第3話
前世においても、今生においても、良くも悪くも私は人間からの悪意というものから無縁だった。そう、今までは。
「あれ?」
昼食から教室に戻ってきた私は首を傾げた。
机の中に入れてあったはずの教科書がなくなっている。朝、ちゃんといれたはずなのに・・・。
不思議に思い、首を傾げていると先生が教室に入ってきた。
「では、昨日の続きから始めます。教科書の10頁目を開いてください」
もう一度机の中を覗き込むが、やっぱりない。教科書だけでなく、ペンケースもなくなっている。
(ここ、私の席、だよね)
周りを見渡すけれど、私の席に間違いない。戸惑っていると、「リアドールさん」と先生から声をかけられた。
「どうなさいました?」
先生からの問いかけに、教室中の視線が私に集まった。
「教科書がなくなっているんです。お昼前までは、机の中にあったはずなのに」
私が戸惑いながら話すと、何人かの生徒が私から視線をそらしたような気がした。
「まぁ!」
私の言葉に、大きな声を出して女性が立ち上がった。
「なくなったって、あなた、この教室の誰かがあなたの教科書を盗んだとでも仰るつもり?」
私を睨みつけながら信じられないとばかりに言ってくる深緑のストレートの髪をした女性は、シューラー公爵令嬢で、同じ学年で最も身分の高い生徒だ。
「えっ?私は盗んだなんで言っていません。あったはずのものが、なくなっていると・・・」
彼女の言葉に戸惑いながら話すと、シューラー公爵令嬢は「まぁ!」とさらに大きな声を出した。
「あなた、自分の忘れ物を人のせいにするつもり?なくなったなんて、よくそんな嘘を言えるものね。あなたの発言は、この教室にいる人を疑っているということよ」
信じられない、といって首をふる彼女に、私は「やっぱり人間の言葉って難しい」、と誰にも聞こえないように心の中で呟いた。
物がなくなったと言うと、人を疑ったということなんだ。私は人を疑ったつもりはなかったのに。
やっぱり言葉って難しいな。竜のときは思っていることを伝えようとすると伝わったので、思いが伝わらないということはなかった。思いを伝えるには言葉にしなくてはいけない人間は、言葉にしたら違った思いで受け止められてしまうことがある。
(言葉にするのはまだまだ勉強不足だね)
人間歴15年では、まだ上手くいかないことが多いな、と思い、私は立ち上がった。
「皆様を疑っているわけではございません。でも、そのように受け止められたのであれば、大変申し訳ございません。お昼前までは確かにあったと私は確信しておりますが、それでも今はないということは私の管理不足です。私のせいでお騒がせして皆様の貴重な授業の時間を奪ってしまい、申し訳ございません」
そう言って謝罪し、先生に授業を始めるようにお願いした。
「では、リアドールさんは隣の子に教科書を見せて貰いなさい」
先生は複雑そうな顔をして私とシューラー公爵令嬢を見たあと、切り替えるように私たちに背を向けて教科書を読み始めた。
私はそっと座り直し、シューラー公爵令嬢の睨みつけてくる視線を感じながら、隣の男の子に「教科書見せてくれる?」とお願いをした。
「はっ、はい、どうぞ!」
人が1人通ることができる分だけ机が離れていた隣に、音をたてないように気を付けながら机を側に寄せ、慌てたように教科書を差し出してくる男の子に、「ありがとう」とお礼を言って一緒に教科書を見ることができるようにした。
(でも、何でなくなったんだろう)
不思議に思いながらも、後で考えるようにして、とりあえず今は授業に集中するようにした。
「ということがあったんです」
授業が終わったあと、毎日の恒例となりつつある生徒会室の休憩スペースで、今日あった出来事をユーリに話した。
私の話を複雑そうに聞いていると、何故か話の終わりに近づいたら、ユーリの顔が笑みを浮かべているのに、冷気が漂ってきそうな雰囲気になった。
「そう、隣の男の子と密着して、一緒に教科書を見た、ということですか」
ピッキーンという効果音は幻聴だろうか。なぜか突然冬になってしまった雰囲気に、意味も分からず凍えそうだ。
「えっ、そこ?ユーリが反応するのは、そこなの!?」
びっくりしたように声をあげるのは、ユーリと同じ生徒会会計のクラスタ伯爵家のルドル様だ。
飲みかけのコップを持ったまま、呆れたようにユーリを見ている。
「当然ではありませんか。私の婚約者の半径1メートル以内に近づいたのです。しかも一緒の教科書を見て授業を受けるなんて、何て羨ましい!いや、許すまじ!その隣の男というのは、どこの誰ですか?後からゆっくりと話を聞かなければ」
やけに圧力のある笑顔で話すユーリに、私とルドルは顔が引きつってしまう。
「いや、そんなことより、なくなった教科書は見つかったのか?」
そんなユーリを無視して私に話かけたのは、生徒会長でこの国の王子でもあるレオム様だ。
