そして彼は葛藤する。

 走ることなんかすっかり忘れて、俺は呆然と家へ入りながら考えた。

(どうやって北条に芙美の弁当を食わせよう)

 これが今一番の問題かもしれなかった。

 …バレたらきっと、芙美に殺される。殺されるのはいいにしても(?)、芙美に嫌われるのはやっぱり嫌だ。何とかしなきゃ。何とか。


 そして翌朝。いよいよ撮影が明日に迫ってしまった。ガッコへ行く前に、朝っぱらから風呂場ですっぱだかになって、恐る恐る体重計に乗ってみる。

 …プラス9キロ。さらに1キロ増えてる。

(だめだ。このままじゃあ…)

 俺は風呂場から出ると、台所へ向かった。オヤジもオフクロも、もう仕事へ出かけたらしくて、家の中はしーんとしてる。

 ダイニングテーブルの上には、昨日あいつからもらった二段重ねの風呂敷包みが、手付かずのまま残っているんだけど、

(芙美にはほんと悪いけど)

 俺は意を決して、風呂敷を解いた。現れた朱塗りの重箱を持って、キッチンの流しへ向かって、

(ごめん、俺、こればっかりは食えない)

 芙美に心の中で謝りながら、コーナーへ重箱を近づけて、フタを開けようとしたところで、

「やほー! 涼君、おっはよー!」

 思わず重箱を取り落としそうになった。

 振り返ると、芙美がにこにこ顔で立っている。

「あー、今から食べてくれるところなんだ?」

「…早いな。まだ七時になったばっかだぞ」

 やっとのことで立ち直り、言葉を紡ぎ出した俺へ、

「そりゃあもう」

 芙美は大きく頷いた。

「だって心配なんだもん。前に涼君、家の合い鍵くれたじゃない。だから、いきなり行って驚かせようと思ってさ」

「あ、ああ」

 確かに驚いた…別の意味で。

「あ、お茶? 私が入れてあげる! ほら、涼君は座ってて、ね?」

 俺をダイニングテーブルへ押し戻すみたいにして、いそいそとキッチンに立つ芙美を、果たして俺に止められたろうか?

 俺、コイツに合い鍵を渡してたこと、悪いけど後悔した。それこそ死ぬほど。

 小さくため息をつきながら、テーブルについて、改めて重箱のフタを開けた…ら、

(これ、ほんとに朝飯なのかよ、おい)

 一の重には、魚の照り焼きに肉の塊、細かく切られた白と赤の野菜、そして分厚い卵焼き。二の重には、海苔を巻いたでかい握り飯がぎっしり詰まってる。

 この構図、なんだか本屋によく並んでるような、料理雑誌の正月特集の写真で見た気がするんだけど。

「はい、お茶だよ。しっかり食べてね!」

「うん…頂きます」

 心の中でもう一回ため息をつき、俺は食べ始めた。芙美は相変わらずにこにこして、そんな俺を見つめてる。

「ごちそうさまでした」

「いえいえ、お粗末さまでした」

 …マジ、もうこれ以上は入らない。

「じゃ、学校、行こ」

「うん…」

 腹いっぱいどころか喉まで来そうなのを堪えて立ち上がる俺の腕を、芙美は引っ張った。

「涼君はさ、いつも私の作ったご飯、全部食べてくれるから、私、すっごく嬉しいんだ」

「…そうか」

 俺は喉元までこみ上げてきたゲップを辛うじて堪えて頷いた。学校へと続く道を一緒に歩きながら、芙美の笑顔はあくまでも明るい。

「だからさ。今日のお昼ご飯も張り切って作ってきたんだよ。カニクリームコロッケと、辛子明太お握り! 今朝みたいにいーっぱい作ったから、たくさん食べてね!」


 …ほんと、なんとかしないと。


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