第5話 2008年8月4日 民宿と謎の青年

 朝食の片づけと自分の分の洗濯物を干し終わると村の散策にでかけるのが日課となっていた。家族から離れて過ごす夏というのもなかなか新鮮で楽しいとさえ思う。

 今日は売店よりももっと西の方に向かうつもりだ。地図を見るとこの村には珍しい宿泊施設があることが分かった。『民宿 竜泉りゅうせん』と書かれている。


 昨日アイス代としてもらった千円を返そうとしたら祖母に「夏休み期間中何かと必要になるから持っておきなさい」と言われ僕の財布に収まったままだ。自販機でジュースでも買いがてら歩くことにする。


 昨日のことがあるから『売店 とわこ』には近づかない道を選ぶことにした。土鞍錬つちくられんと鉢合わせたくないからだ。

 田畑が広がりどこも同じような景色に見えるのだが昨日とは少し違っている。相変わらずの暑さに僕は時折立ち止まって民家の屋根の下の日陰を借りる。心なしか空の一部分に雲が集まって先ほどよりも涼しい。かといって決して過ごしやすい気候ではなく空気が籠っている感じがして気持ち悪い。


 僕が歩いている道の左手は田んぼを挟んで広めの道路なので車がよく通るのが見えた。道路に繋がる一本の畦道を通って僕が歩く道までくればこの『民宿 竜泉』の看板を発見することができるだろう。そう言えば車で呼子村に入る途中、国道沿いにも看板があったような気がする。


「あと500メートル?」


 僕は大きなため息を吐いた。もうひと踏ん張りするかと歩みを進めようとしたときだ。

 ゴロゴロゴロと空の奥の方から不穏な音が聞こえてきた。ああ……これはやばい。僕は直感的に走り出していた。腕にぽつぽつと水滴が落ちてくる。スコールだ!最近よくニュースで叫ばれる『局地的雷雨』だ!

 僕は夢中で『民宿 竜泉』へ駆け込んだ。その瞬間背後でバケツをひっくり返したような雨が降ってきた。ずぶ濡れにならなかったことに安堵のため息を吐く。


「セーフっ!君足が速いんだね」


 僕は背後に人の気配を感じなかったので慌てて振り返る。靴を入れる下駄箱と玄関を超えた先、受付らしきカウンターの側に設置されたソファに優雅に足を組んで座っている人物が楽しそうに僕を見ていた。

 20代前半の男性らしいのだが普通の人よりも少し髪が長い。髪を縛っており結んだ毛束が数センチ出ている。縛るか縛らないか悩むような髪の長さだ。華奢な体格をしているが背はすらりと高い。170センチ以上はあるんじゃないかと思う。ワイシャツに黒いパンツというこの村に不似合いなお固めな格好をしている。手には受付に置いてある観光パンフレットを持っているからきっと宿泊している観光客なのだろう。


「……。危ないところでした」

「それにしても本当にすごいスピードだったよ。もしかして陸上競技の選手とか?今から中国に行けば金メダル取れるかもよ」


 青年はそんな風にオリンピックにかけた冗談なんか言う。柔らかい物腰なのがなんとも胡散臭い。僕は適当に青年に話を合わせることにした。


「僕は部活やってませんから」


 見知らぬ青年と暫くここで雨宿りしなければならないなんて気まずすぎる。僕は話したくないのに向こうは話し好きのようだし。僕はキョロキョロと辺りを見渡した。宿主は留守らしい。


「不思議だね。普段運動してないのにあんなに走れるものかな?」


 青年が楽しそうに首を傾げる。その様子を見る限り疑問に思っているというより答えを知っていて敢えて此方に問いかけているように聞こえた。確かに僕にしては速く走れたけどそういうときもあるんじゃないか。というか本当にこの人は怪しい。

