登場人物(文亀3年終了時点)

今更遠野郷の住民おさらい


〈遠野の住民〉

阿曽沼孫四郎(後の阿曽沼親郷):主人公 病気で死なない程度のチートと少しだけ知識チート

阿曽沼守親:孫四郎の父親。左馬頭、史料が少なくよくわからない

阿曽沼梢:孫四郎の母親。史料には一切出てこないので創作。

阿曽沼豊:史実には登場しない。創作人物。


浜田雪:浜田清之の一人娘。目に入れても痛くないけど気の強さに清之も閉口することが多い。転生後は孫四郎の幼馴染み枠。幼馴染は負けヒロイン?そんなわけないじゃない!

浜田三河守清之:雪の父親、傅役。史料がない。時代は不明だが実在したらしい。武人だが、書に明るい。と言う設定。

浜田春:清之の妻。気も武も強いらしい。創作人物。


鱒沢治部少輔守綱:遠野阿曽沼の分家1、守親の弟。

 鱒沢家自体は戦国時代末期、九戸氏の乱へ阿曽沼広郷が出兵した隙に反旗を翻し、主家を追い出す。

宇夫方守儀:遠野阿曽沼の分家2、守親の末弟。医学を学びに足利学校に入校。入校時に出家するため儀道と名乗る。

 宇夫方家はもともと遠野の豪族だったらしい。永享九年、岳波・唐鍬崎・大槌の連合軍が遠野を襲った際にも静観を決め込んでおり、当初は阿曽沼家に好意的ではなかったと目されている。


〈遠野の武将〉

沖館備中守卯兵衛:弓の名手という設定。小友の鷹鳥屋館(旧鷹鳥屋小学校跡地付近)を居館とする。鷹鳥屋館は石田宋順(史料不足で詳細不明)の居館ともされるが詳細不明。

南右近:戸籍係。居館は小友町太田にある南館と言われる。詳細不明。

山口修理:諱は不明。土淵村山口に館を置き太平洋と遠野盆地を結ぶ交通の要衝を治めた。大槌孫三郎(今作では得道)の叔父という設定。遠野物語の18話、座敷童子の話に出てくる山口孫左衛門はこの一族の末裔と言われる。


〈技術者グループ〉

箕介:紙すき。非転生者。明応の地震で焼け出され人買いにかわれ遠野へと流れてきた。もともと紙すきの家系。葛屋は知らなかったので二束三文で売られた。

弥太郎:転生者。もとは工学をやっていたらしい。それも過去の道具を再現してその効果などを評価していた。

小菊:非転生者。弥太郎の水車小屋に出入りするお手伝いさんのはずだが、天文、数学に興味を持ち始めた。

一郎:転生者。小菊の弟 転生前は小学校の教師だった。機械いじりが好き。今は時計作製に挑んでいる。

右近:たまたま一番上手かったので登り窯の窯元に任命された。南右近とは別人。


〈諜報部:今作では保安部〉

左近(沼野保安頭左近):非転生者の元山伏。麦踏み大会で優勝し扶持をもらって臣下となる。山歩きに長けるので情報部担当。沼野保安頭左近と命名され保安(情報部長)頭になる。早池峰山の天狗をモチーフに天狗の面をつけるよう主人公に指示されている。

笛吹峠の山男・山女:周囲よりかなり大きくなってしまったがために迫害されていたのを、主人公が拾い上げ笛吹峠の監視役としておいた。遠野物語の山男・山女がモチーフ。


〈大槌グループ〉

大槌孫三郎(得道):大槌氏当主 大槌城にいた。阿曽沼に恭順後は出家して得道になった

大槌孫八郎:大槌氏嫡男。途中で転生者が憑依した。船乗りっぽい。

狐崎玄蕃:大槌氏に使えている。阿曽沼から見れば陪臣。釜石を担当


〈商人グループ〉

葛屋:京の商人。葛屋の旦那で通っている。名前はまだ考えていなかった。たまたま遠野に人売りに来た縁で阿曽沼の御用商人となる。

田助:転生者。もともと田吉という名だった。遠野に店を構えるに当たりだれも希望者がいなかったので番頭となり田助(助は番頭に使う名らしい)と名付けられた。田助は主人公を転生者ではないかと考えているが、主人公は田助が転生者である事を知らない。


