第14話 2008年8月11日 バラバラ

 僕はアラーム付き腕時計の音で目を覚ます。

 結局あの後僕とれん木楽きがくさんは3人組の小学生を連れて校舎を去った。校舎を出た瞬間に異空間から解放されたかのような感覚に襲われたのを覚えている。


 帰り道も妖怪が飛んでいたり歩いているのを見かけたけれど僕らを襲うことはなかった。錬と木楽さんがなるべく妖怪と接触しないように道を選んでくれたお陰でもある。3人組の小学生は錬と木楽さんがそれぞれの家に送り届けてくれたらしい。


「おはよう……」

「おはよう。義人よしとよく眠れた?」


 祖母が朝ごはんを居間のテーブルに運びながら笑顔で問いかける。


「うん。もうぐっすり」


 昨夜は太刀を振り回していたから余計に眠ることができた気がする。


「すっかり義人も肌が真っ黒ね。村に慣れてきたんじゃない?」

「確かに黒くなった……」


 僕は朝ごはんを食べながら自分の腕をじっと見る。呼子村よぶこむらに来たばかりの時は部活もやってないから白かったのに今では薄く焼けている。腕の裏は薄っすら白くてみたらし団子みたいなことになっていた。


「おじいちゃんもう出たの?」


 僕は枝豆の入った味噌汁を飲みながらさりげなく祖父の動向を伺う。呼子村の特産品が枝豆ということもあってあらゆる料理に含まれている。呼子村の生活に慣れた僕はもう枝豆がどこに入っていようと驚かない。


「もう出たけど、どうかした?」


 祖母が不思議そうに問い返してきたので僕は「何でもない」と言って味噌汁をすする。どうやら昨夜蔵に侵入して太刀を拝借したことはバレていないようだ。こっそり太刀を戻し、鍵も元の場所に付け直した。


 驚くべきことに昨夜の出来事はほんの少しの間に起こったことらしい。妖怪退治の時間も含め2時間は経ったと思っていたのに実際は1時間ぐらいしか時は流れていなかった。学校から僕の家に戻るまでの時間しかたっておらず妖怪退治をした時間はどうなってしまったのか僕には分からない。


 僕は昨日のことも含めて水嵩みずかささんの見解を聞きたくてうずうずしていたが祭りの準備も手伝わなければならなかった。

 五家祭りまであと2日しかない。


「お前、昨日相当ヤバかったぞ」


 太陽が容赦なく照り付ける校庭に村の男は駆り出されているようだった。僕はキャップのつばを上げながられんを見上げる。首周りに巻いた汗拭き用のタオルが煩わしいぐらいに外は暑かった。

 今日は校庭に祭りの会場を設営している。テントを張ったり看板を出したり……重労働だ。熱中症にならないように実行委員の人がボトルに入った麦茶を配っているのが遠目に見える。


 設営したばかりのテントの下で陽を避けながら僕らは話していた。僕は校庭の土の上に座って錬は隣に立っている。

 錬はタンクトップで涼しそうだったが余計に田舎ヤンキーっぽさがにじみ出て威圧感が増している。僕も錬に倣ってTシャツの袖をまくり上げた。少しは暑さがましになったかもしれない。


「え?だって小学生達が妖怪に襲われてたんだよ」

「それにしてもやりすぎだろ。なんならガキども引いてたぞ」


 僕はむすっとした表情を浮かべる。助けたのにその扱いはどうなんだ?僕は首にかけたタオルで額の汗を拭う。


「悪い奴を懲らしめて何がいけないんだよ。何なら人でもない化け物だし」

「……」


 錬が黙り込んでいるのが気になったがこちらに近づいてくるの人影に気が付いた。僕は目を凝らすとそれが木楽きがくさんとさく君、水嵩みずかささんであることがすぐに分かった。


