第15話 2008年8月12日 起源

「隣の山村さん、動物に後ろから突進されたらしいの」


 祖母からそんな話を聞いて僕は思わず箸を畳に落としてしまった。


「驚いた?昨日の夕暮れ時、後ろからだったから何がぶつかってきたのかは分からないんだけどね。転んで足首と腰を痛めてしまったらしくて可哀想に……」


 僕は箸を拾い上げながらぶつかってきたのは妖怪だろうと考えた。多分僕らが妖怪退治に向かわなかったからだろうか。


「祭りの時は動物に気を付けないとね……。義人も気を付けて。夕方もあまり外に出ないようにね」

「うん。分かった」


 僕は素直に頷くと箸を手に台所へ駆け込んだ。箸を水で軽くすすぐと再び居間のテーブルの前に胡坐をかく。

 そうだ。僕のせいじゃない。何も後ろめたく思わなくていい。

 五家ごけの妖怪退治への士気を下げたのは紛れもなく僕なのに村民が怪我をしたのは自分のせいじゃないと何とか言い聞かせる。


「小学生の子供達も妖怪がやったんだって言って怖がってるらしいの。祭りが近いから影響されちゃったのかしらね」


 僕は黙々と朝ごはんを食べ進めた。


「そうだ。お盆飾りができたからお線香あげてから祭りの準備に行って頂戴」


 祖母に促されて僕は朝食を取り終わるとお盆飾りが施された部屋に足を踏み入れた。僕が普段寝泊まりしている部屋、襖を挟んだ隣の部屋だ。

 僕は香炉とお鈴の前に正座すると蝋燭から線香の火をつける。呼子村に来てから僕は随分祈るという行為を繰り返しているように思う。神奈川にいるときは初詣でしか祈る機会はない。


 低いテーブルの上にキュウリとナスの置物が飾られている。確か精霊馬と精霊牛と言った気がする。ご先祖様が乗る乗り物だ。他にもくだものやお菓子がお供えされている。


 僕は親戚にしても家族にしてもそうだけど人の繋がりというものを鬱陶しく感じていた。父と母、妹は五月蠅くて最近は一人になりたくて仕方がない。今だって五家の子供達との関係を拗らせてしまい人間関係が嫌になっていた所だ。

 僕はお鈴を鳴らし手を合わせた。


 五家祭りの準備は着々と進んでいた。盆踊りの会場が校庭のど真ん中に出来上がっている。屋台のテントも並びいよいよ祭りが明日から始まるのだという雰囲気が感じ取れた。


 祭りの準備会場で五家の子供たちをそれぞれ見かけたけれど皆自分に与えられた仕事をこなし会話をすることはなかった。昨日の僕の発言のせいである。僕も敢えて五家の子供に話しかけることは無かった。


 あれは僕が考えて発した言葉じゃないけど今になってあの発言は正しいものだったんじゃないかと思う。


 五家の子供たちは誰もこの村の窮地を真剣に考えていなかった。考えていたとしても行動できていない。

 本当のことを言って何故僕が悪者みたいになるんだ。思い出して一人で苛立つ。

 だったら僕一人で妖怪退治を終わらせればいいんじゃないか。妖怪を倒す快感も味わえるし五家の子供達に見せつけられるし一石二鳥だ。あの太刀さえあれば怖いものはない。

 僕はある人物を探し始めた。


「やあ。早かったね」


 初めてあった時と同じように民宿のエントランスに春明はるあきさんはいた。本を手に玄関に立つ僕に声を掛けてきた。まるで僕を待っていたかのような言い方だった。

 周りの大人から今日は民宿で歴史の研究をしていると聞いたので急いで僕はここにやってきたのだ。


「春明さん。お久しぶりです。聞きたいことがあって」


 僕は玄関でサンダルを脱ぐと適当に近くにあったスリッパに足を入れる。頭にかぶったキャップを外して手に持つ。春明さんの目の前に立つと一息に言った。


「妖怪が出る場所と倒し方を教えてください」


 春明さんは本から目を離すと柔らかな笑みを浮かべながら僕を見た。

 水嵩さんから見解を得られない今、春明さんに聞くのが手っ取り早いと思ったからだ。僕らにとって彼が敵かどうかなんてこの際どうでもいい。有益な情報が得られるなら多少危険があっても仕方ないと僕は考えた。


「どうして?」

「悪い妖怪が……人を襲うから。僕がどうにかしようと思って」


 もっともらしい理由を述べる。


木楽きがくさんとさく君には伝えたはずなのにな。五家ごけが協力しなければこの村は守れないって」


 僕は唇を噛み締める。はじめは五家の皆でやろうって話していたけれども僕の余計な一言があったせいで無くなってしまったことは言わないでおくことにした。自分の落ち度を明るみにしたくない。


