第7話 2008年8月6日 調査(1)

 結局昨日はよく眠れなかった……。

 傘は道を挟んだ田んぼに浮かんでいるのを発見し何とか回収することができた。田んぼのど真ん中とかじゃなくて本当に良かった。

 祖父母が帰ってくるなり僕は今さっき起きた出来事を興奮気味に話した。傘を投げ飛ばしたことは怒られたらいやだったので説明を省く。


「蔵に化け物が突進してたんだ!」


 それを聞いた祖父母は笑った。


義人よしと。確かに私が妖怪の話したけど冗談よ?」

「想像力豊かなんだな!義人は!」


 まあそうなるだろうね……。何せ僕しか見てないんだから!カメラも持ってないし。僕はめげずに説明を続ける。


「蔵を見てくださいよ!へこんでるんだから」


 そう言って祖父母を蔵の前に連れて行く。へこみの入った蔵の扉を見せる。


「こりゃあ本当に動物が出てきてるらしいな」

「だから……動物じゃないんだって」


 僕は何度か説明しようと試みたが途中で止めてしまった。僕が祖父母の立場だったら同じようなことを言って笑うだろうし。僕だって本物なんて思いたくない。

 大体人っていうのは自分が信じていない物の存在をとことん信じない。挙句の果てに適当な理屈を生み出して考えるのを止めてしまう。動物だってことにしてしまえば対処するのが楽だからだ。化け物じゃ対処のしようがない。


「役場に連絡しておくか」


 祖父のその一言で化け物についての話は終わってしまった。

 


 だから僕は今日も資料室へ向かうために自転車をこいでいる。もしかしたら水嵩みずかささんがいるかもしれないと思ったからだ。水嵩さんが僕と同じものを見ていたのだとしたらあれが何なのかきっとわかるはず。

 春明はるあきさんの顔も浮かんだが水嵩さんがあまりよく思っていなさそうだったので民宿に向かうより資料室に向かった。

 けたたましいブレーキ音とともに自転車を止めると僕は急いで資料室へ続く階段を駆けあがる。

 扉を大きく開くと昨日と同じ席に水嵩さんは座っていた。驚いた表情をする水嵩さんと目が合った。


「昨日の夜。見たんだ」


 その言葉を聞いただけで水嵩さんは全てを理解したようだった。何か考えるような素振りを見せると僕の目を真っすぐに見て言った。


「私に付いてきてもらえる?」



 かれこれ20分以上は自転車を走らせている。前を行く水嵩さんの淡い水色の電動自転車は僕のボロボロの自転車よりも数倍速い。長い黒髪とシャツのワンピースが自転車をこぐ度にたなびいている。

 僕の左手は木々が生い茂り右手には田が広がっている。木陰がある分、暑さが緩和されて快適だった。森の向こう側がなんだか気になって心が落ち着かないが置いて行かれないように水嵩さんを必死で追う。


「まだ着かない?」


 僕は大声で前を行く水嵩さんに声を掛ける。水嵩さんは振り返って答えた。


「病院を超えて役場の近く!」


 意外に大声もだせるんだな……。と感心しながら走っていると右手に小さな病院が見えた。更に奥に小学校のような建物がある。

 この辺りは道が舗装され自転車を走らせやすかった。何人か小学生がプールバックを持って歩いているのが見える。そういえば五家の鐘崎朔かねさきさく君も小学校のプールに遊びに行っているという話を聞いた。

 役場の前を通り過ぎると民家が立ち並ぶ一帯に出た。僕は珍しそうにあたりを見渡す。この辺りはまだ散策していなかったからだ。


「ここ!」


 急に水嵩さんが前方で止まったので僕は慌てでブレーキを掛ける。耳障りな音が辺りに響き渡った。一斉に近くの人が僕の方を見る。


「自転車……買った方がいいんじゃないの」


 水嵩さんに冷ややかな目で見られながら僕は頭をかく。ブレーキを掛けるまでブレーキが騒がしい音であることを忘れていた。


「そうだね……。それでここは?」


 僕は立派な門構えの家の前に自転車を止めながら言った。


「ここは私の家」

「家か……って家?」


 僕は何もないのにその場に躓きそうになった。



「お……お邪魔します」


 水嵩家の家は武家屋敷のようで僕の家よりも古いつくりをしていた。平屋で部屋数が多い。庭も灯篭や池があってどこかの旅館かと思わせる。

 建物の隅には火差家にもあったような小さなお堂があった。水嵩さんも力呼びの儀を行ったのだろうか。


「ただいま」


 水嵩さんが2重になっているスライド式の扉を開けながら室内に声をかける。玄関に生花の飾られているのをみて僕は緊張感を高めた。


「お姉ちゃんお帰りなさい」


 襖を引いて顔を出したのは小学生の女の子だった。僕はその女の子と目があって頭をぺこりと下げる。水嵩さんの妹らしい。長い髪の毛を低い位置で2つに縛っている。綾芽あやめより年下のようだった。

 水嵩さんの妹は僕を見るなり目を細めて呟いた。


「あなた誰ですか?お姉ちゃんの彼氏ですか?」

「「違うよ」」


 僕と水嵩さんの声が奇跡的に重なった。水嵩さんは軽く咳払いをすると妹に真面目に僕のことを説明する。


喜美きみ、この人は五家のうちの一つ火差ひざし家の子供。祭りの参加者なの。祭りについて話すことがあるから客間借りるね」

「怪しー。分かった。お母さんとお父さん出かけてるよ」

「分かった。お婆ちゃんには私が話しておく」


 喜美ちゃんはまだ僕のことを疑いの眼差しで見ていたが部屋に上がることを許してくれた。

 僕は広い渡り廊下を歩く。廊下には埃ひとつ落ちていないぐらい綺麗にされていてなんだが落ち着かない。裸足で歩いても足の裏に何もつかないなんておかしくないか?

