第7話 天津うさぎは赤くなる。




 ★ ★ ★


 遠くで犬が鳴いている。

 作戦会議から一五分後、私と可憐ちゃんと葉の三人は、タクシーを使って芦花ろか公園に避難していた。

 ボクサツ君と千夏さんの二人は、私の自宅で牙王が来るのを待ち受けている。二人は、牙王がおうが来たら千夏さんの自動車で逃走し、この芦花公園まで誘導して来る算段である。

 私達三人は、ボクサツ君が逃げ込んで来るまでの短い時間で、ボクサツ君が呼んだ応援と合流し、公園内に結界を張っておく必要がある。牙王が来たら結界に閉じ込めた状態でボクサツ君がやっつけて、今度こそ、可憐ちゃんが除霊する、という作戦だった。


「あ、居た居た。可憐ちゃん!」


 ふと、公園の外から声がかかる。

 二人、こちらへやって来る者がいた。その内の一人が可憐ちゃんに声をかけたのだ。


「あ。杏ちん!」


 可憐ちゃんは声をかけてきた女性に駆け寄って、これでもかと頭を撫でられた。

 やがて、公園の街頭に照らされて、二人組の姿が露になる。私は、驚いて言葉を失ってしまった。二人組の内、一人はクラスメイトの一二三ひふみ清道きよみち君だった。そしてもう一人は、最近人気急上昇中の霊能力アイドル、あんずちゃんだったのである。


「え、え? なんで? 凄い!」


 と、私は混乱を丸出しにする。


「あ、ざこい軍曹だ」


 可憐ちゃんは清道君を指さして言った。


「ざこい軍曹?」


 私は清道君に驚きの視線を向ける。清道君は、ちょっぴり顔を赤らめて口を開く。


「ええと、吾輩がゲームで使ってるアバターネームだよ。可憐ちゃんとは、何度もネット対戦してるから」


 と、清道君は照れ臭そうに答えた。つまり、清道君と可憐ちゃんは知人同士で、ゲームではフレンド登録している。と、いうことか。そこは理解した。でも、わからない事が一つある。


「一二三君、その、どうしてここに?」


「私が呼んだのよ。時間があれば私一人でも結界ぐらい張れるけど、今日は急ぐんでしょう?」


 答えたのはあんずちゃんだった。私はまだ現実を受け入れられず、軽く言葉に詰まってしまう。


「あ、あ……その、あの」

「ん。どうしたの?」

「ごめんなさい。いきなりアイドルの人に出会うとは思っていなかったので」


 私は、まじまじと杏ちゃんの姿を眺めた。

 杏ちゃんは、人気急上昇中の霊能力アイドルである。音楽番組で歌う姿は見慣れており、テレビの心霊番組やオカルト番組でもちょくちょく見かけていた。彼女が本物の霊能力者なのかどうかという点に関しては、やや疑わしくもあったのだが、でも、ボクサツ君が応援に呼んだ以上、杏ちゃんは本当に霊能力者なのだろう。

 ちなみに、私が池田有子から髪を切り落とされる前の髪型は、黒髪ツインテールだった。大好きな杏ちゃんを真似た髪型だったのである。

 杏ちゃんは小柄で、ファッションモデルみたいにスラッとした体型をしていた。顔立ちも、優しそうで品がある。他校の地味なセーラー服を着ているが、それでも私とは、まるで月とすっぽんのようだと思えた。


「私も、ちょっと驚いてるわよ。ボクサツ君が私抜きで悪霊を相手にしてるなんてね。後で説教しておかなきゃ。それより、私の名前は弓月ゆづきあんず。知ってるかもしれないけど、よろしくね」


 と、杏ちゃんは手を伸ばす。私は興奮を押し殺し、杏ちゃんと握手を交わす。


「じゃあ、詳しい話を聞かせてくれる?」


 杏ちゃんが本題に入る。可憐ちゃんは手短に状況を説明を開始した。


「成程ね。今からだと、悪霊がここに来るまで一◯分ってところかしら。早速始めるから、手が空いてる人は手伝ってね」


 杏ちゃんが言った事により、作業が開始された。


 ★


 可憐ちゃんと杏ちゃんは、公園をぐるりと左回りに。私と清道君は公園を右回りに、取り囲むように結界のしめ縄を張ってゆく。


「清道君って……霊能力者だったの?」


 私は作業を手伝いながら、清道君に問いかける。清道君は、ちょっぴり苦い顔で頷いた。


「うん。杏ちゃんの家とも古くから関りがあってね。その、吾輩は……相談してほしかったよ」

「ごめんなさい。どうしても言えなくて。巻き込みたくなかったから」

「そっか。でも、天津さんのそういう優しいところが──」


 清道君が言い終わる前に大きなエンジン音がして、三台のバイクが芦花公園内に侵入してきた。

 バイクからは若い五人組が降り、エンジンを切って、談笑しながら此方へと向かってきた。手には、コンビニ袋をぶら下げている。多分、暫く公園で時間を潰すつもりなのだろう。