「皆そんな気分じゃないみたいです。なので僕一人でも妖怪をどうにかしようと思って」

「それは本心かな?」


 春明さんの問いに僕は顔の筋肉が固まりかけた。何とか悟られないように驚いた表情を浮かべて見せる。


「え?どういうことですか」

「村を悪妖から守りたい。それは本当に君の本心なのか?」


 春明さんの切れ長な目が僕を捕らえる。僕の心の中は僕しか分からないはずなのに春明さんには全て分かっているような気がしてしまう。


「はい……」


 かすれた声で返事をすると春明さんは再び本に視線を落とした。


「そう。僕の推測でよければお話ししようかな」


 僕は春明さんの正面に位置する椅子に腰かける。


「今まで木楽さんと水嵩みずかささん、土鞍つちくら君に妖怪の居場所を送っていたのは全部過去の書物を読んだ推測を元にしている。

 この村に来て初めて学校付近で妖怪を見た時に閃いたんだ。呼子村よぶこむらが再び悪妖が蔓延はびこる千年前の姿に戻ってるんじゃないかって。まあこんなことを考えてしまうのは歴史研究家の悪い癖だよね。つい今起きている事象と過去の出来事を重ねてしまう。

 すぐに朔君と木楽さんには僕の考えを伝えたよ。この村で妖怪退治と言えば五家だからね。しかも偶然かそれともそうなる運命だったのか……。五家祭りの為に呼子村に五家が揃う年だった。」


 春明さんは僕らに妖怪退治を提案するまでの経緯を話してくれた。


「すぐにピンときたよ。これか五家が妖怪退治を再現するために起こっている出来事だってね。だから木楽さんと朔君に五家に伝わる武器で妖怪を退治してもらったらまあこれが大当たり!上手く対処できたってわけだ」


 春明さんが妖怪や呼子村に詳しいのは歴史研究をしてきた知識のお陰であり妖怪をおびき寄せているような怪しい人間以外の何かではないことが分かった。胡散臭い雰囲気が漂っているのは否定できないけど。


「ごめん。呼子村って妖怪のことで有名だから妖怪についても研究していたら詳しくなっちゃって……。実際に妖怪を目の当たりにした君たちにとって僕ってば怪しい奴だよね」


 春明さんは笑いながら頭を掻いた。


「いえ……そんなことは。春明さんが研究から情報を得ているのは分かりました。だけど時間はどうなんです?妖怪が発生する時間までは分からないですよね?」


 春明さんは僕の核心を突いた問いかけに一瞬うーんと考える素振りを見せた。答えに悩んでいるようだ。


「それはね……。上手く説明できないんだけど。勘だよ」

「は?」


 僕は間抜けな答えに思わず声を上げてしまった。その反応を見て春明さんは申し訳なさそうな表情で会話を続ける。


「昔から霊感が強くて。強い反応があると気が付くんだ。それぐらいしかタイミングについては話せないかな。ごめんね」


 僕はもっとそのことについて追及しようと思ったけどやめた。僕が今知りたいのはそういうことじゃない。春明さんも話題を逸らすように僕に質問を返した。


「それで本題に戻るんだけど火差君はどこまで現状を理解しているのかな?」


 僕は春明さんに水嵩さんが教えてくれた情報と木楽さんから得た情報を話した。春明さんは相槌を打ちながら僕の話を興味深く聞いている。


「驚いたな……。悪妖のぬしの存在まで調べているとは。夏休みの宿題効果かな」


 僕は曖昧に微笑む。殆ど水嵩さんが調べて考えてくれたことだ。


「学校にある石碑周辺は昔大きな洞穴があってそこに大きな土蜘蛛が妖怪の集団を率いて暴れていたらしい。今はその洞穴らしいところが見つからないんだけどね……。時代の流れで埋められてしまったのかな?それを退治したのが木楽家と鐘崎家なんだ。

 それと廃屋を根城にしていたという鬼。かつて廃屋のあった場所は火差君の家の方角、田んぼの真ん中にあるお墓らしいんだけどそこから妖怪の発生は確認できないんだよね……。書物によると鬼は水嵩家と土鞍家が退治してる」

「へえ……。主の場所も倒した家も分かるんですね……」

「勿論!五家にそれぞれ伝わる家の歴史を伝えた書物を読めば具体的な妖怪退治の方法を載っているよ。僕はまだ木楽家と鐘崎家に伝わる書物しか読んでいないんだけどね。五家の武士達はそれぞれ特別な力を持つ武器を活かして妖怪を倒している」