〈公家グループ〉

四条隆永:羽林家、極官は従一位権大納言。家業は庖丁道・笙。一条家の家令。

山科言綱:羽林家、極官は正二位権中納言。家業は装束・衣紋。四条家の分家。嫡男の言継は戦国時代の畿内を知る一級資料の言継卿記を記した。

高辻章長:菅原氏の氏長者。半家。文章博士(唐名:翰林学士)・大学頭・式部大輔などを経て権大納言を極官とする家系。史実では朝倉氏を頼って下向し、越前で客死。今回は遠野まで使いとして来ている。

大宮時元:小槻氏の地下人。太政官弁官局の家系。義父の長興の代に官文庫が応仁の乱で焼けて以降、壬生家に押されて衰退。出雲国人佐波元連の子。史実では息子の伊治が大内に下向し大寧寺の変で殺され、断絶する。

五辻俊紹あらため俊仲:読み方不明。五辻諸仲の弟。史実では延暦寺に送られ権少僧都しょうそうず大僧都だいそうずの補佐として僧尼を監督する。僧正の下)となる。今作では出家したくなくて遠野に逃げてきた。名前も俊仲としなかを名乗る。


〈人間以外〉

女神:主人公を連れてきた。主人公が上役の神からなぜか気に入られているのに疑問はあるが職務に忠実。見た目は神様なので自由に変身でき、実は会うたびに姿が違う。会えるのは夢の中だけ。

白星:芦毛の馬。主人公など特定の人物以外は乗せない。

ハチ:狼の子。鉢割れになっているのでハチ。

ブチ:狼の子。斑があるのでブチ。

ヴォイテク(武雄威手駆):マタギが拾ってきた熊の子。一緒に闘ってくれるかは不明。モチーフは勿論自由ポーランド軍で活躍したヴォイテク。


〈他家紹介①〉

葛西氏:鎌倉時代に奥州総奉行と検非違使職を拝命し奥州を治めていた名門家系。源家滅亡後も鎌倉幕府の侍所など重職を補任されていた。奥州に実際に入ったのは1216年(建保4年)葛西朝清が代官として派遣され、登米郡寺池村に居館を整備してからとされる(奥州葛西家の誕生)。鎌倉幕府滅亡後関東葛西家は関東の所領を失い奥州にいつくことになるが、葛西太守は引き続き奥州葛西が握ることになる。

 南北朝時代には初め南朝方につくため、石巻日和山城を築いたとされる。以後石巻系と寺池系に分裂する。寺池系は登米以外の所領が石巻系に取られてしまう。このため寺池系葛西は北畠顕家に従い足利尊氏を九州に追い落とすと急いで寺池まで戻り、本吉郡(南三陸町)から気仙郡(気仙沼市・大船渡市)を制圧にかかる。馬籠合戦を勝利し奥州千葉一族を所領ごと配下とする。

 この頃になると寺池葛西(関東葛西)は南朝を見限り北朝方へとつく。一方石巻葛西(奥州葛西)は南朝方として北畠顕家とともに西上するが、北畠顕家が戦死し足利尊氏が幕府をひらくと寺池葛西は石巻葛西から葛西太守の座を簒奪する。1342年(康永元年)北畠顕信率いる南朝方が稗貫などを蹴散らしつつ南下。石巻葛西がこれに呼応して南朝方は栗原郡に進出するが南朝方は敗北。石巻葛西(奥州葛西)の勢力は弱体化していく。

 戦国期になると大崎氏と対峙するため伊達氏に接近。石巻葛西は伊達宗清を迎え入れることとなる。引き続き葛西太守は寺池系が維持していたが、秀吉の奥州仕置で葛西家が滅亡すると、親伊達な石巻葛西は仙台葛西に、反伊達な寺池葛西は盛岡葛西となり現在に至る。