 僕の第六感が危険だと告げている。敢えて黙り込んでこの場をやり過ごそうと考えた。


「君ってもしかして五家の子?」


 青年の核心を突いた質問と共に雷が鳴る。僕は思わず後退って青年と距離を取った。その様子を見て青年は小さく笑う。


「ごめん。驚かせちゃった?僕この地域の歴史のことを調べてるんだ。この家の子が五家のうちの一つだったからもしかしてと思って」

「この民宿の子供五家……?」

「ということは君も五家の子供というわけか」


 青年が僕の言葉を聞いてしてやったりと笑った。僕はしまったと思ったがもう遅い。青年に自分の素性がバレたのが何だか悔しかった。


「良かったら話を聞かせてもらえないかな?」


 青年は笑顔で圧倒してきたので僕は従うしかなかった。雷が僕の背後で鳴り響く。雨が止むまではこの青年に付き合うしかない」。



「僕は賀茂春明かもはるあき。大学生でこの地域の研究をするためにここに来たんだ。8月いっぱいはこの民宿にいるつもり。君は?」


 僕はサンダルを玄関に置き、その辺に置いてあるスリッパで建物に上がると春明さんの正面に置いてあるソファに腰かけた。同時にキャップを外す。髪の毛に空気が流れていく感覚がする。


「……火差義人ひざしよしとです。五家のうちのひとつです……」


 僕が名乗るなり春明さんは目を輝かせた。


「うわーやっぱり?どうりで!そうかなーと思ったんだよ」


 僕がじとっとした目で見返すと春明さんは姿勢を正して僕に詫びた。


「ごめん……。つい研究のこととなると熱くなってしまって。ということは『五家祭り』に参加するのかな?」

「はい。そのために夏休み呼子村よびこむらにやってきたんです」

「へえ。じゃあ普段はこの辺りに住んでないんだね」


 春明が納得するように頷いた。


「あの、この民宿って五家のどの家の人が経営してるんですか?」

 

 今度は僕が彼に質問した。


「ああ。ここは鐘崎家の民宿だよ」

「鐘崎家の子ってどんな人でした?」

 

 僕はライバルの情報収集を始める。今のところ土鞍家の子供は不良という情報しか仕入れていない。


さく君はいい子だよ。よく民宿の手伝いをしていてね。今は多分小学校のプールに行っていると思うけどこんな雨が降ってかわいそうだな」


 そう言って窓の外を見る。鐘崎朔は小学六年生で話に聞く限りいい子そうだった。


「火差家と言えば火差義明ひざしよしあきの太刀だね。竜退治をしたということはさぞかし立派な太刀なんだろうね。本物が君の家にあるの?」


 春明さんは興奮気味に僕に聞く。火差義明というのは僕のご先祖様の名前だ。小さい時に一度だけ太刀を見たことがあるがサイズは大きくなかったし普通の刀だ。竜という大型生物を退治できるような武器にはとても見えなかった。

 竜を退治したというのも誇張表現だろう。


「確かにうちに太刀はありますよ。何も変わったところのない普通の刀です」


 春明さんはあははと楽しそうに笑った。


「火差君は現実主義者なんだねー。歴史のロマンっていうのを感じて欲しいなー。まあこちらとしては太刀があるだけども嬉しい!是非見せて欲しい!」


 春明さんの勢いに圧倒されそうになったが僕は祖母の言葉を思い出す。家宝の太刀は基本親族以外に見せてはいけない。蔵から持ち出すのも祭りの時ぐらいだと聞いている。


「それは……難しいと思います。でも五家祭りでなら見ることができますよ」

「やっぱり?朔君にも同じこと言われたよ」


 春明がしおれたような表情になった。僕は春明の発言に首を傾げた。


「他の家にも家宝の武器があるんですか?」

「君は本当に何も知らないんだな!」


 雨の音が先ほどよりも弱まってきたため春明さんの声がより大きく聞こえる。


「五家にはそれぞれ妖怪を倒すための特別な武器が受け継がれているんだ。永久湖とわこから力を授かった武士がその武器を使うと不思議な能力を帯びると言われているんだよ。

 例えば鐘崎家は“目くらましを祓う刀”が伝わっているとか。こんなに面白いのに火差君は五家の歴史に興味ないの?」


 春明さんがいかに研究熱心かよく分かった。同時に厄介な人だなとも思う。多分歴史オタクなんだ。最近歴史好きの女性を「歴女」なんて呼ぶのが流行っているらしいけど春明さんも同じようなもんだろう。


