第6話 2008年8月5日 資料室と女子

「集会所へ行くの?あそこ少し距離があるからね自転車貸してあげる」


 祖母が蔵の側に置いてあった自転車を引っ張ってきた。錆びついていたけれどもタイヤの空気を入れればちゃんと動く。ただブレーキ音が信じられないくらいうるさい。

 交通手段が何もないよりかはましだ。呼子村よぶこむらの道は狭くバスは広い道路の方しか通っていない。


「ありがとーございます」

「ああそうだった。今日夕方お父さんとスーパーで買い物してくるけど何か食べたいものある?」


 呼子村に店はない。辛うじて売店があるけど大量に生活必需品や食品を買いたい場合は車で大型店舗が集合している地域に行くしかない。幼い頃、家族と一緒に大型店舗の集合地に行ったことがある。

 スポーツ用品店や家電量販店、ホームセンターなど一つ一つの店が大きくて驚く。映画館やゲームセンターといった娯楽施設もあるのだ。


「肉が食べたいです」

「分かったわ。じゃあ気を付けていってらっしゃい」


 祖母はにこやかに僕を送り出した。今日も肌を突き刺すような暑さだったが自転車という強い味方がいる。500mlのペットボトルを自転車の前かごに入れて椅子に座るとハンドルに寄りかかりながら防災マップを開いた。

 今日の目的地は集会所なので今まで進んでいた方向とは逆方向に向かうことになる。山に近づくような道のりに僕は心躍った。山の近くなら多少は涼しいかもしれない。

 僕は軽快に自転車をこぎ始めた。

 田園風景に山、遠くに入道雲が見える。蝉の声をBGMに僕は背中や顔を伝っていく汗を無視してひたすら自転車をこいだ。


「暑い……。もうずっと暑い……」


 独り言を言うタイプじゃないが夏になると自然と口から暑いという言葉しか出なくなる。それぐらい暑さで脳がやられているのだろう。自転車だから多少風に当たれるだろうと思うのだが気持ちのいい風ではなかった。熱風だ。

 僕は今日も昼ぐらいには帰ろうと心に決める。帰ったら氷の入った麦茶を一気飲みしたい。

 自転車をこぎ始めて数分。民家の他にぽつぽつと木々が集まって生えている部分が見えだした。


「あれか」


 僕は一つの白い建物を見つけた。コンクリート製で3階建てくらいの立派な建物だ。市役所や市民センターみたいな行政の建物に似ているのであれが集会所で間違いないだろう。車が数台停まっている。

 キキーッという耳障りな高音を発して自転車のブレーキをかける。自分でブレーキを掛けたものの余りの煩さに顔を顰めてしまった。

 集会所は冷房が効いていて涼しかった。中には村の人であろう老人たちが椅子に座って談笑したり休憩していた。僕と目が合うと「こんにちは」と挨拶をしてくれたので軽く会釈する。


「あの。資料室って使えますか?」

「2階にありますのでどうぞ。それとこちらにお名前と住所をお願いします」


 受付の女性から名簿を受け取ると名前と神奈川の住所を記入する。僕はその名簿にきれいな字で「賀茂春明かもはるあき」の名を見つけて黙り込んだ。歴史の研究をしていると言っていたので当然この場所も訪れているだろうと思った。

 僕が名前を書いたすぐ上の枠に気になる名前をもう一つ見つける。

水嵩憂美みずかさゆみ

 水嵩って五家の水嵩じゃないか?思わぬ邂逅に僕は緊張を高めた。名前と筆跡から女の子のようだ。

 僕はペットボトルのお茶を一口飲むと集会所の階段を上った。学校のようにいくつか部屋がならんでいたが階段を上がってすぐ近くの部屋が「資料室」と書かれていたのでドアノブを回して静かに部屋に入る。


 部屋が閉め切られていたせいか冷房が効きすぎるぐらいに効いていた。ここまで自転車をこいできたぼくは丁度良かったが長時間居たら凍えてしまうだろう。

 部屋はこじんまりとしていて市民センターの小さな図書室のようだった。置かれている本のほとんど呼子村に関するものだ。すぐ目の前には椅子と机が置いてあり利用者が座れるようになっていた。入って右側の奥にカウンターのような場所があり、おじいさんが一人新聞紙を読んで座っていた。


