第廿九話 大槌孫八郎の来訪 壱

大槌城 狐崎玄蕃


 春、峠の氷も溶けたので遠野まで物見に出かける。孫八郎様と二人連れの旅路である。


「孫八郎様、まもなく笛吹峠を越えますが、一度休まれますか?」


「そうしてくれ」


「あそこに小屋がありますので、一服させて貰いましょう」


 小屋の戸をたたきしばらくすると、老婆が出てくる。


「これはこれは旅のお方。どうなされたか?」


 出てきた老婆の大きさに孫八郎様が大きな口をあけて固まってしまっている。いかんいかん儂も一瞬あっけにとられてしまったわ。この狐崎玄蕃とあろうものが。


「あ、ああ、水を貰えないかと思ってな」


「おお、そうですか。それではこちらへどうぞ」


 六尺はあろうかという婆さんに勧められるまま上がり框に腰を下ろす。流石に草履を脱いで部屋に上がるのはためらわれる。


「ささ、召し上がって下せえ」


「あ、ああ。かたじけない」


「孫八郎様、お待ちを。婆さん、お前が飲んでみろ」


「えっ?」


「どうした飲めんのか?」


「あぁ、いえ。では……」


 婆さんが湯飲みに手をかけたときに、ガタガタっと扉が開かれる。


「婆さん帰ぇったぞ。水くれ」


 玄関から入ってきたのは背の丈七尺ほどのこれまた大きな爺で、背には薪が山のように背負われている。婆さんがもっていた湯呑をひっつかむと一気にあおり飲む。


「くぅー。生き返ったぜ!おっと、客人か。失礼した」


「お、お主がこの家の主か?」


「そうです。ああ婆さん、水でなく白湯にしなさい」


 この夫婦は随分と背が高い。そういえばこの笛吹峠には山男と山女が住んでいて人を喰うと聞く。もしやこの老夫婦が……?


「そなたらは遠野には行くのか?」


「へぇ。薪を売って食い物を買ってきますんでまぁ」


「それだけでかいと不自由があるのではないか?」


「まぁそうですね。今までは怖がられたりしておりましたが、遠野の若様は怖がらずに接していただけるので最近は遠野であればあまり怖がられることはなくなりました」


 ふむ、遠野の童か。神童と伝え聞くが、このような山男山女も手懐けるというのか。興味深い。


 老夫婦に礼をいい、遠野への下り坂を居りていく。横田城に近づくにつれ活気が増える。途中田んぼに油紙の蓋をした木箱が置かれていたがあれはなんだったのか?


「玄蕃よ、あの木箱はなんなのだ?」


「はて?某にもわかりませぬ。初めて見ました」


「ふむ。してあちらの鮮やかな花畑はなんだ」


「あれも初めて見ますな」


 儂の知る遠野に一体何があったというのだ。まるで極楽のような美しい花畑が咲き誇っているではないか。



横田城 阿曽沼孫四郎


「若様、大槌の嫡男と狐崎玄蕃が領内に入ったと報せが来ました」


「わかった。引き続き追跡を続けてくれ」


「笛吹の老夫婦に褒美をあたえんとな」


 山男、山女と怖がられる二人だが単に背が高いだけなのだ。とはいえこの時代では天を突くような大男、大女になるので見た目の圧迫感は強烈である。本当に気の良い爺さん婆さんなんだけどな。


 さてこの情報はどう扱おうか。下手に父上に報せれば斬りかかるかも知れないが、後に報せるのも家中の不安定化につながりかねない。悩んだが、報告しておいて良いだろう。


「父上、よろしいでしょうか?」


「孫四郎か。入れ」


 父上と鱒沢の守綱叔父上が話し合いをしているところであったようだ。


「して、如何した?」


「は、左近より大槌の嫡男と供の狐崎玄蕃が領内に入ったと報せがありました」


「なに!?」


 父上が気色ばむ。叔父上も怒気をはらませるが、父上よりは冷静なようだ。


「兄上、落ち着いてくだされ。神童よ相手は二人だけか?」


「そのように聞いております」


「ふむ、であれば下見であろうか。兄上、少し泳がしては如何でしょう?」


「たかだか二人。いつでも殺せるが……そうだな。怪しい動きをするようなら捕らえよ」


「もし、この城に来るようであれば歓待しますか?」


「それほど肝が据わっておるならばな」


「くくく。兄上、家中には俺が触れておく。神童よ大槌の倅をここに連れてこい」


 こうして大槌から客人をもてなす事となったが、さて素直に来てくれるだろうか。

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