第18話 2008年8月14日 五家祭り2日目(2)

 夕暮れ時。空が茜色に染まりかけ昼でも夜でもない狭間の時間。まるであの世とこの世の間に連れていかれてしまったような心細い気持ちになる。


「見回りのこと聞いたけど、本当に1人で大丈夫かい?」


 祖母が心配そうに話しかけてくる。


「大丈夫。他の子達もいるんだし。遅い時間は大人がやるから」

義人よしと!クマの戦い方教えようか?」


 僕はファイティングポーズをする祖父の冗談に笑った。


「何それ。大丈夫だって。じゃあ行ってきます!」


 さりげなく玄関から蔵の鍵と花火セットを拝借し僕は妖怪退治へ出かけた。


 集合場所であるシャッターの降りた『売店 とわこ』の前まで走った。途中で田んぼや草むらに妖怪を見つけ準備運動がてら太刀を振る。鞘から太刀を出すのもしまうのにも慣れてきた。


 鞘も太刀紐によって僕のズボンのベルト通しに通しているのでしっかりと鞘が左側に固定されている。昨夜甲冑を合わせてもらったときに太刀紐という存在を知った。ベルトに直接太刀を挟むよりもはるかに安定している。こんな代物があるなら最初っから使いたかった。


 すでに4人が揃っていて木楽きがくさんが僕に向かって手を振る。僕は太刀を鞘に仕舞うと小さく木楽さんに手を振りかえした。

 それぞれが手にしている武器さえ見なければ僕らはこれから花火で遊ぶ子供達にしか見えないはずだ。残念ながらこれからどこかに討ち入りに行くようにしか見えない。


 意外なのは1番妖怪退治に消極的そうだった錬がきちんと槍を持って集合場所にいることだ。ただあくびをして緊張感がなさそうだったが……。


「昼にも作戦は話したけどその通りにね。何かあったら携帯電話のある人は連絡して。もしかしたら繋がらないかもしれないけど……。万が一の為に火差ひざし君、花火持ってきた?」


 水嵩みずかささんに言われ僕は打ち上げ花火パックを掲げる。木楽さんとさく君が歓声を上げた。僕は手際よく5人に打ち上げ花火と仏壇の近くにストックされていたマッチ箱を配る。


「じゃあ行こう」


 そう言って僕らは売店から互い違いの方に歩みを進めた。

 僕と錬は村を東側、水嵩さんと木楽さん、朔君は西側から歩いて村を半周する。その際確実に悪妖のぬしがいる学校は歴史書の通り木楽家と鐘崎家で対処してもらうことになった。水嵩さんがサポートの為に2人についている。


 僕は懐中電灯を手に先を歩く錬の後ろを歩いた。主と対峙する3人が心配というより僕が主を倒したかったという思いの方が強かった。

 ああ。学校の方に行きたいな……なんて思いながら3人が走っていった方角を眺めていたら錬が振り返って僕に言った。


「お前さ本当は呼子村のことなんてどうでもいいんだろ?妖怪退治も人の為だなんて思っちゃいない」


 僕は錬の言葉に固まった。そんな僕に構わず錬は質問をぶつける。


「何が目的でここに来た?」


 その質問は僕自身もずっと考えていた疑問で心臓を鷲掴みにされたような心地がした。


 そうだ。僕はずっと







「妖怪は少し見かけるぐらいで昨日ほどじゃないね。大丈夫そう?朔君」


 樹里菜じゅりなが僕と水嵩みずかささんを先導して畦道を歩く。五家の中で一番年下の僕を気遣って声を掛けてくれるけど落ち着かない。


 妖怪をちらほらと見かけるけど人に悪さをしていない、数が少なければ見逃そうということになった。今回の目的は学校に潜む悪妖のぬしを倒すことにある。主さえ倒せれば妖怪の発生も抑えられると水嵩さんが言っていたから必要最低限の戦いで済ませるつもりだ。