 利用者用の椅子に一人の女の子が座っている。熱心に『呼子村の歴史』という本を読んでいる。

 長い黒髪に水色のワンピース。こんなに焼け焦げそうなぐらい太陽が照り付けているというのに肌が白い。

 きっとこの子が五家の水嵩家の子なのだろうけど何だか話しかけにくい雰囲気だったので適当に本棚を回ることにする。

 近くに合った『呼子村の風土』という古い本を手に取ってめくる。実際に五家祭りが行われている様子の白黒写真なんかも掲載されていた。時代なのか沢山の子供たちが武者の恰好をして練り歩いている。

 数ページほど五家祭りに関する文章が書かれている。大体祖母の説明と同じようなことが書かれていたが知らない情報もあった。


 『呼子村が悪妖に悩まされるようになったのは平安時代。京都で陰陽師安倍晴明が結界を張ったために強い霊力のある永久湖に悪妖が集まるようになってしまった。そこで都から力自慢の武士が選ばれ永久湖の力を借りて悪妖を退治するよう派遣されたのが五家である。永久湖の力を得た五人の武士は不思議な力を使って悪妖を次々と退治した。この呼子村で悪妖のぬしとの戦いが行われその武勇は各家に伝わっている』


 悪妖の主?どうやら妖怪退治にはまだ詳しいエピソードがあるようだ。残念ながらこの本にはそれ以上のことは書かれていない。


 僕はこういう地道な調べ物が苦手だ。特に本から読み解くのが苦手でインターネット検索して見つけた情報を適当に切り貼りしてそれっぽく見せることの方が得意だったりする。そっちの方が数倍早いし楽じゃないか。学校は「インターネットの情報は正しくないことが多いので本で調べなさい」なんてよく言うけど時間の無駄だと思う。それに最近はインターネットの情報だって重要になってきてるんだ。


 僕はとっとと本をしまうと女の子の側に置かれたパソコンに向かう。窓側に置かれたパソコンは学校にある物よりも古くて外観が黄ばんでいた。近くにある使用者記録簿に名前を書くと検索ワードを入力する。


    呼子村 五家祭り 武器


 僕はまず春明さんから聞いた五家に伝わる特別な武器について調べることにした。火が出る太刀なんてあるのか。いや、ないとは思うけど本当にそんな風に言い伝えられているのか調べたかった。

 ディスプレイとにらめっこすること数分。僕はそれらしいことが見つからずに苛立っていた。呼子村のホームページには祖父母から聞いたようなことしか載っていないし誰かのブログに信憑性の薄い記事が書かれているだけだったので僕は大きなため息をつきながら背もたれに寄りかかった。


「すみません。次、使ってもいいですか?」

「ああ……すみません」


 ふいに後ろから声を掛けられ僕は慌ててディスプレイの検索画面を消そうとした。時だった。


「……もしかして。あの時の……五家の子?」


 僕は声の主の方を見る。先ほどまで熱心に五家祭りの本を読んでいた水嵩憂美が僕の後ろに立っていたのだ。しかも昔の僕を知ってるみたいな言い方だった。


「確かに僕は五家の子供ですけど。あの時のって……何のことです?」

「ああ。覚えてないんだ……。4歳か5歳の時かな?永久湖で……」


 水嵩さんはそのまま言葉を噤む。どうやら水嵩さんと僕は永久湖で会ったことがあるらしい。僕だけ覚えていないというこの気まずい雰囲気。どうにかしなければ……。


「ごめんなさい。あんまり昔のこと覚えてないんです。なんせこの村に来たのが9年ぶりなんで。僕火差家の子、火差義人って言うんですけど……」


 水嵩さんははっとすると決まり悪そうに自己紹介をしてくれた。手にした本をぎゅっと握りしめる。


「……突然話しかけてすみません。私、水嵩憂美です。中学二年生です」


 さっきの驚いた表情からすぐに無表情に戻る。女子にしては物静かな子だと思った。僕の知るクラスメイトの女子は喋りが止まらないようなのが多い。話し出したら止まらない、表情がコロコロと変わる慌ただしい生き物が女子だと思っていたのに水嵩さんは僕の知る女子の特徴に一つも掠らなかった。


「水嵩さんか。祭りで会うかもね!宜しく。僕も中学二年生だよ」


 僕は黙り込む水嵩さんをフォローするように無理やり会話を続ける。僕は喋る担当じゃないんだ!


