第10話 2008年8月8日 当たり

 僕は自転車に乗りながら憂鬱な気持ちになっていた。ポケットにはアイスの当たり棒が入っている。この当たり棒のために売店に向かうということにすれば気分も上がるかと思ったがそうでもなかった。


 今日も蝉が騒がしく鳴き、目が眩むぐらいの青空が広がる。僕はキャップを深く被ると自転車を漕いだ。心なしかペダルが重く感じる。


 売店に2つの人影があるのを僕は遠目から確認した。

 1人は土鞍錬つちくられんでもう1人は見知らぬ小学生ぐらいの男の子だった。男の子は短い黒髪で半袖半ズボンという普通の見た目をしていた。不良とつるみそうな雰囲気ではない。2人は黒い小型のバイクの前で何やら談笑している。錬と2人きりだったら僕は気まずさで売店を通り過ぎるところだったが男の子のお陰で何とかなりそうだと腹を括った。

 僕は売店の前で耳を突き刺すようなブレーキ音を立てて自転車を停止させる。2人は耳を塞ぎながら僕の方を見た。


「あ!お前この前の……!」


 錬が僕を見るなり指をさして眉を吊り上げた。隣で男の子がきょとんとした顔をしている。


「錬の知り合い?こんにちはー」

「こんにちは」


 僕は男の子の挨拶に快く答える。その様子をみた錬は機嫌悪そうに踵を返して売店の奥へ戻ろうとしてしまった。僕は何とか彼を呼び止める。


「ちょっと待って!これ!」


 僕はアイスの当たり棒を見せつけた。


「これ交換しに来たんだ。」


 錬は目を細めて寒々とした目を向けてくる。そんな反応になるよな……。


「わあ!アイス当たったんだ!いいなあー」


 近くにいた男の子が目を輝かせる。本当にこの子がいてくれて良かった。


「それと話があるんだ。妖怪退治のことで」


 妖怪退治というワードに錬と男の子が反応する。錬は分かるけど男の子はどうしてそんなに驚いた顔をしてるんだろうと僕は疑問に思った。


「どうして妖怪のこと知ってるの?」


 男の子の顔には怯えさえ感じ取れる。妖怪のことを理解し尚且つ小学校の高学年の見た目をしているということは……。


「もしかして君が鐘崎朔かねさきさく君?」


 僕が驚いたように叫ぶと朔君はこくりと頷いた。なんてタイミングがいいんだろう。聞き込み調査が一回で済みそうだ。



「アイスありがとう!」


 僕は朔君に当たり棒で交換したアイスを手渡した。僕は自分で購入した別のアイスを口にする。


「いえいえ。2人に聞きたいことがあったからさ……」


 僕と朔君は売店の前に置かれたベンチに腰掛け錬は自分のバイクにまたがっていた。まだ僕への警戒心は溶けていないらしい。射貫くような視線が痛い。


「その……。まずは土鞍さん……あの日はすみませんでした」


 僕はアイスを手に頭を下げる。比較的荒波立てずに生きてきたので初めて人に頭を下げた。何だか不思議な気持ちになる。その様子を錬は腕組をして見ていた。瞬きを数回繰り返している。