 「うん」と樹里菜に頷いてみせるけど声が思ったよりも出ない。何だか格好悪いな……僕。


 僕は怖いものが嫌いだ。幽霊とか妖怪とかゾンビとか……とにかく見た目が恐ろしいものが怖い。お化け屋敷も1人じゃ入ることができない。


 なのに僕のご先祖様は妖怪を退治して呼子村を守るぐらいに強かったみたいだ。その子孫である僕はとんでもなく臆病者なのに。


『君たちにしか呼子村を守ることはできない』


 8月から僕の民宿に泊まっている春明はるあきが言っていた。

 その時考えちゃったんだ。多分他の人が聞いたらがっかりするようなことを。


 “どうして僕なんだよ”って。僕よりも勇敢で力のある人はこの村にたくさんいるのにどうして僕が妖怪を退治しなきゃいけないんだろうって思っちゃったんだ。


 こんなに怖い目に遭うなら五家の子供になんか生まれたくなかった。

 だから僕はずっと逃げていた。樹里菜に「春明様から連絡が来たよ」って電話があっても宿題とかお腹が痛いとか……。適当な理由を付けて妖怪退治にいかなかった。春明に教えてもらってこっそり家宝の武器を持ち出して妖怪を切りつけた時の感覚を思い出すと手が震えた。


 妖怪がこの世の生き物ではないとしても消してしまうことに胸が痛んだ。刀を振った時に心なしか悲しそうな顔をしているように思えたから。


『臆病者……そんな心持ちでは誰も救えない』


 他所から来た火差家の子供、義人よしとにはっきりと僕の弱みを言われたときはカチンときた。事実をはっきりと言われてムカついたんだ。


 だけど義人が1人で妖怪が群がる学校へ走っていったのを見て心が揺さぶられた。義人は恐怖よりも人を守りたいという思いが強かったんだ。そう考えると義人の後ろ姿が最高に格好よく見えた。普段は穏やかそうな雰囲気なのに。


 義人が走っていくのを合図に五家の子供たちが次々に足を前に踏み出す。その姿を見て気がついたら僕も彼らの後を追って走っていた。


 僕でも前に向かって走れるんだ……。


 走りながら僕は小さな自信を持つことができた。周りの人が反対方向に走っていくのに僕らだけが妖怪の群れに向かって走っていく。その光景が今でも瞼の裏に焼き付いている。


 そのあとやっぱり怖くて妖怪の攻撃を避けるだけだったけれど僕にとっては大きな一歩だった。

 僕と樹里菜が通う呼子小中学校に近づくにつれて何だか落ち着かない気分になる。昼間の学校とは違う、夜の学校は静かで僕の知らない建物みたいに見えた。


 正門までやってきた時、水嵩さんが振り返って僕らに言う。


「じゃあ昼に話した通りにね」


 僕は樹里菜と視線を合わせると緊張に顔を強張らせながら頷いた。なんてったって呼子村の歴史書に悪妖の主を倒したのは僕と樹里菜のご先祖様だって言うんだ。だから僕は悪妖の主と戦わなくちゃいけない。

