第2話 2008年8月1日 呼子村
僕は冷房の効いた車内で流れていく景色を眺めていた。
昨日は比較的早くに眠ったものの通学時間よりも早くに起きるのは辛い。ペットボトルのお茶を飲んで大きなあくびをする。
「まだお盆前だからそこまで道路は混んでいないと思うけど。休みたかったら言ってくれ」
「うん」
僕は運転席に座る父に返事をする。結局父は今日一日休みを取って僕を
カーナビから最近人気の5人組男性アイドルグループ『ビッグ・ストーム』のアルバム曲が流れてきた。僕のクラスの女子生徒にも熱狂的なファンがいる。スクールバックにどこで購入したのか、彼らの顔写真が入ったキーホルダを付けているのを見かけたことがある。しかも5人のメンバー全員分揃えている。彼らの曲は老若男女問わず人気で僕もよく聞いていた。母も妹も好きでテレビ番組に登場するとよくキャーキャー言っている。
暫くは気分よくドライブを楽しんでいたが車の動きが遅くなると車内に飽き飽きしてくる。車外の景色は一向に変わらないし、目の前には車のハザードランプが点滅する様子しか広がっていない。最初こそ「へえ広島ナンバーかあ。沖縄?すごい」とか渋滞してもナンバープレートを見て楽しんでいたがそれにも飽きてくる。
父と会話も段々と減っていき最終的にはカーナビから流れる音楽しか耳に入って来なくなった。
父が隣で機嫌悪そうに眠気覚ましのガムを噛んでいる。
手持無沙汰になった僕は静かに瞼を閉じた。渋滞の時は何もせずに眠るのが一番良いんだ。
「おいっ。
うたた寝していたところを急に父に声を掛けられ飛び起きる。僕は慌てて父の財布から千円札を引っ張り出すと父に手渡した。自分が財布係だったことを思い出す。
そのあといくつかパーキングエリアに立ち寄ってご飯を食べ、休憩を重ねた。長距離のため給油も必要だった。見慣れた景色は何処かへ消え失せ、緑の多い景色が増えていく。山をいくつか超えていくので時々耳が詰まったような感覚に襲われる。
結局呼子村に到着したのは午後4時を回った頃だった。
「まだお盆前だってのに時間かかっちまったな……」
父が辺り一面田畑に囲まれた道をぼやきながら車を走らせる。僕は茜色に染まった空と視界が大きく開けた田園風景を眺めながら父を励ました。
「帰りは空いてるんじゃない?」
「だといいけど」
車が立派な日本家屋の前で停車する。黒い瓦屋根の木造建築物はまるでドラマのセットのようだ。庭にちょっとした池と石橋がある大きな家が僕の祖父母の家だった。父曰く「田舎ならこれぐらい普通だよ」とのことで僕らの家が特別だということではないらしい。
車から降りるとむわっとした空気が僕を襲った。車内の冷房が恋しい。蝉の鳴き声が僕が住んでいる神奈川よりも騒がしかった。
呼子村の土を踏んだ瞬間、僕は何故か懐かしい気持ちと力がみなぎってくるような感覚に襲われた。今からマラソンでもできそうなぐらい力が有り余っている感覚がする。
「お疲れさん。
縁側から現れたのは僕の祖母だった。9年ぶりに見た姿は5歳の時に見た姿とあまり変わらない。ある一定の年齢になると見た目は早々変化しなくなるのかもしれない。
義文というのは僕の父の名前だ。父が名前で呼ばれている姿は新鮮だった。そこで改めて父も僕の父になる前は子供で、母親から下の名前で呼ばれていたのだと思い至る。
「……こんばんは」
僕は小さな声で挨拶をする。祖母は僕を見るなり細く垂れ下がった目をかっと見開いた。
「まあまあ!こんなに大きくなって!いくつになったんだっけ?」
「えっと……14歳。中学2年生です」
僕は祖母の勢いに圧倒されながらも自分の年齢を述べる。
「悪いけど
父が僕の荷物が詰まったボストンバックを縁側に下ろしながら言った。僕の呼子村の滞在期間は23日間だ。残りの夏休み1週間分は学校再開に向けての準備と神奈川の生活に戻るための期間として確保しておいた。
23日が丁度土曜日だということもあって仕事が休みの父が迎えに来るのに都合がいいという理由もある。
「あら?義文は泊ってかないのかい?お父さんまだ帰ってきてないのよ」
「いい。俺もう明日仕事だし。親父には宜しく言っといて」
父は祖母の言葉に片手をひらひら振ってとっとと車に乗り込んでしまった。
「じゃあな義人。何かあったら電話するんだぞー!忘れてなきゃ23日の朝迎えに行くから」
「忘れんなよ!」
父の小さなボケに突っ込むと父はにやりと笑って車を出してしまった。