三戸南部氏:もとは清和源氏武田氏の流れ。南部の名が歴史に出てくるのは「日蓮書状」で、1274年(文永11年)に身延入山時に「南部(なんふ)」に一泊したという記載から。ここで言う南部は山梨県南部町。源頼朝の奥州征伐に付き従い、糠部五郡(糠部、岩手、閇伊、鹿角、津軽)を賜ったとされるが吾妻鏡には記載がないため南部氏の創作と目されている。

 南部氏庶子の波木井(南部)師行は元弘の乱が起こると陸奥に下向する。さらに陸奥守として下向してきた北畠顕家に従属し陸奥国代となる。師行は根城(八戸)を築き、嫡流であった三戸南部を凌ぐ勢力となる。しかし北畠顕家が和泉国で、南部師行も阿倍野の戦いで戦死すると次第に勢力を落としていく。

 三代将軍義満の時代に南北合一した後も八戸南部は南朝に殉じるとしていたが、北朝方についていた三戸南部の説得により甲斐の所領を放棄し、当時の八戸の当主、南部政光が自刃することで双方矛を収める事となった。

 この後三戸南部が優勢になり、名将南部晴政の頃に「三日月が丸くなるまで南部領」と言われた最大版図を築く。晴政は当初子がなかったため南部信直を養子として迎え入れていたが、南部晴継が生まれたことで状況が一変する。南部信直を廃嫡するが、南部晴政が死ぬと当然んあがら跡継ぎ争いが勃発し、その隙を突いて津軽為信が独立、以後津軽と南部の対立が現代まで続くこととなる。

 ちなみに史実でも天文八年(一五三九年)に聖寿寺館の火災があり、其れまでの史料が散逸している。

 本作では左近率いる天狗衆に晴政の祖父、父である南部政康、南部安信(幼名不明)が爆殺されたため三日月は丸くならない様子。


奥州千葉氏:桓武平氏の流れ。平安時代末期下総権介として赴任。1189年(文治5年)源頼朝が藤原泰衡征伐に赴いた際に、千葉介常胤は八田知家とともに東海道軍の総大将として従軍する。奥州厨川で藤原氏を打ち破り、続いて大河兼任の乱では海道軍大将として軍功を上げ奥州海道筋の所領を獲得した。

 常胤が獲得した所領は6人の息子に分け与えられ、それぞれ奥州相馬氏、亘理氏(奥州武石氏)などになったとされる伝承があるがよくわかっていない。奥州千葉氏もこの流れとされるが詳細は不明。一説には葛西清時は千葉介頼胤の子である胤信を養子として迎え入れ、胤信は清信と名乗り葛西太守になったといわれる。

 奥州千葉氏の祖ははっきりしたことはわかっていないが中世の頃に奥州へ下向し、土着豪族となったとみられる。分流としては馬篭氏、熊谷氏、薄衣氏、国分氏、大須賀氏、大原氏など多数あり。

 ちなみに坂本龍馬が習得したことで有名な北辰一刀流の創始者である千葉周作は気仙郡出身の奥州千葉氏の流れ。


〈宗派紹介①〉

山伏:山岳信仰と仏教が習合した日本独自の宗派。修験道もしくは修験宗と呼ばれる。流派は細かく別れているが、概ね天台宗系の本山派、真言宗系の当山派に大別される。本山派の本山は聖護院(京都市左京区)、当山派の本山は三宝院(京都市伏見区)に置かれる。もともとは本山派が強かったが、徳川家康の策略により当山派が優遇され、両派閥を競合させられた。明治維新が起こると神仏分離令、修験禁止令が発せられ修験道は存亡の危機に立つも民間信仰として息をつなぎ今に至る。

 遠野にある早池峰山は修験道の聖地の一つ。花巻の伝統芸能である早池峰神楽は山伏神楽に属し、南北朝時代には確立していたらしい。

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