第39話 悩みは小さく大きい
誰かの思いを感じる。どこかから、ほんのり香る金木犀のように。目の届かない遠くから、気遣う気持ちが漂ってくる。気の所為だと思った。でも違う、これは僕に向けられた純粋な感情だった。
嬉しくなって「がぅ」と小さな声を洩らす。でもまだ遠い。きっと元の大陸にいるのだろう。戻ろうかな、だけど……。葛藤が頭をもたげる。倭国に戻れば封じられてしまう。僕を呼ぶ声が封じるためじゃないと、言い切れないから。
もう封印は嫌だ。誰もいなくて怖くて冷たい。あの孤独の檻にいるなら、痛くても外の方がいい。くるりと丸まって、硬い毛皮に鼻先を突っ込んだ。耳をぺたりと伏せて、目を閉じる。望まなければ、これ以上苦しまなくて済むから。
夢の中でしか会えないのに、ここ数日は夢を見れなかった。眠って目が覚めて溜め息を吐く。あの狗神と会いたいから、枕に夢のおまじないを施した。それでも夢を見ることなく目覚めるたび、気持ちが落ち込んだ。
痛い、せつない、苦しいと泣く魂は無事かしら。触れたらごわごわと硬い毛は、きっと日に当てて梳かしたら柔らかくなる。冷たい体も温めてあげたかった。アイリーンは肩を落として俯く。何もしてあげられないことが辛かった。
「リン、何があったの?」
心配そうに尋ねる兄シンに、アイリーンは迷った。相談したいけれど、封印が解けたことや神様が絡んだ部分を簡単に口に出来ない。少し考えて、たとえ話に落とし込んだ。
「あのね。犬を飼ってる人がいて……でも飼えなくなって離したの。その犬が心配なのよ。寒くないか、ご飯を食べてるか。気になるの」
「リンが飼うのは無理だから、悩んでいるのかな」
神狐のココがいて、他にも獣姿の神々が出入りするのが皇族の屋敷だ。愛玩動物として犬や猫を飼うことは禁じられていた。意を汲んで話を進める兄に頷く。
「ほかの人が飼うことは出来ないのかい?」
「無理みたい」
小さな声で首を横に振る。皇太子シンはまるで見透かしたように、断言した。
「責任を持てないなら手を出してはいけない。巫女である以上、リンの選べる道はいつも一つだけだよ」
選べる道は一つ、ごくりと唾を飲んだ。お兄様は知っているのかしら。アイリーンはゆっくりと深呼吸し、気持ちを整理する。
狗神が夢を見ていない可能性もあるわ。それなら夢で会えなくて当然よ。落ち込んでも悩んでも、救うと決めたなら迷ってはいけない。私は巫女で、あの子は狗神なのだから。ココや白蛇様と同じ、巫女が仕える魂の一つなの。
覚悟が決まり切っていなかったのだろう。その浮ついた部分を兄は指摘した。
「もう大丈夫かい?」
「ええ、気持ちは固まったわ。ありがとう、シン兄様」
お礼に「どういたしまして」と返し、お兄様は背を向けた。私もくるりと反対を向き、ココが眠る祭壇へ歩き出す。私が回復したなら、まずすべきことがあった。悩むよりココに力を注いで起こし、叱られて、それから助けてもらおう。
文句を言いながらもココは手を貸してくれる。だって私の契約した神様だもの。
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