「お疲れー!」


 木楽さんが元気よく声を張り上げた。麦茶の入った紙コップを両手に持っている。


「昨日は大変だったみたいね!たくさん出たんでしょう」

「たくさん?!プールに遊びに行くのやめようかな……」


 木楽さんの言葉に朔君が青ざめた顔をする。木楽さんはそんな朔君の様子を見て大笑いした。


「だいじょーぶだって!妖怪は夕方と夜しか出ないんだから。思いっきり遊びなさい!なんたって夏休みなんだから!」


 不思議だ。木楽さんが話すだけで周りの雰囲気が賑やかなものに一気に変わる。先ほどまで怖い顔をしていた朔君の表情が少し柔らかくなった。


「はい、どうぞ!」


 僕は突然紙コップを突き出され思わず瞬きを繰り返す。


「ありがとう」


 僕は冷たい麦茶を一気に飲み干した。何度か水分補給はしていたけど麦茶を飲むと改めて体が水分を欲していたのだと自覚する。木楽さんは錬にも紙コップを手渡す。


「そう言えば昨日水嵩さん来なかったけど、どうかしたの?」


 木楽さんと錬、朔君が話している中僕は水嵩さんと話していた。今日は祭りの準備があるからか珍しくズボンとTシャツ姿だった。黒くて長い髪も一つに縛っている。

 春明はるあきさんからメールがあったということは水嵩さんにもメールが送られているはずなのだ。

 僕の隣に座った水嵩さんは紙コップに口を付けながらきまり悪そうに答えた。


「ごめん。親から夕方外出するの止められて……」


 僕は五家の顔合わせの時に見かけた水嵩さんの両親を思い出す。かっちりとした洋服を着ていたところから決まりごとに厳しそうな人たちだなとは思っていた。


「本当は五家祭りに参加するのも止められてたんだよね。女の子が出るような祭りじゃないだって」


 水嵩さんが俯きながら呟いた。


「じゃあ妖怪退治もできない?」


 僕は眉を顰めた。水嵩さんに言われて始めたようなものなのに言い出しっぺが妖怪退治から退くのは如何なものかと思う。そんなこと本人に言えるはずもなく僕の心に仕舞われる。


「ごめん……」

「いや!大丈夫だよ。できる限り僕が参加するから!昨日やってみてコツは掴んだし」


 水嵩さんが大袈裟にがっかりしているので僕は慌てて励ましの言葉を並べる。「誰かの為」ではなくて「自分の楽しみの為」に妖怪退治を続けるつもりだ。そんな僕の心の内を知らず水嵩さんが小さく「ありがとう」と言った。


「何とか呼子村よびこむら五家ごけの調べ物は続けようと思って。昨夜のこと教えてくれる?」


 僕は昨夜の出来事を水嵩さんに伝えた。今後の為に水嵩さんの見解は是非参考にさせてもらいたい。

 暫く考え込んでいた水嵩さんは口を開いた。


「妖怪のぬしには今まで見かけた妖怪とは違う特別な力があるのかもしれない。普通だったら妖怪は他の人には見えないのに今回は小学生たちが目撃してる……。義人君小学校に足を踏み入れた途端に違和感があったって言ってたでしょう?」

「うん」

「もしかしたら主が小学校全体を別の空間に変化させいているのかも。そのせいで時間の流れがおかしくなってるんじゃないかな。妖怪について書かれた本も読んだんだけど……彼らは時間とか空間の概念が私達とは違うところにいるらしいの」


 僕は難しい話になってきたので話を半分聞き流す。呼子村の伝記だけでなく妖怪そのもに対しての知識も必要になってくるなんて……。面倒なことになってしまった。とりあえず妖怪を叩きのめせばいい話ではないのだろうか。


「1つだけ分からないのはどうして人が妖怪に襲われているタイミングを賀茂春明かもはるあきが分かるのかってところだけ。やっぱり……妖怪の発生に関わってるから……」

「確かに。春明さんのメールが来るのは人が妖怪に襲われているタイミングだね……。過去の資料から妖怪が現れそうな場所を想定することはできるけど時間だけはどう考えても無理だ」

