第8話 2008年8月6日 調査(2)
「入っても大丈夫?ジュース入れてきたわよ」
襖がすらりと開かれ入ってきたのは上品な佇まいの女性だった。朝顔の着物を着ている。普段着が着物の人を僕は初めて見た。年齢から水嵩さんのお祖母さんのようだ。
「お邪魔してます」
僕はぺこりと頭を下げると女性はにこりと笑って皺を深めた。
「もうすぐお昼だけど食べていく?」
僕は時計を見て驚いた。いつの間にかお昼の12時を回っている。空腹を自覚すると急激にご飯が欲しくなった。
「いいですか?その前に祖母に連絡だけさせてもらっても……」
僕が座布団から立ち上がろうとした時だった。水嵩さんがワンピースのポケットから携帯電話を取り出した。
「私の使う?まだこれからが重要な話だから……」
「ありがとう」
水嵩さんの携帯電話はスライド式で画面をずらすとキーボードが現れる。父と母の携帯電話は折り畳み式なのでなんだか新鮮だった。可愛らしいクマのストラップが付けられている。家の電話番号をプッシュしコール音を押す。祖母は昼ごはんのことは問題ないと言ってくれたが僕が水嵩家にいると言ったらとても驚いていた。
水嵩さんのお祖母ちゃんが出ていったのを確認すると僕と水嵩さんはグラスに入ったカルピスを飲みながら話を続けた。金持ちの入れるカルピスの味は濃い。
「
「分からない。だから私は警戒してるの。調べ物をしてると必然的に顔をあわせちゃうんだけどね」
「
僕は民宿で出会った胡散臭い青年を思い浮かべていた。見た目はモデルのように格好いいが言動は人を見透かしたような不思議なものが多い。色んな意味で浮世離れしてる人だなと思っていた。
「妹が妖怪に襲われてから私、資料室に通うようになったんだけど偶然資料室に居たあいつに言われたの。『これからはもっと気を付けた方がいい。数も凶暴性も増していく』ってまるでこれから何が起こるか分かってるみたいな感じだった」
水嵩さんが言う「あいつ」は賀茂春明を指しているんだろうけど。人が変わりすぎじゃないか?突然の乱暴な言葉遣いに僕は戸惑ったがその理由はすぐに分かった。
「私の推測だけど……。この妖怪騒動は賀茂春明のせいじゃないかと思ってる。五家であるにも関わらず妖怪が見えているし、何より私達が知らないことを知ってる」
そうだ。水嵩さんが春明さんのことを怒っているのは妹が危ない目にあったからだ。妖怪が呼子村に現れるようになった原因が春明さんなのであれば水嵩さんの乱暴な言葉遣いも納得できる。
「あいつも8月1日から呼子村に来たらしいの。それ以前はお祖母ちゃんとお祖父ちゃんから聞いて何も起きてないのは知ってる。あいつがきてから異変が起き始めたの。だから私はなるべくあいつに関わらないようにしてる。火差君も気を付けて」
「……分かった。なんかそう考えると寒気がするな……」
僕は身近に敵が潜んでいることに鳥肌がたった。犯人が実は身近な人物だったというのはよくある展開だ。
「今知りたいことが2つあって……。1つ目は今現在悪妖はどれくらいいるのか。2つ目は他の五家の子供たちは悪妖が見えるのかってところ」
「なるほどねー」
僕はカルピスを一気に飲み干しながら適当に相槌を打つ。水嵩さんが真面目なのはよく分かったが考えすぎではないだろうか。
「だから火差君には協力して欲しいの」
「え?協力?」
「そう。他の人が悪妖に襲われることがあったら大変でしょう?見える私達がなんとかしないと」
僕は胸が躍った。どうやら僕は儀式ではなく本当の妖怪退治ができるらしい。今からでも行きたい気分だが真昼間から動く妖怪なんていないだろう。この時の僕は“人の為”というよりは自分が持て余している退屈心と力を発散させたいという思いが勝っていた。
そんな僕の心の内を知られないように水嵩さんの掲げる”人の為”という大義名分に乗っかることにした。
「そうだね。僕もそれには賛成する。他の人に被害がでないように頑張ろう!」
水嵩さんは僕の宣言を聞いて少し笑った。始めて見せた笑顔は無表情がもったいないぐらいに可愛らしかった。そんなむすっとしてないでもっと笑えばいいのに。
「ありがとう。そしたら早速今日の夜、調査に行こう。五家二人で行動すれば悪妖に対処できるよね」
「おっけー」
僕は軽く返事をすると同時に襖ががらりと開いた。
「ご飯来たよー!」
「いただきますっ」
僕は手を合わせると人の家だというのに空腹に負けて凄いスピードで食べてしまった。女性陣がドン引きしているのを肌で感じたのですぐにお暇しようと心に決めた。
「ありがとう。お昼までごちそうになって。それで今夜はどこを調査するつもりなの?」
僕が自転車を手で押しながら水嵩家の門の前までやってきていた。午後1時を過ぎるといよいよ太陽が本気を出し始めるので帰りは辛い。
「
永久湖というワードを聞いて僕の頭の中で「近づいてはいけない」という父の言葉を思いだす。二人の中間地点で丁度いいのはそこぐらいしかなさそうだから仕方ない。
「分かった。じゃあまた夕方の6時30分過ぎぐらいに」
