第三百六十九話 北方探検 弐

ウルプ 大槌十勝守得守


 エトロフを後にして皆がウルプと呼ぶ得撫島に向かう。と言っても択捉海峡を超えたらすぐなので潮と風に注意してオホーツク海側からウルプを目指す。しかしその目と鼻の先しか離れていないエトロフと異なり、白樺などの広葉樹は見える範囲にはなく、ただマツなどの針葉樹の森が広がるのみ。木の実などの確保は難しそうだ。


「この島には人はどれほど住んで居るのだ?」


「定住している者はおりませぬ。エトロフから漁労の為にここに短期間住むだけです」


 見たところ平地が殆どないから住みたくても住めないのかもしれないな。


「ふむ住んでいる者はおらぬか」


「よく山が火を噴くので島に入るのは危のう御座います」


 いまは噴火していないが、そう言うならやめておこう。


「ではここからは貴様も知らない海か」


 前人未踏、ではないが家中で一番乗りというのはまずまず気分が良い。北得撫水道に入ると速い潮流に船が押される。


「この潮の流れであっしらも目と鼻の先のあの島には行っておりませぬ」


 今日は風も弱いのでどんどん潮に流されていき、ついには太平洋側に押し出されてしまう。


「むぅ、罐を焚いて蒸気の力で越えるぞ!」


 整備が大変なのでここぞと言うとき以外は使わぬつもりだったが、風待ちするのも洒落臭いし使ってやろう。まあ今から罐に火を入れたとしても蒸気がたまるのは明日あたり。今日は得撫島北西部、双子のように並んだ岩を風よけにして錨泊する。


「カシラ、少し陸に行って良いですか?」


「ああ、構わんが明日の昼には船を出すからな」


 あいよーっと返事して鱒介らが船を降りていく。火山があって危ないと言っていたのはどの口やらと思いながら航海日誌を書いていると誰かが将用の食堂に入ってくる。


「おや、カシラは陸に上がらんのですか?」


「ああ、日誌をつけていたからな。それより彦左衛門、罐の具合はどうだ?」


「点検したところ問題無いでしょう」


「助かるよ。問題があったら工部大輔に改善要望を出すから洗い出しておいてくれ」


「承知しました」


「ところでどうだ、少し飲まんか」


 そう言って自室から小さな樽を一つ持ってくる。


「カシラの酒をいただけるなんてこりゃあありがてぇ」


 小浜経由で手に入れた殿にも内緒の上方の僧坊酒だ。雪姫の酒も美味いが、この僧坊酒も美味い。


「明日もあるから一杯だけだがな」


「それだけでもありがてえ」


「それとつまみだ」


 これも小浜経由で手に入れた内緒の奈良漬けだ。

 

「おお、この漬物は酒の味がしますな」


「なんでも酒の絞り粕を使っているのだそうだ」


 美味い奈良漬けと美味い酒で程よく体があたたまると彦左衛門は機関の様子を見てくると言って出ていく。俺も盃を片付け甲板の様子を見て、少し早いが床に就く。



 朝一番に蒸気機関の様子を見に機関室に降りていく。


「おはよう彦左衛門、機関の調子はどうだ」


「こりゃおはようございます。蒸気はよく溜まったようですので、これから蒸気を流します」


 配管からシューシューと蒸気が漏れ出る音がする。しかしここは暑い。


「では俺は甲板に戻る。準備が出来たら汽笛を一発鳴らせてくれ、外にいる奴らに知らさねばならん」


 甲板に戻ったところで汽笛が鳴り、しばらくすると皆船に戻ってきたので錨を上げる。


「機関始動!微速前進、面舵一杯!」


 正直速度はよくわからんが、ゆっくりと回頭し進路を北北東にとって北得撫水道をゆっくり越える。

 新知島が大きく横たわる。この島にはいくらか人が住んでいるようで煙が数条たなびくのも見える。


「例によって此方からは手出し無用ぞ」


 岸から小舟が寄ってくるので、こちらもカッコを降ろして俺の他、鱒介など数人が出迎える。勿論、船からはいつでも撃てるよう、火縄銃や大砲に弓の準備は万端だ。


「鱒介、通訳できるか?」


「通じれば良いですが……」


 そう言いつつも、向こうの民と会話出来ているようだ。


「カシラ、歓迎してくれるそうです」


「そうか!」


 新知島の民と鱒介の後を追って上陸し、村の家、十勝や釧路或いはエトロフなどとは違い大きな蕗の生えた竪穴住居に案内される。窓らしきものはなにか皮を伸ばしたようなもので出来ていて、中は薄暗い。


「上陸をお許し頂き感謝する。我々は遙か西から来た」


 そう言うと村の長の表情が強ばる。なんでもかつて小さきものと言われ迫害され、蝦夷の地から逃れてきたという。十勝や釧路の話ではかつて小人と蔑まれることからこの地に逃れてきたという。実際には北海道の者ら、いや我らと較べても体格に差は無いのだがどうして追われたのかはよく分からない。なんなら土器を自製している分メナシクルやらに較べれば……いや、無駄な思考だな。


「我々はこの地で交易、それとさらに東に向かうために水や食料を分けていただければそれで良いのだ。許しを得られるならわずかばかりだが土産を用意している」


 そう言うと家の外に待機していた者達が毎度のことながら米と酒、そして包丁などいくらかの鉄製品を差し出す。この地では鉄はかなりの貴重品だそうで大層喜ばれ、二つ返事で寄港の許可を得た。勿論その後は宴会だが、つい先日鯨が獲れたところだというので鯨肉が生のまま出される。流石に面食らい、生では食べないこと言うと笑いながら焼いてくれた。ハリハリ鍋は知らないようなので今後何かの機会に教えてやれれば面白そうだなと思いつつ楽しく過ごし、チュプカウングルまで案内すると言ってきた。

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