第三百八十四話 伊勢の情勢と鉛温泉
鍋倉城 阿曽沼遠野太郎親郷
「という訳で古川城は燃えてしまった」
古川城の顛末を話すと流石に皆引いている。
「ぬう、その臭水、いや石油はものすごい物だな」
父上がやや引きながらも石油のすごさを感じている。
「ええ私もそこまでよく燃えるとは思っておりませんでした」
たしか重油だと褐炭の倍以上、石炭とくらべても三割から四割ほど熱量が高いんだったか。もう忘れてしまったな。石炭より火が付きやすいし使いやすいな。あとは簡単でも軽質、重質くらいの分離が出来れば使い道が広まるな。秋田の油田だけでは足りないから越後侵攻と北海道と北樺太の油田探査もぼちぼち考えていかないとな。
鴎の報告書によると主だった一揆賛同者は火をつける前に眠りこけ、一部は既に息が止まっていたという。おそらく阿片で止まったんだろう。まあ焼け死ぬという地獄の苦しみに気付かず逝けたのだからよしとしよう。燃え始めてから脱出する者は居なかったので死体は見つからなかったもののまず間違い無く死んだだろうと。
「しかし火の龍か」
「それも太郎、貴様の差し金ではないのか?」
「まさか。そんなものは流石に作れませんよ」
苦笑いしながらそう答えると、天が味方しておるようだと話しているのが聞こえる。都合が良いからそれはそういうことにしておこう。
「それでだ、此度の北上川の視察で他にもいくつか得られたものがあった。北上川の改修案が浮かんだことが一つ。もう一つは小田原の伊勢が使者を寄越してきた」
するとまたガヤガヤと賑やかになる。中には小田原ってどこだ、とか伊勢って誰だとか言う声も混じっているな。
「守綱叔父上」
「うむ、伊勢については俺が説明しよう」
相模の伊勢は元々備中の荏原とか言う土地を治める伊勢伊勢守家の庶流の家で、幕府の申次衆であったが今川の家督争いで駿河に下向した。その後今川家と堀越公方の家臣として活躍する。
「守綱叔父上、伊勢宗瑞は堀越公方にも仕えておったのですか?」
「うむ、時の堀越公方様にも仕えておった。しかし公方様が亡くなられ、後をお継ぎになった潤童子様が庶兄の茶々丸様に殺されたので兵を興し御所を攻め茶々丸様を自刃させておる」
詳しいところは知らなかったが、伊勢宗瑞の下剋上とされていたものはこういうことか。全然下剋上じゃないね。俺のほうが余程下剋上しているな。
「その後剃髪し早雲庵宗瑞を名乗り、主家の今川に付いて三河へ、あるいは伊勢として相模へと乗り出し今攻めておる三浦を倒せば相模平定となる」
なるほどな伊豆と相模を得、後背の今川は主家筋、さらに言えば今川当主の叔父に当たるから気にせず東に出てこられたということか。
「叔父上ありがとうございます。皆も状況は理解できたと思う。そろそろ関東から手が伸びてくると思っていたが古河公方ではなく伊勢家というのは腑に落ちん。しかしそうも言っておれん。いずれ屈強な板東との戦にもなるやもしれぬがまずは奥羽を制するぞ!今年の収穫が終わったら未だ当家に降る決断をせぬ小野寺を攻め滅ぼす!」
来年の面談までにできるだけ有利な条件を作っておかねばなと、色めき立つ評定衆等を見ながら思った。
◇
翌日、梅雨も近そうな空模様だがまだ降り出すほどではない微妙な天気。
「ではしばし湯治に行ってくる。豊、大千代、留守の間、遠野は任せたぞ」
「はい!お任せください!」
ついていけなくて豊が不貞腐れ、一方で大千代は嬉しそうに返事をする。
さらに傍らでは、
「雪や、頑張るのですよ!」
「母様、姉上は湯治に行かれるのに何を頑張るのですか?」
小姓として着いてくることになった浜田清次郎がお春さんに問いかける。
「ほほほ、まだ子供の清次郎にはわからないでしょうけど、女の戦いなのですよ」
「女の戦い、ですか?」
「そうです。そしてそれは当家にとって大事な戦いなのです」
「そうなのですか?よくわかりませんが、姉上がんばってください!」
「はいはい、ありがとう。じゃあ行ってくるわね」
そう言うと、一般的には輿なのだろうが馬にまたがる。
「しかし姫を馬に乗せるとはな」
「ほほほ、武家の姫たるもの馬にも乗れぬようではいけませぬ」
幾人かの子女たちが感銘を受けたような顔をしている。
「さ、殿、参りましょう」
「ああそうだな。白星行くぞ」
軽く腹を蹴って歩き出す。昼からの旅程なので今日は土沢城で一泊し、明日の昼頃に保養所に着く行程だ。
「ふふ、楽しみね。これまで大槌には行ったことあったけどこっちには来たことなかったし」
「そうだな」
明日のことを考えるていると雪の声もいまいち聞こえてこない。
「もう!殿がそんな上の空でどうするの!」
ぴしりと鞭で頭を叩かれる。
「いてて……なにも鞭で叩かなくても良いだろう」