「ちょっと不味いな。公園に居たら、彼らを巻き込んでしまう。うさぎちゃん、ちょっと行って公園から出るように頼んでくれるかな?」


 清道君の言葉に、私はドキリとした。


「清道君。今、下の名前で呼んだでしょ」

「え? あ、ごめん。つい」

「いいの。これからも、そう呼んでほしい」


 私は照れ隠し交じりに背を向けて、バイクの若者達へと歩き出した。

 五人の若者は、まだ私に気がついていないようだった。だが、歩み寄るにつれ、彼らの顔立ちがはっきりしてくる。私は、思わず足を止めた。


「うさぎ? あんた、ここで何してるのよ」


 若者の内、一人が言う。

 池田有子だった。


「ゆ、有子。どうして」


 微かに、足が震えだす。

 私は内心、自分の失敗を責めた。確か、池田有子が住むアパートは芦花公園の近くだった。その事を失念していたのだ。牙王を誘導する場所として、ここを選ぶべきではなかった、もっと別の場所を指定するべきだったのだ。

 とはいえ、急がねば牙王が来てしまう。なんとか説得して、公園を出てもらう必要がある。


「その、有……子」

「呼び捨てにしないでくれる? 馬鹿にしてるの?」

「違う。その、ここは危な──」

「──気持ち悪い。こんな所で待ち伏せて、あんたストーカーなの?」


 有子は私の言葉を遮って、侮蔑混じりの笑みを浮かべる。

 私は焦っていた。それなのに上手く言葉が出てこない。見ると、五人の若者はいずれも私の学校の生徒だった。更にその内の一人は、有子の妹の早苗さなえちゃんだった。


早苗さなえ、ちゃん」


 思わず呟いて、下を向く。早苗ちゃんの、分厚い眼鏡を見ていられなかった。


「お前が気やすく早苗さなえを呼ぶな!」


 有子が怒りを露に叫ぶ。有子は私に掴みかかり、押し倒す。私は地面に膝を打ちつけて、苦悶の声を上げる。そんな私に馬乗りになり、優子は頬を引っ叩く。


「姉……さん!」


 公園の隅から、葉の声がした。

 葉は怪我をしているので作業には加えず、公園のベンチに横たえていた。どうやら、私の悲鳴で目を覚ましてしまったらしい。


「あいつ。どうしてこんな所に!」


 有子は葉を目にするなり、怒りを露わに立ち上がる。そして間髪入れず、仲間からバイクのヘルメットを奪い取り、駆け出した。


「お姉ちゃん、やめて!」


 早苗ちゃんが、有子の背に叫ぶ。だが、有子は止まらない。私も急いで立ち上がり、有子を追う。清道君も駆けだした。


「お前のせいで、お前のせいで早苗は!」


 有子はヘルメットを振り上げて、葉へと突進する。葉は、逃げる事もままならぬ状態だった。

 間に合わない──。そう、思った時だった。


 キキィイイイ! と、鋭いブレーキ音が響き渡る。

 一同が驚き振り返る。公園の入り口に、見覚えのある自動車が横滑りしながら停車した。


「早く。早く降りて下さいよ。早く!」


 車内で、千夏さんが叫びまくる。


「わ、解ってるよ。シートベルトが……」


 助手席のボクサツ君も叫び返す。

 ボクサツ君は、半ばパニックになりながらシートベルトを外し、自動車から飛び出して公園へと駆け込んできた。


「わ、来た!」


 叫ぶと共に、千夏さんがアクセルを踏み、自動車で逃げ去ってゆく。

 小さくなるエンジン音と交差するように、今度は狂気じみた雄叫びが近づいてくる。見ると、ムキムキの大男が、私の母の自転車を猛烈な勢いで漕ぎまくり、公園へと迫っていた。


「結界は?」


 ボクサツ君が叫ぶ。


「まだよ! 予定より三分も早いじゃない。もう少しかかるから、自分でなんとか時間を稼ぎなさいよ!」


 杏ちゃんがぷりぷり返す。

 それをかき消すように、自転車のブレーキ音が響く。


「な、なに。何なの? 何が起きてるのよ!」


 有子が、少し怯えた調子で困惑している。

 やがて雄叫びが止み、重い静寂が公園を満たす。禍々しい気配が接近してくることが、肌感覚で感じられた。

 ざり。

 靴音と共に、入り口に大男が姿を現した。その姿は宵闇に染まり、異様な威圧感を放っている。一眼見ただけで、この世の物ではないと感じるような不気味さを漂わせていた。


「またあああ。小細工、かああああ」


 怨嗟の籠った低い声が発せられる。

 私は思わず震え上がる。腕に、ポツポツと鳥肌が立つ。ボクサツ君は公園の中程で、観念したように振り返った。


「今回は小細工なしだよ。その身体を相手に多少策を弄しても、どうにかなるとは思えないからね」


 穏やかに返すボクサツ君の気配もまた、どこか虚ろで、浮世離れした何かを孕んでいた。



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