第4話 2008年8月3日 ヤンキー

土鞍つちくらさんの家の近くにこの村唯一の売店があるから行ってきたら?ほらアイス買ってきていいから」


 五家ごけ祭りの為に村を散策しようとサンダルに足を突っ込んだ僕に祖母が声を掛けてきた。被っていたキャップのつばを上げる。そう言って千円札を僕の目の前に差し出してきた。

 祖父母は油断するとすぐ僕にお金を渡してくるから困る。昨日も畑を手伝ったら1万円札を渡してくるものだから丁重にお断りした。たった数分の畑仕事に1万円は対価が大きすぎる。

 地図は既に祖母から貸してもらった防災マップを頼りにすることにした。携帯電話の地図機能があれば現在地が分かるんだろうけど僕の家は高校生になるまで携帯をもつことが禁止されている。こうして泣く泣く紙の地図を手にしているわけだ。


「店ってこの『売店 とわこ』のことですか?」

 僕が地図を指さしながら聞くと祖母は大きく頷いた。

「そうよ。そのお店、五家の一つ土鞍さんのお家が経営しているの。ああそうだわ!ついでに挨拶も行ってきちゃいなさいよ」

「え?」


 突然の指令に僕は固まった。知らない人と話すのはあまり好きじゃない。結局五家祭りで顔を合わせるのだ。だったら今のうちにどんな人か見ておいてもいいんじゃないかとも思った。


「分かった。行ってきます!」

「そうしたらこれ持ってって。昨日収穫した野菜」


 僕は祖母から紙袋と千円札を受け取ると売店へ向かうことにした。視界にはひたすら田んぼが広がっている。時々木陰があるものの直射日光の照りつける砂利の道は暑かった。


「あっつ……」


 僕は何度か暑いと呟きながら先を急いだ。ゆっくり散策しようと思ったがこんなに暑いと早々に切り上げて帰りたくなる。

 歩いていても人とすれ違わないのが面白い。遠くの方で畦道をトラックが走っていくのが見えるぐらいだ。

 暫く道なりに歩いて行くと民家が小さく集まっている道に出た。小さな郵便局があったので人の気配を感じた瞬間に僕はほっとした。田舎の道は複雑ではないものの人が見当たらない分歩いていると不安になる。

 僕はポケットから防災マップを出して現在地を確認する。郵便局の道を挟んで隣に『売店 とわこ』はあるはずだ。


「あった……」


 僕は額の汗を拭いながら色褪せた看板を見上げた。コンクリートの建物で居住スペースと一体になっている店だった。二階に土鞍さんが住んでいるのだろう。五家の家は全部日本家屋だと思っていたので想像以上にコンパクトな家に驚いた。

 恐る恐る店内に足を踏み入れると中は普通のコンビニのようだった。品ぞろえはそこまでよくないが必要最低限のものはここで揃えられそうだ。


「いらっしゃい。あれ?見かけない子だね」


 突然声を掛けられ思わず肩を揺らす。店の奥から感じのいい中年女性がにこやかに現れた。いかにも商売に向いていそうなよく張った大きな声が僕の耳に響く。


「はい!あの……。土鞍さんのお宅でよろしかったでしょうか?僕、火差ひざしというんですが……」

「ああ!火差さんちの!あらーこんなに大きくなって!!すごく久しぶりじゃない?うちの子と背が同じぐらいかな?」

「ああ……ええっと、そうですね。9年ぶりに来ました」

「9年!?」


 僕は一々反応の大きなおばさんに辟易としながら会話を続ける。とっとと野菜を渡し、アイスを買ってここから離れようと心に決める。


「これ。祖母が土鞍さんの家にって。昨日収穫した野菜です」


 僕はおばさんに紙袋を突き出す。


「あら。気遣ってくれてありがとう。おっきいトマト!今夜頂くわね」

「ついでにアイス買ってもいいですか?暑くって……」


 僕はTシャツの首元を引っ張ってほのかな風を作ってみせる。その様子を見ておばさんは笑った。


「今日も暑いもんねー。いいわよ。好きなの持ってって。お金はいらないから」

「え?いや。それは悪いですよ……」

「いいから!若いのに遠慮しないの!」


 若いからというよく分からない理論で僕は半ば押し切られるようにアイスをタダ食いさせてもらうことになった。アイスケースの前に立つと僕は定番のソーダ味のアイスを手にする。あたりが出ればもう一本もらえるし。


「店の前のベンチ使っていいからね」


 僕は店の前に置かれた気のベンチに腰掛ける。ベンチの右端には赤い煙草の吸い殻入れとゴミ箱が置かれていたので僕は左端に座る。

ビニール袋を開けるとすでにアイスが溶け始めていた。べたつくビニール袋の包み紙をゴミ箱に素早く入れる。

 やばい。これは早く食べなければ。勢いよくソーダアイスにかぶりついた時だった。

 短髪で髪の毛を金に染めた少年が目の前に現れた。小型の黒いバイクを引いている腕は僕よりも太くて全体的にがっしりとした体格をしている。耳には金のリング状のピアスをし、背は僕よりも5,6センチは高いだろうか。