「……。お前ってそんなキャラなの?」

「あの時は暑さで頭が飛んでたというかなんというか……」


 僕はオレンジ味のアイスバーを口にしながら言い訳を述べる。本当は自分でもよく分からないんだけどね。


「……まあいい。それより妖怪退治のことだ」


 意外と根に持たないタイプなのか失礼な態度について追及されることはなかった。僕に話をするよう促してきた。


「これだけ妖怪の話を聞くってことは……。本当にこの村にいるのか。最近動物が出るらしいことは聞いてたけど」

「ほら!だから言ったでしょ?5人のうち3人が見たって言ってるんだよ。だから錬も手伝ってよ!」


 朔君が錬に向かって声を張り上げた。この様子を見ると錬はまだ妖怪を見ていないようだ。


「僕は自分の家の前と永久湖とわこで沢山見かけたっていうか囲まれたよ」

「ええっ?!囲まれたの?」


 朔君が今度は僕に視線を移して驚きの声を上げる。反動で手に持ったアイスの欠片が地面に落ちる。


「うん。でも木楽きがくさんに助けてもらったんだ。僕と水嵩みずかささんも妖怪退治に参加しようと思ってる」

樹里菜じゅりなが?じゃあ、やっぱり本当の話なのか……。怪しい都会の男の妄想だと思ってた」

春明はるあきは怪しい男じゃないってば!」


 僕は賀茂春明かもはるあきの名前を聞いて2人にどんな印象を持っているか聞くことにした。


「2人は春明さんについてどう思う?」


 春明さんの名前を聞くと朔君が顔を輝かせた。


「春明さ8月から僕の民宿に泊まってるんだけど色んなこと知ってるんだ!宿題も教えてくれるし。カッコいい!妖怪のこと教えてくれたのも春明だよ」


 朔君とは反対に錬は難しい顔で腕組をしていた。


「俺はまだ一度も会ったことないけど……。どう考えてもそいつが怪しいだろ。よそ者の癖になんでそんなに呼子村のことに詳しいんだよ。今ならまだ遅くない警察に通報しようぜ」

「やめてよ!春明は村のお客さんだよ!」


 錬がポケットから折り畳み式の携帯電話を取り出すとボタンをプッシュしようとするので朔君が飛びついて止めようとする。


「妖怪退治をやったことあるのは朔君だけか。朔君は妖怪についてどう思う?」


 僕は2人の攻防を止めるように質問を投げかける。朔君は錬から離れると顔を横に振った。


「怖い……よ。見た目もそうだけど人に悪さをするところが。本当は僕妖怪退治なんてしたくないんだ。五家の子供だし、春明に言われたからやらなきゃいけなくて……」


 木楽さんの家に行った時朔君は妖怪が苦手だと言っていたっけ。僕らが襲われている時も助けに来てくれたのは木楽さんだけだった。


「それと……土鞍……さん」

「呼びにくいなら錬でいいけど」


 錬がむすっとした表情で言う。僕は心の中で呼び捨てにしていることがバレたのかと思って一瞬ドキッとしたけれど大人しく彼に従うことにした。


「錬は妖怪見たことないだろうけど……。退治するってなったらどう思う?」


 錬は暫く空を見上げる。意外に物事を深く考えるタイプなのかと僕が真剣に言葉を待つ。


「どうも思わないな」


 予想外の言葉に僕はアイスを落としそうになる。期待した僕が馬鹿だった。


「見てもないし。やってみないことには何とも言えねえー」

「あ……そうですか」


 僕はこうして2人からの聞き込みを終えた。



「……という感じだったよ」


 僕は集会所へ向かうと資料室で難しそうな本と対峙する水嵩さんに情報を伝える。水嵩さんは本に視線を向けながら話だけ聞いているので長い髪が顔に掛かり表情がよく見えない。


「ありがとう。鐘崎朔君はあいつのこと信用してそう。土鞍君がまだ妖怪にもあいつにも会ってない……」


 水嵩さんは本を閉じると正面に座る僕に視線を移した。


「土鞍君には私達があいつを怪しんでいることを伝えてもいいかもしれない。その上で妖怪退治に協力してもらいましょう」


 僕はあまり気乗りしなかったけれども小さく頷いた。春明さんの正体を探るには協力者が多い方がいい。


「それで妖怪が出そうな場所なんだけどね……」


 水嵩さんが話を続けようとして止めた。僕は不思議に思っていたけど背後から気配を感じて振り返ると資料室の出入口に問題の人物が立っていた。


「あれ?五家の子が2人。仲良く何をやってるの?」


 にっこりと人の良さそうな笑顔を浮かべているのは春明さんだ。目の前の水嵩さんの緊張が高まるのを感じた。そんな顔したら僕ら怪しまれちゃうじゃないか……。僕は緊張を和らげるために笑顔を作って春明さんに対応する。


