第二百三十九話 学会って怖いですね
浜田邸 阿曽沼孫四郎
雪の弟が夏前に生まれている。浜田家の嫡男だ。名前は清次郎だそうだ。
「大きくなったの!起きてる時間も増えてきたの!」
きれいな布の敷かれた籠にいれられた赤子がわたわたと手足を動かしている。
「お春さんも肥立ちがよかったのも何よりだ」
「それも田代殿のお陰でございます」
「うむ。田代殿が居るだけでだいぶよいな。あいにくとまだ産婆を教える体制はできていないが、今回もあの産婆……名をなんと言ったか」
「あの産婆はたしか
その芳という産婆を田代殿に預けている。理解力はあるようだが如何せん読み書きが出来ないので技術や知識の伝承ができないようだ。今は田代殿に記録してもらっているがいずれ学会発表のような形で意見交換出来る場が必要だな。
「学会発表……研究発表……うっ、頭と腹が……」
「若様大丈夫ですか!」
「いや、大丈夫だ。すまん」
いかんいかん発表のあの空気……転生したというのにまだ腹が痛くなる。
「いややっぱり田代殿に胃に効く薬湯をもらってくる」
◇
堺 葛屋(三人称視点です)
「殿様、お待ちしておりました」
「うむ。苦労をかける」
京での挨拶を済ませた阿曽沼小初位下守親が堺に到着する。他は特に土産らしいものはもらっていないが守親は満足げな足取りである。
「葛屋よこれからどうするのだ」
「はい。こちらの能登屋はんが小田原まで船を出してくれるゆうてますのでご一緒にいかがかと思いまして」
「う、船か……」
大槌から宮古に船で移動した際、船酔いをした記憶が守親に蘇る。
「はい。歩いて行くよりもずっと早う進めます」
「む、そうだな。よし、では能登屋とやら世話になるぞ」
「はは。小初位様に使って頂いたとなれば私としても鼻が高うなると言うものでございます」
それからいい風が来たところで船が能登屋の見送りをうけ堺を離れる。
「やっぱり揺れるのう」
「船でございますので」
堺をでた船はまず紀伊湊に向かう。
「これから向かいます紀伊湊は雑賀の地でございます」
大阪湾の穏やかな波を滑るように船が進む。揺れが比較的マシであったことから前回ほどには守親も船酔いをせずにすんだ。
「今のところ少しムカムカするくらいだな」
「まもなく雑賀に付きますのでそこで干し柿でも買いましょう」
「なぜ柿なのだ?」
「そこはわかりませんが、私もよく使っております」
雑賀荘で干し柿をいくつか、それと梅干しを買った守親らは柿を口に含み紀州灘へとでていく。それまで穏やかだった海はやや波が高くなり船の揺れも大きくなる。
「ほぉなるほど。たしかにずいぶん楽だな」
酔いに効くとわかったことで守親はずいぶんと元気になった。充てがわれた部屋に籠もっていても暇なので甲板に出て水夫たちに作業を聞いて回っている。
「なるほどなあ」
「阿曽沼様の地には船はないので?」
「いやあるぞ。しかし儂はのらんのでな」
守親の回答に水夫たちは概ね納得し作業に戻る。その後も風待ちなどしながら鳥羽、下田と進み小田原に到着する。
「ふぅ。ようやく陸じゃな。やはり儂は陸のほうが心地よい」
「がはは。なかなか船乗りの見込みのある殿様だと思ったんだがな!」
「ははは!なんなら儂のとこの船に乗るか?」
「おお、そういや殿様も船を持ってるんだったな。ありがたい申し出だがかかあもガキもいるからなすまんね」
「いやよい。もし気が変わったら遠野に来てくれ」
「へへ、その時はよろしくお願いします」
幸いにして台風の遭遇もなく無事に小田原へと上陸し、二日ほど逗留し陸地に体をならす。京や堺程ではないものの賑わう小田原の街並みに改めて感心しつつ遠野に歩を向ける。
◇
梁川城 阿曽沼守親
「長旅の途中引き止めてすまぬな」
「いえいえ伊達様のお呼びとあらば喜んでお伺いいたしまする」
伊達領に入ったところで伊達高宗の家臣により梁川城に守親は連れてこられていた。
「ふふふ、一度阿曽沼殿とは話をしてみたかったのでな。大したもてなしはできぬが旅の疲れをしばし落としてくれ」
「お心遣いに感謝申し上げまする。しかしなぜ当家のような小身に?」
なぜこんなに興味をもつのかと疑問を投げれば。
「これは異なことを。この数年の阿曽沼殿の活躍ぶりには目を見張るものがあるでないか」
蛇に睨まれた蛙ではないが守親は冷や汗をかき、言葉を探そうとしてしかし適切な応対ができず難儀していた。
「なにそう固くなされるな。別に阿曽沼殿を攻める気は今はない。そうだな、おい、酒宴を持て」
高宗が手をたたくと膳を持った下男下女が手慣れたように支度を始める。なぜか部屋の真ん中に火鉢をおいて。
「火鉢なぞ持ち込まれて何を」
「ははは、阿曽沼殿の御嫡男の祝言で出された揚げ物というのが実にうまくてな。今では目の前で揚げさせ、できたてを食っておるのだ」
守親はなんとも贅沢なと思うがせっかくのもてなしなので何も言わずにいた。それを高宗は驚いたものと思ったようでニコニコ上機嫌になっている。しかし周りをみると少し不満げな表情を見せるものがチラホラと。高い油を惜しげもなく使うから家臣の評価は悪いのかもしれないと思いを巡らす。
「それとな、其方の嫡男からもらったこの盃がまた素晴らしくてな、嫡男殿にはよろしく言っておいてほしい」
見せられた盃は鉛色に黄金色がうまく調和し守親も息を呑む。
「はは。お喜びいただけたのであれば我が愚息も本意でございましょう」
「せっかくだ。其方も一杯この盃で飲むと良い」
「これは忝なく……。おお!旨うございますな」
「であろう。本当に阿曽沼殿の嫡男は良いものを贈ってくれた。何か困ったことがあればいつでも言ってくれ。この盃の分くらいは礼をさせてもらう」
「ご厚意ありがとうございます」
伊達も平穏ではいられないだろうということを、守親はぼんやりと酔いの入り始めた頭で考えるのであった。
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