第3話 2008年8月2日 力呼びの儀
僕はアラーム付きのデジタル腕時計の音で目を覚ます。時計は朝の7時を指している。今のところは順調に起きることができているが夏休みの中盤になるとどうなるか分からない。
障子越しに午後から暑くなると予感させるような日差しが差し込む。僕はあくびをしながら居間のテーブルの前に座った。既に台所の方から物音がする。既に祖母が目を覚まし朝ごはんの準備をしているらしい。
僕は洗面所へノロノロと歩みを進めた。
ひと昔前のメーカーの洗濯機を横目に蛇口をひねって顔を洗う。夏だからだろうか。心なしか水が生ぬるい。
寝ぐせなのか天然パーマなのか分からないので早々に髪型を整える作業を止めて台所へ向かう。何故か洗面台と台所の間にドアが存在し突っ切ることができる。
「おはようございます」
「あら!おはよう。偉いわねえ夏休みなのにきちんと起きて」
祖母が大げさに褒めるので僕は照れくさく思いながらも朝食の準備を手伝う。僕はしっかりとした朝ごはんに驚いていた。夕ご飯と同じぐらいの品数に目を瞬かせる。
「たくさん食べなさい」
ご飯に味噌汁、焼き魚にほうれん草のおひたし……。いつも菓子パンで終わらせる我が家とは大きく違う。両親ともに共働きだし朝は皆慌ただしいから菓子パンで問題ないのだが驚いてしまう。まさかテレビドラマで見かける日本の朝食を目の当たりにするとは……。動揺していることがバレないように朝食を居間に運ぶ。
「いただきます」
僕はお腹が膨れるぐらいに朝ごはんを食べた。驚いたことに祖父母は既に朝食を終えているらしい。祖父に関しては仕事でもう家を出ているという。
学校もないのでゆっくり食べることができる。昨日のメロンも本当においしかったが朝ごはんもおいしくて全部食べられるか不安だったが結局平らげてしまった。
「昨日の疲れはもう取れた?これから”
僕は食器を台所に運びながらはっと我に返った。昨日祖父母に僕の現状を質問攻めされたせいで肝心の五家祭りのことやら力呼びの儀のことについて聞くことができなかったのを思い出して一気に目が覚めた。
荷物を置いた部屋に戻ると布団を素早く畳み、Tシャツとハーフパンツ姿に着替えて台所へ走る。祖母はハイスピードで支度を終えた僕を見て笑った。
「そんなに急がなくても大丈夫よ。そしたらまず力呼びの儀と五家祭りについて説明しようかね」
そう言って祖母は居間の炬燵机の前に座りながら話を始めた。午前中は自然の風と扇風機の風だけで部屋を涼しくさせている。今の時間帯は体にちょうどいい気温で風が気持ちよかった。
「まず五家祭りと言うのはね、子供の成長を祈るお祭りなの。だから元服を迎えたばかりの子供たちを祭りの主役にしてるのね。でも昔はそれだけじゃないの。村の安泰なんかの意味も含まれてたんだよ。
何故なら
祖母は昔話をきかせるようにゆったりとした口調で話してくれた。
「五家ってこの村に実際に存在する五つの家のことですよね?」
「そうだよ。私達の家火差家と永久湖の北にあるお家『
僕は永久湖というワードに引っかかった。父からも「湖に近づくな」と言われたので余計に気になってしまう。
「どうして?」
祖母はその質問を待っていましたというように笑ってみせた。
「永久湖には不思議な力が宿っていてね。悪い妖怪たちはその湖を目当てに集まってきてたの。しかも都は陰陽師がいたから都を追われた妖怪が呼子村に集まってきちゃったらしいのよ。それを退治するために都から派遣された武士が私達、五家だったの。だから湖を取り囲むように五家のお家が建てられてるのよ」
「へえー」
僕は五家祭りや自分の家のことを父から何となく聞いて知っていたがのんびりとした性格の祖父母や父を見るかぎり武士の末裔だったなんて考えられない。
妖怪なんて人が作り出した概念に過ぎないから妖怪退治の武士、というより普通の武士だったんだろうと僕は解釈している。
「しかも永久湖には竜が住んでるのよ。凄いでしょ」
「竜?竜って架空の生き物の竜ですか?」
竜と聞いて僕は漫画に登場するとぐろを巻いた巨大な蛇のような姿を思い描く。願いでもかなえてくれるんだろうか……と考えてしまうのは漫画の読み過ぎだろうか。
「そうよー。妖怪を倒しても倒してもやってくることに疑問をもった五つの家の武士たちはね湖に注目するようになったの。本当の原因はこの竜が妖怪を呼びよせていたからだったのよ。この竜を成敗して湖に沈めたのが私達のご先祖様よ」
僕は半信半疑で昔話を聞いていた。過去の出来事は脚色が激しいものだと知っていたが想像以上に話が誇張されていて驚く。僕のご先祖様、話盛りすぎじゃないか?村の治安を守っていたということはよく分かるけれども妖怪退治に竜退治って……まるでゲームだ。
「へえー。凄かったんですね……」
早くも歴史に興味を失った僕は生返事をする。
「この辺の歴史を知りたければ集会所の資料室に本があるからね。調べてみるといいよ。集会所はここから20分くらいはかかるかな」
「時間があったら行ってみる」
僕は歴史にそこまで興味がなかったが会話に合わせていい返事をしておいた。学校では暗記すればすぐに点数が取れるから嫌いな科目かと言われるとそんなこともない。
