第2話
「ほぅ・・・」
黄金色の甘い香りのクッキーを口に入れ、私、アリア・リアドールは自然と緩んでしまう頬に左手を添えて、うっとりとため息をついた。
ホロっと口の中で溶ける感触、甘いけど、決してくどくない甘さ。
(ああっ、、、人間に生まれ変わって良かった!神様、ありがとうございます!)
私はクッキーを口の中で堪能しながら、人間に生を受けたことを、神に感謝を捧げた。
というのも、私には前世の記憶がある。
5歳のとき、婚約者の家で初めてクッキーを食べたとき、思い出した。
前世で初めて食べたクッキーのおいしさを思い出したのだ。
前世で初めてクッキーを食べたときは衝撃だった。
私の前世は人間ではない。竜だった。地上で最も力があり、寿命も長く、人間たちに恐れられている竜だった。
そんな竜である私がクッキーと出会ったのは、本当に偶然だった。
たまたま、こっそりと夜空の散歩に出ていた私は、ひょんなことから人間の頼みで鱗を譲ったことにより、お礼にと渡された袋の中に、クッキーが入っていたのだ。
それが運命の出会いだった。
衝撃だった。
竜が食べる食事は、動物の生肉や果実がほとんどだ。料理して食べるということはしない。
いや、できないのだ。人間が食べていた串焼きやクッキーというお菓子を知ってしまった私は、当然、真似してみようと思った。
そこで、思い知ったのだ。竜は料理ができないということを。
狩ってきた動物の肉を焼こうとして火を吐くと、炭となって消えてしまった。
小麦とバターの分量を量ろうと思っても、長い爪が邪魔して計量カップを持ち上げることもできない。
精霊たちからレシピを入手し、材料をなんとかかき集めても、料理という名の破壊活動しかできなかった私は、竜に生まれたことを恨んでむせび泣く日々を送ることになったのだ。
そんな前世の記憶を持つ私だったから、今、このクッキーを味わえることを心底、神に感謝している。そして、この家の料理人と目の前でクッキーを食べる私を見てニコニコ笑っている目の前の婚約者に感謝している。
「おいしい?」
私を見ながら嬉しそうに笑う黒髪、黒瞳の人間は私の婚約者であるユーリ・ラドフォードだ。
5歳のときに初めて顔合わせをして以来、私にクッキーを作ってくれる。
そう、作ってくれるのだ。スレート王国の公爵家嫡男という立場であるにもかかわらず、私がこの家を訪れる度に、台所に立ち、自ら作ってくれるのだ。
私はクッキーをもう1枚、口の中にいれながら、どう?って聞いてくる婚約者にコクコクと頷く。そうすると、婚約者はさらに笑みを深めてきた。
「アリアは本当にそのクッキーが好きだね。まるで、賢王、ルード・ジークフリード王のようだ」
ニコニコと笑いながらユーリが言う名前に、私は昔の記憶を思い出す。
賢王と誉れ高い、800年前程前にこの地を平和に治めたルード・ジークフリード王とは、何を隠そう私にこのクッキーをくれた人間だ。
私は遥か昔の記憶を思い出す。2回しか会ったことがないので、正直、顔をあまり思い出すことはできないが、今、目の前にいる婚約者と同じ、黒い髪と黒い瞳をしていた。
まぁ、目の前の婚約者はルード王の血筋なので、似ていてもおかしくはない。
そういう私も母方の血筋がルード王の血筋と繋がっているらしい。
なんとも不思議な感じだ。前世で私があげた鱗のおかげで、現世の私がいるのだから。
あれからルード王は5人の子供に恵まれたらしい。
(鱗をあげて良かったな。そのおかげで、こんなにいっぱいクッキーが食べれるんだもの)
ふふっと笑いながら、はてっ、と私は首を傾げた。
「ルード王のように、って、ルード王もクッキーがお好きだったの?」
そんな話は前世のときに聞いてなかったな。でも、あのときクッキーを持っていたっていうことは、好きだから持っていたってことかな?
へーそうだったんだ、と思っていると、ユーリは前世の私の黒歴史を思い出させる話をし始めた。
「ああ。言い伝えでは、ルード王は年に何度か大量のクッキーを焼かせ、周りが見てないうちに、あっという間に食べていたらしい。そしてレシピは門外不出とし、王家の秘密で決して口外しても、むやみに作ってはいけないとしたらしい。なんでもこのクッキーのレシピには、竜の鱗と同じ価値があるからと言って」
「・・・・・」
竜の鱗と同じ価値だなんで、そんなの大袈裟すぎるよね。まぁ、例え話だろうけれど。
そう言って笑うユーリに、私はそっと視線を外した。
(大丈夫、あの話は今に伝わっていないはず・・・!!!)