「遠くからきて疲れたろ?まずはゆっくり休みなさい」
「ありがとうございます……。お邪魔します」
僕は9年ぶりに祖父母の家に足を踏み入れた。会わない年月が長すぎて身内にも思わず敬語を使ってしまう。祖母との距離感が上手くつかめない。そんな僕に構わず祖母はグイグイくる。
「義人が来るって聞いてね。メロン貰ってきたから食べよう」
僕は自分の食卓では出てこないメロンが出てくると聞いて内心ガッツポーズをする。あんまり馬鹿みたいに喜ぶと子供っぽくて恥ずかしいと思ったので「楽しみです」と控えめに喜んだ。
当然ながら祖父母の家の殆どは畳の部屋だった。もしかすると2階はフローリングの部屋になっているのかもしれない。僕はガラガラとスライド式の扉を開ける。居間には大きなテレビとマッサージチェア、立派な仏壇が目に入る。部屋の中心には大きい炬燵テーブルが置いてあった。奥には更に広い畳の部屋があり5歳の時に寝泊まりしたのはこの部屋だと思い出す。
呼子村は僕の故郷でも何でもないのに何故か懐かしさと「戻ってきたな」という気持ちでいっぱいになった。
縁側に置いてあったボストンバックを肩にかけながら僕の記憶の中の祖母の家と目の前の光景を照合する。
「小さい頃に泊ったから覚えているかもしれないけど奥の部屋を自由に使っていいからね」
僕は祖母に会釈するとゆっくり襖に手を掛ける。
「うわっ涼しい」
僕が8月中生活する部屋を祖母はエアコンで冷やしてくれていたらしい。熱を持っていた肌にひんやりと気持ちがいい。部屋は八畳の広さで一人で過ごすにしては広々としている。僕が使用するであろう寝具一式が綺麗に部屋の隅に準備されていた。
僕は涼しさを堪能しながら部屋の電気の紐を2回ほど引っ張って明かりを点ける。本当は思いっきり畳に横になりたかったがぐっとこらえて畳の上に座る。身内とはいえ人の家だし小学生じゃあるまいしと思った僕は暫く心地いい部屋に座っていた。
「義人!ちょっといい?」
祖母の声がして僕は慌てて部屋から飛び出した。祖母は穏やかな笑みで僕に向かって言った。
「まずはお線香あげて」
僕は仏壇に正座すると線香をあげて手を合わせる。
「お盆飾りはもう少ししたら出そうと思ってね」
僕の部屋の隣の和室はお盆飾りの部屋になっていた。灯篭と低いテーブルが用意されていた。部屋には見知らぬ男女の写真が壁にかけられていて落ち着かない。
「驚いた?写真の人は全員私達のご先祖様なの」
「へえ……」
僕は無感動な返事をする。どうやら僕はこの写真の人たちと血が繋がっているらしい。どこかにも共通点のようなものは感じないの人たちばかりなのに繋がりがあるなんて言われても全くピンとこない。祖母は無邪気に「義人が遊びに来ましたよー」なんて写真に声を掛けている。
「皆五家祭りに参加したんでしょうか」
「だろうねえ。昔は男の人しか参加できなかったけど子供もたくさんいたし皆この辺りに住んでいたから」
祖母は過去を懐かしむように答えた。五家祭りの中の催し事、『妖怪退治の儀』は五家の子供が元服を迎えなければ開くことができない。タイミングが合わなかったりこの地域に五家の子供たちが揃わなければ開催されないようだ。
ご先祖さまへの祈りや屋台を出した祭りは毎年欠かさず行われているらしい。
「でも今年はすごいねえ。全員五家の子供が揃ったっていうから。
祖母が嬉しそうに言う。僕は五家のことを思い出していた。そう言えばどんな家が五家と言われていたっけと思考を巡らそうとした時だ。
「今日は疲れただろうし“
「力呼びの儀……?」
僕は思わず祖母が口に出した意味不明な単語を復唱してしまった。そんな時外で車の音がしたかと思うとすぐに祖父の声が玄関に響いた。
「ただいまー!おお?義人が来てるのか!」
「あら。お父さん帰ってきた」
祖母と僕は居間に移動すると白髪頭の祖父が僕を見るなり何が可笑しいのか大笑いした。金縁の大きな眼鏡をかけ、年齢の割にはしっかりとした体つきの祖父はやっぱり9年前と変わらぬ姿をしている。
「おっきくなったなあ!ええ?いくつになったんだ?」
祖母と全く同じ質問を繰り返すので僕も同じ答えを繰り返す。
「お父さん力呼びの儀は明日でいいですよね?」
「大丈夫。義人も疲れてるだろうしな」
僕は力呼びの儀って何だ?と思いながらも空腹には耐えられず聞きそびれてしまった。今はとりあえずメロンを食べたい。
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