 水嵩さんは襖を開けると六畳ぐらいの部屋に僕を通した。部屋には黒くて四角い机が置かれていて座布団が対になって置かれている。


「ここで少し待っていてくれる?」

「うん……」


 難しい顔をして水嵩さんは襖をぴしゃりと閉めた。僕は程よい弾力の座布団に居心地悪く座っていた。

大体人の家の座布団って潰れてない?なのにここの家の座布団は新品みたいに綺麗だしふかっとする。床の間には掛け軸と花が綺麗にアレンジメントされた花瓶が飾られている。

 時々デジタル腕時計を気にしながら水嵩さんが来るのを待つ。


「お待たせ!それで夜何をみたのか教えてもらってもいい?」


 水嵩さんは何冊か本を手にしながら再び部屋に現れた。僕は正座をして姿勢を正すと向かいに座った水嵩さんを真っ直ぐに見ながら昨日の夜見た物を話した。


「昨日の夜……。化け物みたいな物を見たんだ。顔が牛で……体が人みたいな。それが僕の家の蔵に突進してた」

「妖怪を見たってことね」


 水嵩さんが僕の発言に笑うことはなかった。しかもそのものの正体まで教えてくれた。


「妖怪って……。五家が退治したっていうあの?」

「それ以外なんだっていうの?」


 水嵩さんが冷たい表情で言うものだから萎縮してしまう。


「それでその妖怪をどうしたの?」

「ええっと……。傘で突いたらどこか行っちゃった……」

「傘で?!」


 水嵩さんは驚いた表情を浮かべる。


「私も家の近くに目がひとつしかない妖怪を見つけたの。最初は信じられなかったんだけど本当に存在してる。どうやらこの村に沢山いるみたい。まるで五家が妖怪退治をしていた時代みたいにね」

「やっぱりあれって本物だったのか……」


 僕は腕組みをして背中を逸らしてみせる。見間違いであって欲しかったけどあの声にあの動き。作り物にしてはリアルすぎるし傘を突いた時の感覚もしっかり手に残っている。


「何もしないならいいけど人に悪さをしてる。妹も襲われかけたの」

「え?」

「田んぼにねどろどろの人型の悪妖がいて妹の足を掴んで引きずり込もうとしたの。二人で家の周りを散歩して帰りが少し遅くなった時だったかな……」


 僕は変な汗をかく。それって本当に危なくないか?下手をしたら死んでしまう状況だ。


「私、夢中になって近くにある石を投げつけたの。それで何とかなったんだけど……」


 僕はその話を聞いて前のめりになった。


「石で?それって傘で撃退するよりすごくない?」


 僕のテンションとは裏腹に水嵩さんは眉を顰めていた。


「ねえ。何かおかしいと思わなかった?」

「何が?」

「いつもより辺に力が強くならなかった?」


 水嵩さんが自分の手のひらを見つめながら呟いた。


「確かに。傘が信じられないくらい飛んだなー……。学校でボールを投げる時はそんな飛距離でないのに」

「私、この村に来てから色々調べて考えたんだけど。五家の特殊な力のせいなんじゃないかって思うの」

「……特殊な力ってあれ?永久湖の水から得たっていう力のこと?」


 僕は祖母が話していた内容を思い出す。


「うん。私8月に東京からこっちに来たんだけど『力呼ちからよびの儀』の後から違和感があって……力が湧いてくるような感じがするの。上手く表現できないけどどこまでも走っていけるみたいな感覚。でもそれだけじゃこれが昔話にある力なのかっていうのは分からないじゃない?」


 水嵩さんは一呼吸置くと更に話を続けた。


「自分で実験してみたの。この力がどんな時に使えるのか」

「実験?」


 僕は水嵩さんの行動力に舌を巻いた。異変に気が付いて普通そこまで考えるだろうか。きっと水嵩さんの学校での成績はオール5に違いない。


「そう。実験方法は時間と場所で私の力が変わるかどうか。まず朝と昼に石を投げる。呼子村の中と外で石を投げる」

「ふーん。それでどうだったの?」

「朝は普通の私の力で夜はやっぱり倍の飛距離と威力がでたわね……。それと車で夕方買い出しに行った時に石を投げてもダメ。力がみなぎってくる感覚が無くなったということはこの力は呼子村内限定かもしれない。ちゃんと帰ってきてからも石を投げたらまた遠くに飛ばすことができたの」


 僕は水嵩さんが石を投げてる姿なんて想像できなかったけどとても説得力があった。僕も呼子村に来た時から力が有り余っている感覚がするから。僕の場合は朝も夜も関係ない、永久湖の水も飲んでないという違いがあるが話がややこしくなりそうなので黙る。でもこの力の存在と妖怪の存在を認めるということは……。


「昔の妖怪退治の再現でも起きてるってこと?」


 水嵩さんはゆっくり僕に頷いた。


「今のところそうとしか考えられないかな……。しかも妖怪に襲われた人は妖怪が見えていないみたい。妹も「足が泥に囚われた」と思ってるから……」

「幻覚じゃないのかな……。それか僕らの見間違い」

「3人も同じもの見えていたらもう幻覚じゃないでしょ」


 僕は普通じゃない夏休みに胸躍らせた。やっぱり思っていた通り今年は面白い夏になる。ここで喜んでは水嵩さんに白い目をされそうなので深刻な顔つきで答える。


「3人って……僕らの他にも妖怪が見える人がいるの?」


 水嵩さんは僕から視線を外すと声のトーンを下げて答えた。


賀茂春明かもはるあきよ」


 僕はその名前を聞いて目をこれでもかというくらい開いて驚いた。








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