「いえ。念のため、授業が終わってすぐに寮の部屋を見に行ったのですが、やはり部屋にはありませんでした。なので、先ほどここに来る前に購買に寄り、なくなった教科書とペンケースとかを購入してきました」
そう言って私はレオム様に購入したばかりの教科書などが入った袋を見せた。
「しかし、シューラー公爵令嬢か。予想をしていたけど、やっぱりアリア嬢にからんできたかぁ」
うーんと眉間に皺を寄せて、ルドルは唸った。
「やっぱり?」
ルドルの言葉にキョトンと首を傾げた。
シューラー公爵令嬢とは10日程前に入学して初めてお会いしたばかりだ。もちろんシューラー公爵家の名前は知っている。この国でラドフォード公爵家に匹敵する権力を持った家柄だ。この国の出身ではない私のでも知っている。
もっとも、私はこの国に留学する前に、この国の貴族関係をみっちり勉強させられてきているので、だいたいの貴族関係を知っている。ユーリの婚約者として、知っていて当たり前のことだからと、家庭教師から叩き込まれてきた。
「アリア嬢はこの国の社交界には、まだ出たことがないから知らないだろうけれど、シューラー公爵家のサラ嬢が、ユーリに熱烈アプローチをしているのは、僕らの年代では有名な話だよ」
そう話すルドルに、ユーリは顔をしかめている。
「もっとも婚約者のいるユーリにアプローチしていることに、シューラー公爵夫妻は良い顔をしていないので、みんな口に出すことはしないけど、お茶会に出席するたびにユーリは付きまとわれているからね」
「つまり、シューラー公爵令嬢にとって、私は恋敵ってことなの?」
だからかぁ、と初めて会ったときにジロジロ見られたうえ、睨みつけられたことを思い出した。
(今日も睨まれたからなぁ。あれは番(つがい)を得るための行為なんだ)
前世で動物たちが番を得るために争っている場面に、何度も出会ったことがある。
人間も良い番を得るために必死なんだ、と思いながらユーリを見ると、ますますしかめっ面をしている。
「彼女はプライドが高いですからね。ユーリ様の噂の婚約者が、こんな、のほほん娘だったら、意地悪をしたくなってしまうのでしょうね」
そう話すのは、生徒会唯一の女性である、伯爵家令嬢のマリアン様。
「のほほん娘って・・・」
そんな私の評価に、がっくりと肩を落とす。
「あら、あなたにピッタリな表現じゃない。クッキーばかり食べていて、何も考えていなさそうで」
ユーリのところに遊びに行くたびに顔を合わせていた、小さなときからの幼馴染である彼女は私に対していつも辛辣だ。でも、言葉はキツイが、面倒見が良く、何かと世話を焼いてくれる彼女のことは、仲良しだと思っている。
「おいおい、アリア嬢はこの学園始まって以来の才媛だよ。入学前に試験で、魔法実技も飛びぬけてトップだったし、教養試験も満点合格だ」
そう話すルドルに、だからこそ、こんなのほほんとしている娘だったってことに、腹立たしく思い、意地悪をしたくなるんじゃなくて?とマリアンが答える。
そんなものなんだ、と他人事にように私は思い、人間はやっぱり難しいなと感じる。
「でも、気をつけなさいね。あなたは侯爵家令嬢とはいえ、隣国アムーディアの侯爵家。もちろんこの国にとっても高い身分の家柄であるけれど、何かあったときにすぐに実家に頼ることはできない。それを知っているからシューラー公爵令嬢は、あなたに敵意を向けられるのだから。何かあったら、すぐに私たちに言うのよ」
辛辣でも気遣ってくれるマリアンは、やっぱり優しい。
「はい。視線がちょっと怖いだけで、何もされていないので、大丈夫です。それに私には守護の魔法がかかっていますし」
また物がなくなったことで睨まれないように、教科書とかにも守護の魔法をかけておきますね、と話すと、ユーリはポンと私の頭に手をおいた。
「今後、この国で生活するためには、社交経験を積む必要がある。この学園のクラスメイト達は、この先も社交界で関わることになるだろう。私が手を差し伸べるのは簡単だが、今は失敗しても良いから、いろんなことを経験してごらん。アリアは人からの悪意に無関心なところがある。だけど、この先、自分の身を守るためには、無関心でいては困るときがくる。物理的に守るだけならば、魔力が強い君には簡単だろう。でも、貴族社会はそれだけでは足りない。だから、この学園にいるうちに、いろんな経験を積んで、人脈を広げて欲しい」
私の頭をポンポンと叩きながら話すユーリに、私は頷いた。
この学園で、竜のときでは経験できなかったことをいっぱい経験したい。
思いを上手に言葉にするのもそうだし、人と仲良くするというのもそうだ。
竜のときは同年代の友達ができなかったから、友達を作ってお茶会をしたい。
頑張ろうと思い、ユーリを見た。
「わかりました。頑張ります。だからご褒美に、またユーリの作ったクッキーを食べさせてくださいね」
どさくさ紛れにおねだりをすると、ユーリは笑って頷いてくれた。
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