第五百十八話 枯れ木
春日山城
「陸奥守が古河だけでなく小弓も打ち倒したか」
「古河はともかく小弓公方は討ち取られ方があまりに酷うございましたからな。それでも江戸に逃してもらえたようではありますが」
「備中守(太田道灌)の作った城か。陸奥守も善く逃がしたものだ」
「何らかの思惑があるのかもしれませんが、川を渡るのが難しいのかもしれませぬな」
「それはあるだろうが香取海を渡って下総に入ったやつがそれだけで止まるだろうか」
ようやく酒が抜けてイライラも減ってきた長尾為景を囲んで評定が執り行われる。
「ところで大樹はこの状況をどう考えているのだ?」
「大樹は堺公方とのいざこざが一等大事なご様子。坂東のことにかまけている暇はないようでございます」
「ちっ。大樹もずいぶんと立派なものだな。役立たずでは大樹というより枯れ木だな」
「阿曽沼のおかげですっかり枯れてしまいましたな」
評定衆がみな声を上げて笑う。
「比叡山も坂本が焼けてからは勢いが落ち、六角弾正(六角定頼)に坂本を奪われてしまったようですからなあ」
「弾正が焼いたと?拙者は坂本の大火事は陸奥守の仕業という噂を聞いておりますぞ」
「当の陸奥は何も言っておらんがな。噂が本当だとして門前とは言え山門を焼くなど怖いもの知らずも良いところであるな」
「それは坂本を攻めた六角弾正も同じであろう」
「それはそうですな。ところでその六角弾正は観音寺城の城下の座を廃してしまったといいますぞ」
「座を廃したと?」
評定衆が口にした座を廃したと言う話題に長尾為景が反応する。
「どうも山門が弱まったこの機に寺社や公家の横槍を断ってしまいたいようでございます」
「とはいえ近江の座には山門の他にも寺はあるし山科などの公家連中も噛んでいるだろう?」
「そこはどうやったのかよくわかりませぬが、今のところ座を廃したのは観音寺城のみとのことですので」
「ふむ。そう言えば陸奥では座の話を聞かぬな」
「あちらは阿曽沼に特許状をもらわねば店を出せぬそうですから」
「寺の代わりが阿曽沼ということか」
「そのようで。この新聞為るものによりますと阿曽沼の商務院なる部門で管理しておるようです」
「そのような紙に態々本当のことを書いてばらまくと思っているのか!」
長尾為景が青筋を立てて怒鳴る。
「ええいそんな当てにもならぬ紙切れなど捨てろ!」
とはいうものの紙にどうやったのかまるで版木で刷ったような紙を比較的廉価にばらまく阿曽沼に聞こえてくる石高以上の恐怖を感じつつ、しかし意識の外へと投げ捨てる。
「一向宗の対応は必要であるがここで阿曽沼を討たねば当家も呑み込まれるぞ」
「はは……まさか。そもそも揚北衆が阿曽沼に従うはずが御座いませぬ」
「それはどうかのう。新発田なんぞはそうかもしれぬが」
長尾為景が少し考える。
「信濃衆と扇谷、それに武田にも声をかけろ」
「ど、どうなさるので?」
「借りを作るのは癪ではあるがここは致し方ない。奴らと連合して動くぞ」
「しかしそんな簡単に動くでしょうか?信濃のうち、諏訪は陸奥と誼を結んだように御座いますぞ」
「そこはあれよ枯れ木共に文を書かせるのよ」
「ああ、枯れ木共も焚き付けに使えば燃え上がってくれるやも知れませぬな」
「そういうことだ。それに諏訪も周りの恨みを買って居るからな、話次第では諏訪以外の信濃衆も武田も我らと協働するだろう。酒椿斎(直江親綱)、京までひとっ走りして枯れ木から阿曽沼討伐の文をなんとしてでも取ってきてくれ」
「承知しました。しかし銭が掛かるかと」
「構わぬ。それよりも其方の働きが当家、いや枯れ木共も含めた皆の今後につながる。心していってきてくれ」
「はっ!拝命仕りました」
酒椿斎に下知し、さらに評定をすすめる。
「そういえば北条は阿曽沼と誼を通じているのだな?」
「は、先の戦でも援兵を率いて我らに楯突いておりますし、奴の側室が陸奥守の妹だと言います」
「ふむ、そして北条は今川とも仲がよいわけだ」
「北川殿で御座いますな。今は亡き早雲庵宗瑞の姉、現当主の祖母にございますな」
「確か未だ生きて居ったな。上総介(今川氏親)は死んだが奴が生きている限りは今川を荒らして北条を動けなくするのも難しいか」
「夜盗組どもを使って亡き者となさいますか?」
「いやここは阿曽沼を装って狙えればよいだろうよ」
「なるほど、そうすれば失敗しても阿曽沼に恨みを向けられますな」
「そういうことだ。実際に亡き者にせずとも良い。むしろ生かしている方が北条も揺さぶれよう。我らには損はない。直ちに夜盗組にやらせろ」
「はは!」
「あとは陸奥にいる獅子身中の虫を起こしたいのだがな」
「伊達、で御座いましょうか」
「そうだな。あとは蘆名の遺児が居ったろうよ」
「白河からさらに下野の山中の隠れ里に逃げ込んだと聞いております故なんとか嗾けてみせましょう」
「よし。ここらで陸奥に楔を打ち込んでやらねばな」
長尾為景の獰猛なる笑みと猛禽が如き眼光が光った。
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