そうだ。こうなったらいっそ自由研究の課題にしてしまおう。五家祭りに参加できるだけでなく宿題を終わらせることができる。僕は自分の発想力に自分で拍手を送った。
「それでね。五家祭りで義人がやることはね……妖怪退治よ。しかも夜」
祖母が険しい顔をしながら僕を見て言ったので思わず固まってしまった。
「妖怪退治って……。『妖怪退治の儀』のことですよね?妖怪に見立てた人形を沢山見つけるっていう催し事。勝った家にはお米とか特産品がもらえるって」
僕はすぐに祖母の冗談だと分かったので現実の祭りの内容を口にした。
「あら。義人は夢がないわねえ。お盆辺りから実際に妖怪に見立てた人形探しは始まるんだけどね」
実際に人形を探し始めるのは8月13日から17日のお盆期間のしかも夜に限定して行われる。実質8月いっぱいが五家祭りの期間となっているらしい。五家祭りに関わる儀式が8月を通して行われるらしく力呼びの儀もその一環なのだとか。
てっきり人形を探して終わりだとおもっていたので思わず顔を顰めた。意外と労力がかかりそうだったので僕は思わず面倒だななんて思ってしまった。祭りをするために段階を踏まなければならないことに嫌気がさす。効率よくできないものなのだろうか。祖母に面と向かってそんなこと言えないけど僕はそう思う。
「流れとしては”力呼びの儀”をやって“妖怪退治”、“竜神参り”のあとに“力返しの儀”になるねえ。もりだくさんだよ」
「そんなにあるんですね……」
「力呼びの儀で私達のご先祖様の力を降ろすの。妖怪退治するには力が必要でしょう?妖怪退治の後は永久湖に住んでいた竜のお参りね。永久湖の近くに小さな神社があるの」
僕はそれを聞いて首を傾げた。
「竜って悪い奴だったんですよね?でもお参りするんですか?」
「退治したあとで村の守り神として祀ったのよ。だからそのお参りね。これは8月の終わりぐらいかしらね……。それと最後。力をお借りしてたからきちんと戻さないとね。これで五家祭りの説明はおしまい」
祖母は話し終えると両手をぱんっと叩いた。僕は早くも怠いという気持ちになってしまったが祖母はそんな僕に構わず立ち上がると優しい笑顔で言った。
「それじゃあ力呼びの儀でもはじめようか」
僕は祖母に連れられて家の側に建てられた小さなお堂の近くまでやってきていた。祖父母の家は普段寝起きする母屋のほかに小さな蔵とお堂がある。5歳の時の記憶の通り蔵とお堂は隣り合って建っていた。
朝のため鳴いている蝉の数はまだ少ない。僕よりも頭一つ分小さな祖母の後頭部を見ながら後を追う。
お堂の前までやってくると祖母はお堂で一礼する。僕も祖母に合わせて軽く会釈をした。
「どうか
祖母はそう手を合わせるとお堂の前に置いてあった瀬戸物でできた瓶から器に何やら水を注いだ。
「はい。これを飲んで」
「……これ。何?」
僕は渡された液体を注意深く観察する。透明でどうみても普通の水なのだが飲んで腹でも下したら嫌だ。
「それは永久湖の近くで湧いている井戸水よ。ほら永久湖は不思議な力が宿ってるって話したでしょう?それは人に対しても効き目があるらしくてご先祖様たちは湖から力を借りていたの。さすがに湖の水は飲めないから湖の近くにある井戸水だけどね。昔は湖の水だったらしいよ」
今時井戸水とか大丈夫なんだろうか。お堂に置いてあったということは生温かくて不味いんだろうななんて考える。夏休みに腹を下して寝込むなんてことにはなりたくない。僕は暫く器を眺めていた。
幸運なことに祖母は再びお堂に向かって手を合わせて何か祈っていた。僕は後ろ手に器の水を雑草にかけた。少しずつ器の水を落とせば大きな音はでない。それに丁度側にあった木の蝉が盛大に鳴き始めたから祖母に気づかれることはなかった。
「飲んだらどうすればいい?」
如何にも飲み干したかのように声を掛けると祖母は手を合わせるのを止めてこちらを振り返る。
「飲めた?そしたら手を合わせて」
手を合わせ一礼する。先祖に対して何も思うことはないが祖母の言うとおりにする。
「家宝の太刀はまたお父さんの手が空いている時に見せましょうね。隣の蔵に保管してあるんだけど鍵はお父さんが持ってるのよ」
「はい」
太刀が見られないのは残念だったけど仕方ない。
『朝は儀式を行い、昼は畑を手伝いました』
晩御飯を食べ風呂を終えたその日の夜。
僕は学校から課された一行日記なるものを居間のテーブルを使って書いていた。小学校の時の絵日記とは打って変わり簡素にはなったものの代わりにワークやプリントといった宿題の量が多い。大体の宿題は7月の後半で終わらせたものの自由研究と日記という大物が僕の夏休みに立ちはだかっていた。
畑の手伝いをしたおかげで今日の風呂は肌が痛かった。多分この夏僕は運動部の生徒並みに日焼けしてしまうだろう。そしたらクラスメイトに馬鹿にされそうだな……なんて考えている時だった。
ガサッという物音が外から聞こえてきた。
何だろう。今確かに庭園の茂みが動いたような気がする。
僕は縁側の縁側の網戸を勢いよく開いた。網戸に張り付いていたアマガエルが驚いたようにどこかへ飛び去る。
暫く辺りを見渡してみるが何もない。どうやら気のせいだったみたいだ。
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