第10話 君を置いて行けない

 赤い瞳は人外であることを示す。誇りを失い堕落した獣……禍狗は穢れを纏っていても、元は神の一柱だった。圧倒的な強さは堕ちても変わらない。


「目を逸らして! 魅入られるわ」


 叫んだアイリーンの声に、ルイは無理矢理目を逸らした。他者の心を操る魅了のような力があるらしい。心臓が高鳴り、息苦しさに呼吸が乱れた。


『我が息は神のいき仮衣かりぎぬを借りて狩るは、しきけがれ――舞い、踊り、はらへ』


 咄嗟に陰陽の術を発したアイリーンが、禍狗を包む膜を作る。綺麗に覆った瞬間、禍狗は大きく吠えた。その声が圧で膜を飛ばし、受け切れずにアイリーンが膝を突く。


 ココも補佐に入るが、現時点の能力で禍狗を抑えるのは無理だった。神狐の一員であるココだが、地上に降りたことで神の権限は半分も使えない。解放した状態で使役できるほど、アイリーンが成熟していなかった。


『……っ、リンもたないよぉ』


 展開した膜が破られていく。アイリーンが叫んだ。ハーフツインテールの青い髪が揺れる。


「お願い、逃げて」


 ルイを見つめる禍狗の赤い目が、ぎろりと少女へ向かう。毛先へ向かうにつれて薄くなる青髪は、結んだ紐が解けていた。血の気を失った彼女の頬にかかる髪が、さらに顔色を悪く見せた。ぎりぎりで持ち堪えているのが伝わる。


「君を置いて行けない」


 舌打ちしたい気分でアイリーンが声を絞り出す。


「早くっ! あなたがいたら全力を出せないわ」


 陰陽の術、奥義をフルール大陸の住人に披露するわけにいかない。それにここが王家の墓所なら、目の前の青年は王家の関係者だろう。東開大陸の術を使うアイリーンが封じに失敗し、彼が害されたら……戦争になっちゃうわ。アイリーンの懸念に気付きながらも、ルイは引かなかった。


「僕の心配より、自分を守れ」


 言うが早いか、素早く剣を抜く。ただの武器なんて、元神族に効かないのに。アイリーンの懸念をよそに、月の光を浴びて銀に光る刃を、禍狗は恐れるように後ずさった。


 ぐるると唸る声が威嚇の響きに変化していく。


「ココ、あの剣……」


『何かの加護があるみたいだね』


 一種の神器の類かしら。首を傾げるアイリーンを守るように、ルイは禍狗と彼女の間に立った。


「フレイムソード」


 簡単な呪文に似た呟きで、銀剣は炎を纏った。表面を舐めて走る炎の色は淡い黄色だ。禍狗の姿は獣、動物が火を恐れるという本能を利用して追い払う気だろう。


「ダメよ、追い払っては」


 アイリーンが止めるより早く、禍狗は身を翻して闇に駆け出した。追い掛ける彼女を、ルイが留める。


「待て、まだ話がある」


「……私はあの禍狗を捕まえなきゃいけないの。どいて」


 唸るココを肩に乗せ、式神を呼び戻す。中で禍狗と争ったのか、戻った式神は傷ついていた。風と雷を司る式神は戦闘向きなのに、それでも禍狗を抑えるには足りない。


「ごめんなさい、ありがとう。休んで」


 触れた指先で傷を消し、彼らを戻す。術を解除した後に落ちた紙片をルイが拾う間に、アイリーンは姿を消した。くしゃりと紙を握る。


「……逃がさない」


 必ず捕まえて、彼女の正体を暴く。黒い狐面で顔を隠した青い髪の少女。魔法とは違う術を使った。おそらく東開大陸の陰陽師か巫女だと思うが、このフルール大陸で自由にさせる気はない。ここはビュシェルベルジェール、竜の血族の大地なのだから。


 彼女との再会を心に誓いながら、ルイはこの時まだ自覚はなかった。胸の奥に芽生えた、温かな感情の名前も知らず。

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