「僕あんま歴史興味ないんですよ。昔のこと知ったところで?って感じで。暗記するだけの科目で面白くないんです。将来の役にも立たないし」


 僕は春明さんに馬鹿にされた腹いせにわざと歴史という科目に対する文句を言う。学校や自分の周りに興味が湧くような楽しいこと、面白いことなんてない。


「それは火差君が受け身の学びをしているからじゃないのか」


 春明さんが腕組みしながら力強く言った。

 久しぶりに大人の説教……というか意見を聞くような気がする。大体大人や先生って自分の意見というものを言わない。全部何かの建前のような気がしてしまうんだけど春明さんは違った。

 きちんとした春明さんの考えのようで僕は少し驚く。


「歴史だけに言えることじゃないけど自分から学ぼうとしなければ勉学というのはつまらない。与えられた課題をこなしてるだけでは本当の学びではないんだよ。将来の役に立つかどうかも自分の学び方、活かし方次第さ。他の人が役立たないと言っていても自分には役立ったということもあるはずだよ。

 人生においてもそうかもね。自分で考えて動かないとたちまちつまらない人生になってしまう」


 僕は黙って春明さんの言葉を聞いていた。僕が人生つまらないと思っているのはもしかして自分で考えて動いていないせいなのだろうか。


「君も近いうちに歴史を嫌でも学ばなければいけない時がくるさ」


 春明さんはそう言って楽しそうに笑った。気が付くと窓に再び夏の太陽が戻ってきていた。民宿のエントランスがじわりと暑くなる。


「あ!晴れた。そうしたら僕はここで失礼します」


 僕は立ち上がるとキャップを被りソファから立ち上がる。つい民宿に長居してしまった。今日干した洗濯物が気になるので家に戻ることにした。


「ごめんよ。説教みたいになってしまって。年を取ると若者に色々言いたくなるんだよ。話し聞かせてくれてありがとう」


 春明さんが頭を掻きながら言う。


「春明さんも若者じゃないんですか?大学生だし」


 僕はサンダルに履き替えながら春明さんに突っ込む。すると春明さん予想以上に考え込むような素振りをみせる。


「若さで言ったら君たちには負けるって。8月いっぱいはここにいるから何かあったら来るといいよ」

「……はい。失礼しました」


 心の中でもう春明さんに用事があることってなくないかと思いながらも快く返事をする。春明さんは何とも不思議でつかみどころのない人物だった。


「ああ!そうだ!」


 春明さんがパタパタと僕の元に駆け寄ってきて言った。


「これから夜は注意した方がいい」



 結局そのあと僕は家に戻ることにした。そろそろお昼時だし。お腹も空いてきた。

 洗濯物は祖母が室内に取り込んでくれたため無事だった。お昼のそうめんを食べてその後は涼しい室内でゲームをし、ぼんやりテレビを見て終わった。


 今の僕はというと夕ご飯後のスイカを堪能しながら縁側に座っている。

 春明さんのことを思い出す。

 つかみどころのない不思議な人物だった。『自分で考えて動かない人生はつまらない』という言葉が僕の心に残る。

 人生をつまらなくしているのは自分だと言われている気がして少し腹が立った。だったら面白くさせてやろうじゃないか。春明さんが驚くくらいに!

 

 対抗心を燃やした僕は手始めに歴史を自分から学ぶことにする。火差家や五家祭りのことを調べようと思った。

 どうせ自由研究で調べなきゃいけないんだし。僕は明日集会所にあるという資料室に向かうことにした。





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