「こんにちは。春明さん今日も研究ですか?」

「そんなところ」


 春明さんが僕らの近くまでやってくると水嵩さんの周りに散らばっている本を見て感嘆の声を上げた。


「呼子村の歴史?君たちも調べてるの?」


 水嵩さんがずっと黙り込んでいるので僕が会話に答えるしかなかった。


「春明さんが研究してるって言うから僕らも自由研究にしようと思って調べてるんです」


 自分でも信じられないぐらい自然な対応ができていることに驚いた。僕は案外器用な奴なんだ。春明さんへの対応は嘘だが自由研究のテーマにしようとしていることは嘘ではない。


「へえ。いいじゃないか。何か手伝おうか?」

「大丈夫です。自分達で調べますから」


 春明さんの申し出を速攻で断る水嵩さんに僕は冷や冷やする。そんなに敵対心丸出しで大丈夫なのだろうか。

 春明さんは笑顔を崩さずに続ける。


「宿題は自分でやるものだもんね」


 そう言って本棚の方に姿を消した。その様子を見た水嵩さんが小声で話し始める。


「調べていたんだけど。私にも妖怪の出所がわかるかもしれない」


 大学ノートを僕に手渡す。僕はページを開いて驚く。呼子村の歴史や五家祭りのことがまとめられている。水嵩さんの字は綺麗で規則正しくノートの羅列に並んでいた。人の書く字はよくその人の性格を表すというけれど本当のようだ。


「『呼子村伝記』っていう本にね五家の妖怪退治について書かれてるの。戦った場所の記載もある」

 僕はノートの一番上部に『呼子村伝記』と書かれたページに目を通す。


 ・悪妖の溜まり場がありそこから人里へ降りてくる。

 ・悪妖の溜まり場にはぬしがいる。五家の武士はその主を倒すことで悪妖の群れを消すことができる。

 →主は森の洞窟に潜む土蜘蛛、廃屋を根城にしていた大鬼。

 ・悪妖の主を束ねていたのは永久湖の竜。五家のうちの一つ火差義明ひざしよしあきがとどめをさす。


「これだけの情報で場所なんて絞れるの?」

「これだけって……。古文読解するの難しいし、全時代を通しての言い伝えについて書かれた本だから妖怪退治していた時期の資料が少ないの!」


 水嵩さんは小声ながらに僕を非難する。大きな黒い瞳に睨みつけられるとなんだか落ち着かない。


「ごめん。大変だったよねじゃあこの2カ所を探すってことで良い?」


 僕は悪妖の溜まり場と書かれた文字を指さす。文章を読む限り田舎に沢山ありそうな場所だから特定するのは難しそうだ。


「うん。それとこの妖怪退治の締め、火差君に掛かってるかもね」

「え?ああ竜のとどめ刺しちゃってるもんね」


 もし過去の出来事をそのまま再現するのなら僕がこの五家の物語にピリオドを打たなければならない。なんて面倒な役回りなんだろうと思った。僕のご先祖様はどれだけ目立てば気が済むのだろう。人の為に戦って何になるのか。


「呼子村を周ったり話を聞いたりしてこの記録にある場所を探そう。見つけ次第報告で。私は引き続き文献を調べるから」

「分かった」


 僕は怠いという気持ちを押し殺して水嵩さんに頷いた。


 その日の夜。僕は防災マップを広げて唸っていた。

 山の中、廃屋……。それらしい場所に目星をつけて鉛筆で印を付ける。明日明るいうちに怪しい場所を徹底的に探索するつもりだ。


「義人!開会式始まるよ!」


 祖母から声を掛けられて僕は慌てて寝室から隣の居間に繋がる襖を開ける。オリンピックは4年に1度しか開かれないというのに何故か頻繁に開かれているような感覚になる。それぐらい時の流れが早いということなのだろうか。

 鳥の巣と呼ばれる特徴的なスタジアムから花火が打ちあがる映像が映し出された。











 





 

 

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