 僕は春明さんの言葉を聞いて頭を抱えた。その書物の通りに戦わなければならないとしたら木楽さんと朔君の力が必要だ。だけど2人からの協力は得られそうにない今、僕1人でどうにかしなければ。


「そして火差家。君は妖怪退治の総仕上げ役だよ。呼子村が妖怪の巣窟となった全ての根源、永久湖とわこに潜む邪竜じゃりゅうを退治したんだから」


 春明さんが楽しそうに僕を指さしたので僕は眉を顰めた。


「……僕が竜退治役ってことですか。そもそも竜なんて存在するんです?」

「妖怪がいるんだから竜もいるんじゃないかな」


 春明さんの言葉に何も言い返せない。妖怪の存在が認められた今、竜の存在も認めなければならなくなってしまった。


「ああ。それと火差君は妖怪の起源について何か知っているかな?」


 有益な情報も得たことだし、そろそろ民宿から出ようとした時に春明さんがぽつりと呟いた。


「さあ?人が作り上げた空想上の生き物だとしか。昔は科学で説明できないことが沢山あったから……」

「そう言う説もあるね。自然に対しての畏敬の念を込めたという説もある。こういう話を聞いたことはあるかな?妖怪は虐げられた人々を表現したものだって」


 僕は春明さんの言葉を聞いて固まった。


「当時の権力者に歯向かった者達をこの世のものではない“妖怪”に見立てたんだ。そうすればみやこの人間は化け物を退治した権力者を称えるし話も伝わりやすい。妖怪を恐ろしい姿にしてしまえば人々は妖怪を嫌悪するようになって妖怪を打ち倒した権力者の株は上がる。

 妖怪は権力者に歯向かった者だけでなく普通とは違った、少し変わった人間のことも表現していたんじゃないかと思う。差別的な意味合いも含まれていたのかもしれない。

 都から追い払われた人々を更に呼子村で追い払う……。本当に可哀想なことをしてしまったよ。彼らは居場所が欲しかっただけなのに」

「じゃあ僕らは人を退治しているってことですか?」


 自分で言って気持ち悪くなってしまう。だって今までは妖怪という別の生き物だから何の躊躇いもなく太刀を振るうことができたのに。


「そういうことかもしれないね。だからもう少し彼らとの関わり方を考え直すといいかもしれない」


 春明さんは可笑しなことを言う。僕らに妖怪を退治するように言っておいて彼らに同情しているように見えた。やっぱり春明さんは僕らの敵なんだろうか。


「妖怪だろうが人だろうが関係ない。悪い奴にそんな配慮必要ですか?」


 僕がぽつりとつぶやくと春明さんは悲しそうな表情で小さく笑った。


「本当に君は火差家の子なんだな……。その自分の正義に一直線なところが。だけどその考えは君の足を引っ張るだろう。気を付けなさい」


 突然学校教師のように諭されて僕は少しむっとした。誰かから偉そうに指摘されるほど苛立つことは無い。誰かに諭されるということは相手から下に見られているということだ。「知らないみたいだから教えてやる」みたいに聞こえる。それに僕が生まれる前の火差家のことを知っているような口調にまでなっているのが気になった。


「君たちの習っている歴史は全て勝者の歴史だ。敗れたものは悪者として語り継がれてしまう。そんなの悲しいと思わないかい?僕は勝者とか敗者とか関係なく自分の目で世界を見たいんだ。だから歴史を研究してる」


 どうやら僕の考えている暗記科目の歴史と春明さんの学んでいる歴史は違うらしい。でもそんなの妖怪退治に何の関係があるんだろうか。僕には分からない。


「色々勉強になりました。ありがとうございます」


 僕は椅子から立ち上がるとキャップを深くかぶった。春明さんは柔らかい笑みを浮かべる。


「こちらこそ。祭りも明日から始まるし、頑張ろう。それと火差君。君はもっと自分のことを知った方がいいよ。例えば……今までどうして呼子村から遠ざかっていたのかとかね」

「……どうしてそれを……?」


 今の発言について詳しく聞こうとして「春明ー!」という朔君の声にかき消された。僕は朔君と顔を合わせないように踵を返すと玄関へ走った。



「そこらへんを散歩してくるね」


 夕方。そろそろ日も落ちそうな頃、僕は祖母に元気よくそう伝えた。


「最近夕方に出かけることが多いのねえ……」


 祖母が台所から少し顔を出す。


「夕方の方が涼しいからね」

「それもそうね。動物も出るから早く帰ってくるのよ」


 祖母はにこりと笑うと再び台所に戻っていった。

 僕は昨日、南京錠の鍵を最後までかけないように細工した蔵の前に立つ。慣れた手つきで太刀を手にすると夕暮れ時の呼子村へ繰り出した。



 





 




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