 樹里菜は僕の背中を強く叩いた。背中がひりひりする。もう少し優しくしてくよ……。


「大丈夫!あたしと朔君のご先祖様が倒せたんでしょ?だったらあたし達だって倒せるって!」


 樹里菜の励ましに出かかった文句を飲み込む。うん。大丈夫。僕だけじゃなくて樹里菜も水嵩さんもいる。僕は大きく息を吸い込んだ。


「よし。行こう」


 僕たちは正門に足を踏み入れた。異空間に足を踏み入れたかのような不思議な感覚に襲われる。これが義人の言っていた主のテリトリーに入ったってことなんだろう。

 妖怪の群れがどこからともなく現れた。空を飛んでいる物、地面を這う物、盆踊りの舞台で暴れまわる物……。


『火差君の発言の通りになるべく妖怪達に気が付かれないように石碑まで近づこう』


 昼間水嵩さんが言っていた作戦通りに静かに学校の裏へ回る。それでも何匹かはこちらに気が付いて此方に近づいてくる妖怪もいる。

 僕はあらかじめ鞘から抜いた刀を構える。刀なんてこの夏休みに初めて持った。義人の太刀よりは短いのだがそれでも手にずっしりとした重さを感じる。


 刀を振ることを躊躇っていたら樹里菜が僕の目の前に飛び出してきた目がひとつしかない妖怪を薙刀で突いてくれた。僕の目の前で妖怪が灰のように消える。


「あ……ありがとう。樹里菜」


 僕はまた刀を振ることのできなかった。妖怪のいる場所に向かうことができるようになったのは大きいけどまだ戦うことのできない自分が嫌になる。


「早く先に進もう」


 水嵩さんが矢を放ちながら僕らに声を掛けた。不思議なことに水嵩さんが放つ弓矢は必ず当たるし放ち終わった矢がまた矢筒に戻るのが何とも奇妙だった。あんなに古びた矢じりが何かを貫けるとは思えないのに妖怪を次々と消していく。


「凄い……。何あれ」

「面白いよねー!憂美ちゃんの武器!矢が生きてるみたい」


 樹里菜が僕の横を走りながら笑っている。樹里菜の薙刀も不思議で振り回しても全く音が聞こえないのだ。こんな風に五家の武器は変わっている。ご先祖様は特別な力を持った武器を活かして戦ったというけど僕はできていない。

 春明が“目くらましを祓う”と言っていたけど何のことか分からないままだった。


「私が他の妖怪を退治してある間石碑のところまで走っていって!今の数のままだったら一人で大丈夫そう」


 学校裏に到着した僕らは二手に分かれる。樹里菜と僕がこの前義人がいたところまで行く。夕暮れ時の校舎裏の不気味さに僕は思わず身震いした。昼休みにこの周辺で鬼ごっこしていたのが考えられない。

 石碑がある坂の周辺に妖怪は少ない。校庭の賑わいと逆に静かなのが余計に恐怖を煽る。

 姿が見えないのに確実にそこに何かいるのが分かった。


「朔君、何か見える?私何も見えないんだけど……」

「僕も何も見えないよ……」


 石碑やフェンスの向こう側に目を凝らせど何も見えない。ただ何かが近づいてくる足音だけが耳に聞こえる。

 恐怖感だけが高まっていく。どうしよう。早く主を見つけなきゃ……。


 僕は風もないのに大きく揺れるフェンスに向かって大きく刀を振った。焦りと恐怖から何もないはずの空間を切ったんだ。


 刀は空を切ったはずなのに手には何かを切ったような感覚があった。


「何だ……これ」


 目の前の景色がまるでカッターで切られたような裂け目が現れて、その中から新しい景色が現れたんだ。


 例えるなら写真が2枚重なっていて1番上の写真をカッターで切ったら後ろにあった写真が見えるようになったような光景だった。トリックアートがある空間に迷い込んでしまった感じがして僕は思わず自分の目を擦る。

 フェンスに今まで姿が見えなかった妖怪の姿があったのだ。しかも今まで見てきた物よりもはるかに大きい……。


 姿を見られた妖怪が動物と人の声が混ざり合ったようなおぞましい声を上げる。僕は怖くて思わず後退った。


 フェンスから降り立ったのは巨大な蜘蛛のような妖怪だ。顔のようなものがあるけれども目や鼻がない。鳴き声を上げているので口はある。


 蜘蛛の体つきをしているが所々で人のような形状をしている部分があるのが怖い。しかも牛ぐらいの大きさがあるんだこの蜘蛛。


 僕の足音に反応して悪妖の主、土蜘蛛は僕に狙いを定めた。

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