「あなたも調べてるんだ。この村のこと」

「ああ!まあね。どうせなら自由研究にしようと思って。民宿のお兄さんも研究してるみたいだし。いい題材っぽいよね」


 水嵩さんは“民宿のお兄さん”と言う言葉を聞いて目を見開いた。表情が少ないせいか水嵩さんが感情を露にすると驚く。


「賀茂……春明と知り合いなの?」

「いや……昨日初対面だけど。どうして?」


 水嵩さんはため息を吐くと浮かない表情で言った。


「あの人にあまり近づかない方がいいかもしれない。それに……火差君は見た?」

「見たって?」


 僕と水嵩さんは同い年というのをお互い認識したから自然としゃべり方が砕けてきたのだが水嵩さんはよく分からないことを言う。


「夜に……」

「もしかして野生動物のこと?おじいちゃんもおばあちゃんも話してたよ」


 水嵩さんはまだ何か言いたそうだったけどそれ以上言葉を続けることはなかった。僕は何だか聞きにくい雰囲気だったのでとりあえず彼女に席を譲ることにした。調べ物にも飽きた頃だしお腹も空いてきた。


「じゃあ勉強頑張ってね」


 僕は手をひらひら振ると水嵩さんを残して資料室を後にする。僕の頭の中はすっかり昼ご飯に切り替わっていた。


 蝉の声が少なくなり辺りが薄暗くなってきた頃だった。


「じゃあ買い物行ってくるから。留守番お願いね」

「うん。いってらっしゃい」


 僕は祖父母を見送り居間で麦茶を飲んでだらけていた。何となくノートに自由研究のまとめをする。それも最初のうちだけですぐにテレビ番組に視線がいってしまう。


 ふいに網戸の外を見る。今日も2,3匹ほどカエルが引っ付いていた。

 そう言えば春明さんと水嵩さんは「夜に気をつけろ」みたいなことを言っていた。もしかして2人とも野生動物に遭遇してしまったのだろうか。それにしても2人の反応は大きく異なっていたのが気になる。春明さんは軽い雰囲気で言っていたけど水嵩さんからは恐怖のようなものを感じた。

 違和感について考えようとした時だった。


ドンッ


 物音が聞こえてきて僕は思わず肩を震わせた。音は蔵の方から聞こえた気がする。

 僕は冷や汗をかいた。もしかして遂に僕の家にも野生動物がやってきたのだろうか。しかも音からして蔵に突進しているようだ。ということは……猪?

 テレビをつけたまま静かに蔵に向かうことにした。どうしてこう一人の時にやってくるのだろうか……。


 僕はそっと玄関まで足を忍ばせて進む。その間にも何度か音が聞こえてくる。辺りは暗くなってきたもののまだ肉眼で見える明るさだ。役に立たないだろうけど玄関に置いてあった傘を手に蔵に突進する音の正体を確認することにした。いざとなったらこの傘で自分の身を守るしかない。

 蔵は玄関をでてすぐ左手にある。サンダルを履いて静かに玄関の扉に手を掛けた。


 僕は息を殺しながらサンダルを履くと動物に気が付かれないよう静かにスライド式のドアを開ける。ゆっくり蔵の入り口を覗き込むように上体を外に出す。


「なんだ……あれ」


 僕は息を呑んだ。目の前のものは野生動物ではない。そもそもこの世のものじゃないとすら思った。

 蔵に向かって夢中になって突進していたのは顔が牛で体が人のよう奇妙な生き物だった。僕は驚いて後ろに尻もちをついてしまった。

 やばい、と思ったときにはもう遅い。背中に冷や汗が流れる。

 突進する音が消えたかと思うとザッザッと玄関に近づいてくる音が聞こえる。やがてスライド式のドアの窓に奴の影が映る。僕は傘を手にじっと息を殺した。立膝になって自分が上体を出すために開けた狭いスペースに狙いを定める。

 奇妙な生き物がドアにてを掛けてその姿を現したときだ。僕は何も考えずに傘を勢いよくその生き物に向かって突き出していた。

 この世の物とは思えない鳴き声がして生き物が吹っ飛ぶのが見えた。自分でも信じられないぐらい力が出て僕は思わず数回瞬きしてしまう。


「え?」


 恐る恐る生き物がどうなったのか見るために玄関から飛び出すが姿は見えない。それに傘も。

 僕はここで初めて2人が夜に気をつけろと言っていた意味を知ることになる。

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