 あ。田舎ヤンキーだ。本物初めて見たな……と思いながらアイスにかぶりつくのを思わずやめたらそのヤンキーが僕をじとっとした目で見る。気まずくなって僕はアイスを口に入れた。


「あ!丁度よかった!れん、その子火差家の子だからちゃんと挨拶しとくのよ」


 ヤンキーの気配に気が付いたおばさんが店内から声を張り上げて言う。


「火差って……こいつ、五家の子供なの?」


 ヤンキー……どうやら彼が土鞍家の子供であり五家祭りの参加者らしい。そして僕の競争相手でもある。


「へえーなんかヒヨってんな」


 僕はアイスを食べながら錬の言葉にカチンときた。僕を見ての感想が「ひ弱そう」だったのだ。しかも少し見下した笑いをしているのがムカついた。いつもの僕だったら荒波立てずにその場を笑って誤魔化して終わらせるはずなのに何故かこの時そうはいかなかった。


「粋がってるだけのくせに」


 アイスを食べながら冷笑を浮かべるなんてことをやってのけたのだ。多分暑さのせいだと思うけど。僕は一体何をしてるんだ……。

 その言葉を聞き逃さなかった錬はあからさまにキレていた。分かりやすく眉間にしわをつくって顔をひくつかせている。


「……は?」

「何してんのよ錬!まーた人様に喧嘩吹っ掛けて!ほんとどーしようもないんだから」


 異変を察知したおばさんが慌ただしく店から飛び出してくる。


「こいつが……「それじゃあ僕は帰りますね。アイス、ごちそうさまです!」


 錬の言葉を遮るように言うと僕は慌ててベンチから立ち上がってもと来た道を歩き始めた。勿論食べかけのアイスを手にしたまま。これ以上ここにいるのは危険な気がする。


「あ!おいっ!」


 背後で錬の声が聞こえたが構わずに走り出す。

 僕は溶けるアイスと格闘しながら火差家へ向かった。手がベタベタになって気持ち悪いが家に付くまでの辛抱だ。

 どうしてあんなこと言ったんだろう。自分で言っておいてあれだけど僕じゃない何者かが言ったような気がするのだ。

 違和感があったものの不良に一発かませたのはすがすがしい気もする。


「暑い……!」


 手はベタベタなので腕で顔の汗を拭う。

 あいつだって僕に失礼なことを言ったんだ。お互い悪かったということで僕は勝手に喧嘩両成敗にする。

 ふと食べ終わったアイス棒に視線を落とす。


「あ……当たりだ」


 こんな時に当たっても嬉しくない。暫くあの売店には顔を出せそうもないからだ。



「錬に会ってきたんだろ?どうだった?」


 祖父がマッサージチェアに座りながら面白そうに僕に声を掛けてきた。マッサージチェアが祖父の肩をドドドドと叩いている。音のせいで祖父の音量声量がいつも大きいというのに更に大きくなる。

 夕食を取り終えた居間でテレビ番組を流し見しながら僕は答えた。


「どうって……。どうも思わないよ」


 祖父は僕の答えに大笑いした。


「あいつ高校でもやんちゃしてるらしくてなー。義人大人しいから絡まれてないか心配だったんだよ」

「……あの人高校生だったんだ」


 そういえばバイクに乗ってるんだから高校生か。僕は祖父の「絡まれなかったか」という質問を自然に流しながらそんなことを考えた。


「そうだぞー。すーぐ高校はいるなり免許取って事故って。面白い奴だよあいつは。祭りで顔合わせるだろうし仲良くしな」


 もう手遅れだよ、と祖父には言えなかった。仲良くなんかなれそうにない。それどころか僕のせいで拗れてしまった。できればもう顔を合わせたくない。


「……うん」


 僕の力ない返事を他所に祖父が会話を続ける。


「そう言えば最近野生動物が出没してるらしいな。しかも夜に出没してるってよ。祭りの時は注意しなくちゃなあ」

「動物?」


 テレビから顔を離して祖父の方を見た。その言葉に驚いたけれども山が近いのでそういうこともあるかとすぐに冷静になった。


「クマだか猪だか分からないが……。ご近所さんたちが家の外で気配がするってよ」

「動物の姿をみてないんですか?じゃないと対処しようにも何もできないじゃない」


 スイカを盛った皿を運んできた祖母が心配そうに言う。


「らしいな。草むらを駆けていく音はするんだがまだ姿を見てないらしい。クマだったら怖いな」


 僕はテーブルに置かれたスイカを一つつまみながら昨日のことを思い出す。


「そう言えば昨日、うちの庭でも何かいる気配がしたな……」

「あら!やだ!」


 僕の言葉に祖母が大袈裟に反応する。


「クマよけでも準備しとくか……」


 そんな会話をしてから僕は用心深く夜の庭を注視したけれども今日は何もなかった。

 明日はもう少し呼子村での行動範囲を広げていきたいと思う。

 一行日記には『不良に絡まれた』と書いておいた。




 



 

 





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る