「春明様がどうかしたの?」


 木楽さんが笑顔で僕らの間に入ってくる。


「何でもないよ!」


 僕は誤魔化すように笑顔を作って木楽さんに答えると木楽さんは何かを思い出したかのように表情を変える。


「そういえば五家のみんなに伝えたかったんだけどこれから妖怪退治はもっと気を付けなきゃいけないみたいなの。力の強い妖怪が出てくるからって春明様が言ってた」


 僕と水嵩さんは力の強い妖怪がすぐに主のことだと悟った。


「でも五家の力もお盆が近づくにつれて強くなるんだって。ご先祖様がこの村に帰ってくる時期だから。だからみんなで妖怪退治すれば怖くないよね!」


 木楽さんが呑気に頑張ろう!なんてガッツポーズをしているけどテントの中はそんな雰囲気ではなかった。朔君は力なく首を横に振る。


「僕、できないよ。妖怪退治向いてないんだ……」

「ごめん。私も親に色々言われちゃって……」


 木楽さんが力なく腕を降ろす。


「え……。ということは3人で妖怪退治?」

「馬鹿!どうして俺まで勝手に入ってんだよ!」


 錬が木楽さんに向かって怒鳴る。


「昨日実際に見たからな、妖怪が存在することは認める。認めたうえで関わらねえほうがいいことが分かった。放っておいた方がいい」


 錬は気乗りしない様子で手をしっしと払う素振りをしてみせる。安全面を考慮するなら妖怪退治なんてやるものではないのだろう。


「えー!みんなそんなんでいいの?春明様がこの村を守ることができるのは私達しかいないって言ってたよ?」


 木楽さんの言葉に誰も答えなかった。気まずそうに地面に目を落とす。僕の耳には蝉の鳴き声しか聞こえてこなかった。僕はこの状況にとても腹が立っている。


「五家も落ちたもんだな」


 吐き出すようにそんなことを呟いていた。


「臆病者、自分の意志で行動できない者、男の為に動く者に、自己保身に走る者……。そんな心持ちでは誰も助けられない」


 僕はそこまで言い切って我に返る。僕はまたやらかしてしまった……。後悔しても遅い。一度口に出したことはどう頑張ってもなかったことにはできないのだ。

 水嵩さんが僕の隣から勢いよく立ち上がると僕を睨みつけながら声を張り上げた。


「そんな言い方酷い!火差ひざし君がそんな風に思ってたなんて……。私だってこの村を守りたいと思ってるのに!」


 涙目で僕を一瞥するとテントから去って行ってしまった。


「臆病者……。そうだよ。だから妖怪退治なんて僕にはできないもん!」


 続けて朔君も僕の言葉に腹を立てたのかそっぽを向いてテントから駆けだして行ってしまった。


「朔!憂美ゆみちゃん!」


 僕の言葉に衝撃を受けていた木楽さんも僕から逃げるようにしてテントから飛び出していった。


「やっぱりお前って……。重度の中2病なんだな」


 錬がどうしようもない奴を見るような眼で此方を見ると薄く笑って静かにテントから出て行く。錬に何か言い返してやろうと思ったけどやめた。僕の中の違和感を話しても誰も理解なんてしてくれないだろう。

 中2病かホルモンバランスがどうのと言われて終わりだ。

 僕は飲み終わった紙コップを握りつぶす。



「おかえり。今日は早いのね」


 祖母の声掛けにもまともに応じずに僕はまだ日が高いというのに居間で大の字になって寝っ転がっていた。

 目を瞑ると自然の風が流れていくのを感じる。思い返してみればこうして日中からだらけるのは久しぶりかもしれない。

 大体僕の夏休みはゲームをする、時々宿題をして時々友達と映画やゲームセンターに行くという平凡な過ごし方をしていたと思う。そんな日々にうんざりして呼子村に来たわけだけど……想像以上に色んな事が起こりすぎて疲れてしまった。

 今となっては何もない夏休みが恋しい。こんなに嫌な気分になるなら呼子村よびこむらになんて来なければ良かった。


 僕は意図せず人間関係をこじらせてしまったことをとても後悔している。いつもなら他人の顔色を窺って調子のいい言葉をかけられるのに何故か余計な言葉が口から出てしまう。


 もう何もかもどうでもいい。


 妖怪なんていなかったんだと自分の頭に言い聞かせる。五家の子供達も妖怪退治に誰一人乗り気じゃなかったし。


 僕はその日珍しく一日の大半を家で過ごした。手つかずだった自由研究をノートに少しまとめたりしたものの捗らない。

 祖父が夕飯前に「花火買ってきたぞー!五家の子と遊ぶといい」なんて笑顔で花火の詰め合わせを見せてくれたが僕の気分が更に落ちることになった。


 普段の僕だったら花火に対してかなり心躍ったのにそんな気分じゃなかった。早く神奈川に帰りたい。


 気分が落ちながらも僕は夕方、蔵と向かい合っていた。

 


 

 




 


 


 


 

 




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