第十一話 飢饉に備える

 今日は清之と山に来た。といっても狩りでは無い。


「この木はなんというのだ?」


「これは橅の木ですな」


「これは?」


「楢の木ですな」


「こっちは?」


「これは栗でございます」


「くわしいな」


「ははは。飢饉の時にはよく山に入ります故。そちらの木は栃です。これも飢饉の折りに食べるので、常日頃からどこの家でも数十俵は蓄えております。ほかには蕨に毒はありますが野老(ところ)、そして……」


 蕩々と清之の講義が始まる。この地の生活は飢饉との隣り合わせだ。耐寒性の強い品種や農業技術の普及、特に保存技術を含めた流通が発達した現代では考えられないが、冬を越せる保証すらない。


 近代でも昭和恐慌の折に発生した東北大飢饉では、青森など年間の乳幼児死亡数が1万人近くにのぼったとか、総死亡者数はその倍はいて悪名高い身売りが無ければもっと酷くなっていただろうとかいう人もいるそうだ。これは稲作に集中しすぎた弊害ではあるが、ひとたび冷害が起これば死体が積み上がりかねないのがこの地ということだろう。どれほど備えても足りないかもしれないけどできる限りはやっていかないとな。


 こういう地であるから、農業の発展は必要だが、それより鉱工業になるべく振り向けるというのも選択肢になるだろう。物を売って飯を買う。もしくは飯を作れるところを手に入れる。結局のところ売ってくれないなら、殺してでも奪い取るってなってしまうのか。


「爺、栗をもっと沢山植えてはどうか?」


「そうですな……それではこのあたりの栗の木から幾ばくか良さそうな枝を持って帰りましょう。これは樫ですな。これも持って帰りましょう」


 救荒作物という意味以外にも、鉄道を導入する目処がついたら枕木などで必要になる。今のうちに大規模な栽培を確立しておこう。ついでに食味の良い栗へ品種改良を進められれば御の字だ。


 一通り近くの山谷を歩いた後に浜田邸に入る。手習いの時間だ。いつも通り書物を読んでいるが、ふと頭をよぎるのは食糧増産についてだ。今のところ開墾でなんとかなっているけどもより効率的に肥料をつくらないと、収量の増加はあまり期待できない。早めに硝石製造を始めるべきかな。

 

 古土法や培養法では生産量が少ないので硝石丘法を用いるのが妥当かな。アレなら5年で濃度2-3%の硝酸カルシウムが得られる……んだっけか。ナポレオン戦争では硝石丘法で戦い抜いたというから侮れん。しかし反応速度が低下する冬季をどうするか……石炭でもあれば常時適温に加温できるのだが。


 工業的にはやっぱりハーバーボッシュ法だけど、300気圧500度に耐えられる容器の製造ができないし、水素の分留はできないし水素脆化の解決もできないし今時分では没だ。ずっと未来に実現できるかもしれんので、基礎研究だけは余裕が出たらやっておこう。


 むしろ発電が可能になったらビルケラン・エイデ法での硝酸製造は有りだ。あくまで頭の中ではだし、アーク放電を利用し硝酸1トン製造するのに15MWhもの大電力を必要とするので発電所の併設が必要なのが欠点だけど。硝酸製造できるのでセルロースが安定して手に入るなら黒色火薬では無く無煙火薬の製造にいきなり移ることができるかも。ハーバー法とオストワルト法が確立する前はそれなりに有効な製造法なので、技術的課題は山盛りだがこちらを当面の目標とする方が良いだろう。


 しかしやっぱりこの時代にきて思うのは電気は便利だ。電気があれば明かりも不自由しないし、色々ものを動かすことができる。


 それに電気と反射炉があれば銅製錬に危険な灰吹法を使わなくてすむかもしれない。そうなれば余計な鉛も必要なくなり鉛の輸入は当面絞ることができる。弾丸は一般的に重くて加工しやすい鉛だそうだけど、鉛が取れないこの地ではどうしようかな。鉄も電炉が使えるようになるからなあ。


「……! ……さま! てますか!? ……このぉ! ばかとのぉ!」


「雪、痛い」


 頬を叩かれてヒリヒリする。


「むー若様! なんかトリップしてます!」


「とりっぷ? 若様、今は手習いの時間ですぞ、……しかし雪や、若様の頬を叩くとは……怖いもの知らずな」


「若様が悪うございますので。そ、それに、み、未来の奥としましてはこれくらい当然でごじゃりましゅ」


 あっ噛んだ。顔を赤くしてしまうならそこまで言わなければいいのに。しかしこの時代は自分で結婚相手を選べるわけではないから必ず室に入れるわけではないのだが。そもそも俺も雪も幼児なんだから結婚なんてずっと後じゃ無いか。


「そなたが俺の奥になるのか?」


「私では嫌でございますか?」


「いや、清之の了承がいるだろう?」


「若様、雪などで良ければ側室でも構いませんのでもらってくだされ」


「父様、“など”とはどういうことにございましょうか?」


「まだ齢三つなのにこの気の強さ……一体誰に似たのか。」


「もちろん、母様でございます」


清之はもう何も言えなかった。

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