前世で初めてクッキーを食べたあと、あまりのおいしさに我慢ができずに別れたルード王とルビーさんを追いかけてスレート王国の王都まで飛んでいった。
突然、竜が現れて大混乱に陥る人間たちの前で、
『鱗をもう1枚あげるから、この甘い食べ物をもうちょっと頂戴!!!』
と叫んで(幸いなことに私の言葉は人間には伝わらなかったが)、鱗を人間たちの前で千切ってルード王に差し出し、大パニックになっているところに山の住処から駆け付けた両親にゲンコツされて、王都はさらに3匹にも増えた竜たちに慌てて逃げ出す人が続出している中、首根っこを父竜に咥えられて山に連れ戻されたのは、決して今の時代に伝わっていて欲しくない出来事だ。
(そしてその後、定期的にルビーさんを通じてクッキーが住処に届くようになったんだよね)
追加であげた鱗のおかげである。
クッキーのせいで大混乱に陥り、もしクッキーと引き換えに竜の鱗が貰えるなんて知ったら(多分誰も信じないと思うが)、大問題になると思って頭を抱えたルード王とルビーさんが、クッキーのレシピを門外不出にしたのだ。
当時、まだ砂糖が発見されたばかりの人間たちの間ではクッキーは珍しく、スレート王国でしか作られていなかった。そしてスレート王国はクッキーのレシピを秘匿し、特別なとき以外作ってはいけないとしたのだ。
ただ、あれからもう800年程が経ち、今では砂糖を使ったレシピは珍しいものではない。
高級品のためお金持ち以外は食べる機会が少ないが、多くのお菓子レシピが出回り、作り方が比較的簡単なクッキーを、作ることができる人は多い。
けれど、そのような理由でこのスレート王国では、クッキーは特別なお菓子と位置付けられている。
(でも、このクッキーはやっぱり特別なんだよなぁ)
淑女としての上品さを失わないように、ゆっくりと見えるように堪能しながら、黄金色のクッキーをもう1枚取り上げ、まじまじと見る。
クッキーという名前ではないが、似たようなお菓子はいっぱい作られている。
でも、ユーリが作ったこれは、正真正銘の「クッキー」だ。ルード王が秘匿したレシピを使用して作っているのだ。
王家の秘匿、だが、800年も経った今、そのレシピには価値がないだろう。だけど、賢王と呼ばれ、異母弟と一緒に3か国同盟を確固たるものとし、平和な時代を作り上げたルード王が秘匿としたレシピは、いまだに秘匿され、建国祭のときにだけ、王宮で大量に生産されたものが振舞われる。
何故そのレシピを私の婚約者のユーリが知っているのかというと、ユーリが王家の血を濃く引いていて、自らが作る分だけのみに使用するということで、王家から特別に許されたらしい。
そして、そのユーリが作るのは、私が遊びに来たときだけらしい。
前世で食べたときと変わらない味。なつかしくて、やっぱりおいしい。竜の味覚と合っているのだろうか?だけど、人間となった今でも、やっぱりこれが1番おいしいんだよね。
もう何個目になるかわからないくらいのクッキーを、またいそいそと口の中に入れると、そういえば、とユーリが話を変えてきた。
「寮の生活はどう?何か不自由なところはない?やっぱり寮暮らしはやめて、うちの屋敷から通えばいいのに」
この1年、何度となく繰り返されてきた話題を、また繰り替えされそうになって、私は呆れてしまう。
「また、その話ですか?お父様が絶対に、許して下さらなかったではないですか。ユーリ様のお屋敷に居候をするのは、『コンゼンマエにフラチなマネをしそうで、信用できん』、って」
フラチなマネって何ですか?とお父様やユーリ様に聞いても、教えてくださらなかったけど。
ユーリ様やラドフォードのおじ様、おば様は信用できる方なのに、不思議とお父様はラドフォード家から学園に通うことを認めて下さらなかったんだよね。
なので、隣国アムーディアから、このスレート王国の魔法学園に通うために、私は10日程前に、故郷を離れ、この国の寮に引っ越してきた。
といっても、もともと婚約者に会うため、2年に1度はこの国に来ていたし、結婚後はこの国に住むつもりだったので、小さな頃からこの国に慣れるように生活や勉強をしてきたから、特に不安はない。
むしろ、故国よりもおいしいものがいっぱいある、この国での生活は楽しみにしていた。
「ラドフォード家の料理人が作る料理はとってもおいしいから、この屋敷に住めなくて残念だけど、結婚するまでのことですし、それに寮の料理もとってもおいしので、毎日、楽しいですよ」
そう言って笑うと、ユーリ様が小声で何か言っていたけれど、私にはわからなかった。
「?」
首を傾げると、「いや、なんでもない」と言って、真面目な顔をして私を見た。
「いい?学園内でも、お菓子をあげると言われても、絶対について行っちゃダメだからね。それに、男とふたりっきりで話をするのもダメだ。何かあったら、すぐに俺に言うんだよ。まったくなんで同じ学年じゃないんだ。1年くらい大目に見て、同じ学年の同じクラスにしてもいいじゃないか」
小さな子供に言うように話し出すと、だんだんと独り言になっていく。
まったく、前世で1,000年近く生きた記憶を持ち、人間歴も15年になる私は、精神的にはユーリより、はるかに年上のつもりだ。
なのにいつまでたっても小さな子供扱いをするユーリの言葉を聞き流し、もう1枚クッキーを口に入れながら、明日から始まる学園生活に思いを馳せた。
竜には学校なんて、もちろんない。それどころか、圧倒的に数が少ない竜は、同年代の竜とまみえることさえ、めったにない。実際、私も同年代の竜と出会わず、番を持つこともなく、生涯を終えた。
なので、同年代の人間がいっぱい集まる学園というところは、とっても楽しみだ。
「聞いているのか?」
明日からの生活に思いを馳せていると、ちょっと目を吊り上げた婚約者がこっちを睨んでくる。
あれっ?何の話だっけ?キョトンとした私に、「こっちは変な虫が近寄ってこないか心配しているのに」とぶつぶつと呟くユーリに「虫?」と首を傾げると、ため息をつかれた。
「とにかく、何かあったら、いや、何もなくても毎日、俺に報告をすること。いい?」
厳しい顔でいう婚約者に私は頷いた。
「わかりました。これから毎日、ユーリ様と学園でお会いできるんですね。楽しみです」
そう言って笑うと、何故か顔を片手で隠し、「まったく・・・」とつぶやいたユーリの耳がちょっと赤いような気がした。
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