そして彼は葛藤する。

 少し冷たい春の風が吹きすぎていった時、俺はやっと目が覚めた。

(またやった)

 体育の授業、サボらないで出ようって決心したばかりなのに。

 腹が膨れると、つい眠くなる。この癖っていうか習性、いい加減に変えるように努力しないと、やっぱマズいよな。

 頭を右手で掻きながら上半身を起こすと、芙美はいなくて代わりにメモがその手に握らされていることに気づいた。

『放課後にまた来ます。五限目の数学のノート、持ってくるね』

 …五時間目? でも、本当のところ、今は何時なんだろう。

 どっちにしても、

(あと二日か…)

 撮影の日は迫ってくる。それまでに1キロは痩せて来いなんて言われてるけど、

(ひょっとしたらこの分じゃあ…)

 恐ろしい予感に思わず顔が引きつったのを嫌でも自覚した。悪寒を振り払うみたいに頭をもう一度振りながら、ズボンの埃を払って俺は立ちあがる。

 そこへ、

「やれやれ、こんなトコでサボってたなんてねえ。もう終礼も終わってしまったわよ?」

「川崎先生」

 呆れたみたいに声がかけられた。よりによって、自分の担任に見つかっちまうなんて。

「君、モデルさんをやるのもいいけどね。授業放棄は重大なペナルティよ」

「すみません」

 去年大学を出たばっかりだっていう、この英語の女教師は割にさばけた人で、俺ら生徒の間でも人気が高い。物分りのいいこの人が「ペナルティ」って言うんだから、よっぽどのことだと思って、

(三十六計謝るに如かず。ここは大人しく謝っておこう)

「ごめんなさい。気をつけます」

 俺は一応、神妙に言って頭を下げた。

「ま、いいわ。今回だけは大目に見といてあげる」

「え…?」

 すると、川崎先生は肩までの髪の毛を横へ払いながら、俺へいたずらっぽくウインクして後ろを向いた。

 ああ、そうか。アイツが走ってくるからだ。

「内田さんに免じて、今回だけよ。もう二度目はないからね?」

「すみません。ありがとうございます」

 忙しいときにはほぼ毎日。モデルやってると本当に、精神的にもクタクタになって勉強どころじゃなくなる。何度も単位を落としそうになった俺だけど、芙美のおかげで何とか授業にも付いていけてる。先生もアイツに感謝してるのかもしれない。

「うふふ。彼女のお弁当、美味しい?」

「あ、はい…あの」

「ま、じゃあ君が内田さんのお弁当、食べてるって噂、本当だったんだ」

 しどろもどろになった俺を見て、先生はクスクス笑う…どうやら引っ掛けられたらしい。

「先生っ!」

「はいはい。いいじゃないの仲が良くて」

 顔にたちまち血が上る。つい大声で叫んでしまった俺の前で、

「君たち見てると、可愛いなあって思うのね」

 先生はやっぱりクスクス笑ってる。これが「大人の余裕」ってやつなんだろうか。何だかちょっと悔しい。 


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