「何よ上の空になっちゃって。まあ良いわ。それじゃあ気が晴れるように別の話題を振ってあげましょう。今後土沢城はどうする?」
「そうだなぁどうしようかな。まさかこんなに早く石巻まで行けるとは思っていなかったからなぁ」
旧大崎領が落ち着いたから最前線はあの辺りになるし、第二線は一関、第三線が二子城になる。万一二子城も抜かれた時の予備陣地にはなるかな。
「まあ少なくとも奥羽のすべてを手に入れるまでは残しておくさ」
「そう。それで殿はどこまで目指すの?」
「どこまで、とは?」
「そうです!殿ならばきっとこの乱世を統べて新しい幕府をひらくこともできると思います!学校の皆もそう言っています!」
清次郎が興奮しながらそう言ってくる。
「ははは、それは随分と持ち上げられたな。しかしそのことは公言するな!学校でもその話をすることを禁ずる!良いな!」
ビクッと体を震わせるが、そんな噂が流れているなら止めねばならん。流石にそれらを口実に関東や越後の奴らに攻め入られてはどうにもならん。
「ちょっと、弟を泣かせないでよ」
「な、泣いていませぬ。浅慮をお詫び申し上げます」
「うむ、その噂がどの様な影響をもたらすのかそろそろ考るようになれ」
清次郎がすこし鼻をすすりながら小さく返事をした。
◇
鉛温泉の保養所に到着し、寝所に案内される。
「建物自体も立派なものであったが、寝所も引けを取らぬ見事な部屋だな」
透かし彫りを使った欄間に、京でもまだまだ少ない書院造りに総畳敷きとなっている。鍋倉城よりも金かかってんなこれ。まあ鍋倉城はまだここまで裕福じゃない時に作ったってのはあるけど。
「床柱も見事な彫刻だな。これは、龍か。棟梁や彫師などにはまた褒美をやらねばな」
職人たちの気合が伝わってくるな。これだけの仕事をしてもらったのならしっかり報わねばならん。
「そうね。ちょっとここまでのものは想像していなかったわね」
「少し休んだら風呂に行くか」
「え、あ、うん」
そして風呂も大したものだ。タイルとか無いから床も壁ももちろん湯船も板張りだ。
まだまだ少量製造品の石鹸で体を洗うも泡が出ない。なんどか流して洗ってを繰り返してようやく立った泡を流して湯船に浸かる。一面は川面に面しており、せせらぎが心地よい。
「久しぶりだな。こんなにゆっくりと浸かることができたのは」
程よく湯温を下げていてくれたのか、疲れだとかいろんなのが溶け出ていくようだ。
「がはっ!ごほっごほっ!」
思いっきり湯を吸い込んで咽せてしまった。
「ずいぶん長湯でしたね」
「いい湯だったからな。(袰綿)勘次郎も後で浸かれ」
「よろしいので?」
「折角来たのだからな」
「ありがとうございます。それよりお方様がお待ちで御座いますよ?」
「う、うむ」
「ほほぉ、殿でも緊張なさいますか」
「当たり前だ。俺はこれでも真っ当な人間ぞ」
殿が真っ当ねぇとけしからん反応をしている。前世ではそれなりに経験はあったが十七年も間が開いて、しかもその相手はずっと一緒だった雪だからな。何というか緊張する。
「それではお方様には敵いそうに御座いませぬな。はっはっは!」
どういうことだ。
「お方様、殿がいらっしゃいました」
そう言うと襖が開き、いつもとは雰囲気が違う雪が座っていた。
「ふふ、ずいぶんゆっくりとお湯を楽しまれておられたのですね。てっきり怖じ気付かれたのかと思っておりましたよ」
「な、何を言う……」
「ではごゆっくり」
そう言うと牡蠣とスッポンの汁の膳を置いて勘次郎らが出て行く。彩綾は何を想像したのか鼻血をだし、桃花に引っ張っていかれた。まあ腹が減っていたので美味しく頂きましたが。
「ふふ、今日は寝かせませんよ?」
「ほ、本当にどうしたのだ雪」
しなだれかかってくる。
「どうしたもこうしたもないでしょう。遠野を出るときに母が申しておりましたでしょう。戦だと」
そんなふうに耳元で囁かれると、理性が保たんとする時が来たのだ。とばかりに色々糸が切れる。
「ふふふ、そうか戦か。であらば尋常に!」
気合いを入れるように頬を叩き気持ちを落ち着かせ、雪に覆い被さる。
「え、ちょっ!殿!あ……!」
チュンチュンと小鳥がさえずり、部屋の外がうっすら明るくなって目が覚めると隣に一糸まとわぬ雪が隣に居て飛び起きる。
「ん……あ、おはよう。殿は朝から元気ね……。それにしてもまさかあんなに激しく求められるなんて」
「す、すまん。身体は大丈夫か?」
「何謝ってるのよこれは戦だって言ったのは私よ。でもこの身体には刺激的すぎたわ。責任、とってくださいね?」
これは確かに雪には勝てそうにないな。
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