僕は水嵩さんに片手を上げながら別れを告げた。
「ちょっと散歩に行ってくる」
夕飯前に家を出る支度をした。
「今からかい?暗くなると危ないよ」
台所から祖母が心配そうに顔をのぞかせる。
「すぐそこまでだから大丈夫。念のため懐中電灯持ってくね」
田舎の道は夜が危ない。勿論人がいない、街灯が少ないということもあるが用水路が所々にあるので注意しなければ落ちてしまう。だから自転車ではなく懐中電灯で道を照らしながら慎重に歩かなければならない。
「そう?真っ暗にならないうちに帰ってくるのよ」
「うん」
僕は昨日吹っ飛ばした傘を手に玄関から飛び出した。永久湖の位置は地図を見なくても分かる。何て言ったって村の中心にあるし僕の家をでて西側にうっそうと木々が茂っているあの場所が永久湖だ。
外は濃いオレンジ色に染まっていてなんだか不気味だった。真っ暗ではないのに中途半端に辺りが見渡されるこの時間帯が一番怖いかもしれない。
僕は辺りをキョロキョロと注意深く観察しながら進んだ。特に昨日のような化け物が出てくる気配はない。
バサバサッ
頭上で羽音がして慌てて顔を上げる。普通だったら鳥が飛んでるはずだったんだけど……。
「何だあれ」
僕は思わず呟いてしまう。飛んでいた生き物はムササビみたいな形状をしていたけれど羽は
その生き物と目があった気がしたので僕は一目散に駆け出した。周囲が田んぼで視界がいいこの場所にいる僕は狙いやすい獲物でしかない。上から僕を追ってくるような気配がする。これは本当にヤバい。
そしてやっぱり自分の運動能力が飛躍的に上がっているのが分かった。
畦道を走り抜けていると突然足元に何かの気配を感じて飛び越える。何だったか確認する暇がないがきっと水嵩さんが言っていた妖怪なのだろうと解釈する。
「ちょっとこれは……妖怪祭りじゃないか」
こんなに妖怪が出てくるのだ。水嵩さんが危ない目に遭っているのではないかと思って冷や汗をかく。しかも先ほどから湖に近づくにつれて心が波立つ。自分でも抑えきれないような何かがこみあげているのように感じる。
僕は右手に握った傘を力強く握った。
暴れたい。壊したい。何もかも……。
水嵩さんが視界に入ると僕はさっきまで湧き上がってきたよく分からない暴力的な感情が消えてなくなる。水嵩さんが昨日僕が会った妖怪に襲われかけている!
そこらへんに落ちている石を拾いながら応戦しているが相手は中々すばしっこい。
「水嵩さん!」
僕が声を掛けると水嵩さんが空中を見て呆然とした表情を浮かべていた。
「ちょっと……何その数の……」
自分がどれだけの妖怪に追いかけられているか何て構っている暇はない。僕は昨日のように水嵩さんの近くにいる妖怪に狙いを定めると上体を思いっきり捻って傘を手放した。
傘は美しい放物線を描いて顔は牛、体は人間と言う奇妙な生き物を吹っ飛ばした。
「大丈夫?」
僕が差し出す手を無視して立ち上がった水嵩さんは苛立ったように言った。
「大丈夫じゃない!何なのこの数の悪妖は!」
いつの間にか僕らの周りには妖怪だらけになっていた。どれも小さいサイズだけど空中も道も囲まれると恐怖を感じる。
「それと!武器投げるとかありえないんだから!どうするの?」
何故僕はこの非常時、女の子に怒鳴られているんだろう。確かに妖怪対処用の傘を投げたのはバカだった……。僕には懐中電灯しかない。
「えーと……。どうしよ」
僕と水嵩さんがなす術もなく固まっている時だった。近くを飛んでいた蝙蝠みたいな妖怪が叩き落されて機械音のような悲鳴を上げて黒い炭のように形を無くしたのだ。というか僕の目の前を飛んでいた妖怪の群れが面白いぐらいに跡形もなく消えてしまった。
僕の目の前に立っていたのは1つの影。僕の背後をずっと追っていたのだろうか。それにしては足音が何も聞こえなかった。
「本当だ言ってた通り」
姿を現したのは薙刀をもった女の子だった。いや、普通に考えて薙刀をもった女の子っていう表現おかしいだろ……。でも本当に持ってるものはしょうがない。
茶髪が夕焼けに照らされてより明るい髪色に見える。そして何より前髪をゴムで縛っておでこを見せ、ばっちりメイクした顔は今時の女子という感じだった。水嵩さんと真逆のタイプの女の子だった。ピンクのTシャツにどこかの学校指定のハーフパンツ、ビーチサンダル姿と薙刀の組み合わせがちぐはぐで何だか可笑しかった。
女の子が駆け出しながら薙刀を一振りすると水嵩さんの背後にいた妖怪も消えてなくなる。僕は1つの違和感に気が付いた。
薙刀を振る音が聞こえないのだ。
呆然と立ちすくむ僕らに女の子は笑顔で言った。
「早く帰った方がいいよ。これからもっと増えるから」
僕と水嵩さんは無言でこくこくと頷いた。
「あ!あなたは?」
水嵩さんが慌てて薙刀の女の子に声を掛ける。
「あたし?あたしは五家の一つ。
そう言って歯を見せながら笑った。
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