もちをついた。よく見ると左腕にも、両足にも鱗がある。
「何だあの薄汚い奴は……」
「余所者だろう。出ていけ!」
いつの間にか現れた村人に石を投げられる。
“そんな……。都を追いやられてやっとここに辿り着いたのに!”
僕ではない声が村人たちに訴えかける。
誰も僕から発せられる言葉に耳を傾ける者はいなかった。投げつけられる石が煩わしくて軽く払う仕草をすると石は信じられない威力で村人の方へ飛んで行く。例えるなら鉄砲の銃弾のような威力だった。
村人は僕のことを余計に恐怖と侮蔑の入り混じった目で見た。
「こいつ化け物だ!」
「ひいっなんだ?よく見ろ鱗があるぞ。人じゃない。早く殺せ!」
怒りに震えた。息も絶え絶えにここまで逃げ落ちてきたのにこの仕打ちだ。僕が村人たちに何か危害を加えただろうか?何か迷惑をかけただろうか。
都でもそうだった。
それは違うと異を唱えれば反逆の意思ありとみなされ排除される。最近は摂政殿の力が凄まじい。
気に入らないことだがいつの時代も悪賢く立ち回れる者が莫大な富を得る。弱者は大人しく我慢して生きていくしかないのか……。
それが間違っていると思ったから行動を起こしたのに敗北した自分は結局「悪」になってしまった。いくら道理が通っていて正しい行いだったとしてもだ。
僕は自分ではない思考に頭を振る。一体僕はどうしたんだろう。
僕の心はやるせなさと怒りで支配された。
頭の回る者と力の強い者が弱者を踏みつぶしてどうする?どうして他より優れたその力をこの世がいい方向になるように使わない。弱者を助けようとした自分がどうしてこんな惨めな目に遭っている?
気がついたら僕……いや過去に竜人になってしまった青年は鳴き声を上げていた。その声は人の物じゃない。気がついたら僕の体は宙に浮き、長い尾を持った竜となっていた。
湖が、地面が、体中が震えるような音だった。
竜が鳴いている。
まるで虐げられた人々の魂に呼び掛けているようだ。
僕はここで邪竜が妖怪を呼び寄せているという祖母の話を思い出した。
僕の意思に構わず竜は上空から勢いよく湖に入る。僕は顔に冷たい水が当たる感覚がして思わず目を瞑った。
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