眠れぬ夜

「アルディート君はSランクに認定にんていいたします。」

 戦闘開始から約二分。ギルドちょうベルデさんの宣言せんげん認定試験にんていしけんは終了した。


 観覧席かんらんせき一部始終いちぶしじゅうを見ていた冒険者達は口々にアルをバケモノとたとえる。

 それもそうだ。先に翼龍よくりゅうとの戦闘を見ていた僕だって言葉も出ないのだから、初めて目にした者であれば人として受け入れられないのは当然のこと。

 アルが剣を振り汚れを払えば、みなビクンッと身体をはずませ目をらした。


 アルの戦闘試験の課題として用意されたメタルスコーピオン。らえるのは容易たやすいだなどというのはベルデさんがSSランクだからこその発言で、実際は翼龍よくりゅうよりも数段危険度の高い魔物である。

 動きはその巨体からは想像もできない程に素早く、ハサミによる攻撃は金属も押し潰す重機のように重い。通常の刃物では傷さえ付かぬ硬い外殻がいかくを持ち、尾の先端から放たれる毒は骨までも腐食させる。

 上質な武器素材になるとしても、倒すまでに犠牲ぎせいとなる装備の方が高価になってしまう為、そもそも避けて通るのがSランクに及ばぬ冒険者の常識とされていた。

 そんな魔物二匹を相手にたわむれるかのごとく戦い、反撃が無くなるのを避けわざと尾の方からり刻んでいく様はまさに鬼畜きちく所業しょぎょう。爽やかな笑顔も、みなには悪魔の嘲笑ちょうしょうに見えたに違いない。

 ベルデさんの指示通り五十センチ大に生きたまま解体された魔物が、いっそ哀れに思えた。


「戦闘能力に限って言えば最上位のSSSランクにも相当します。が、如何いかんせん実績にとぼしい。カルム君同様、地道に依頼をこなし更に上を目指してくださいませ。」

 最上位ランクって…。

 メタルスコーピオンとの余裕の戦いぶりに加え、僕が放った魔法の流れ弾から観覧席かんらんせきを軽く守り切った、あの光の結界が評価されてのこととは理解できる。そもそも勇者なのだから、並外なみはずれて強いのは当たり前のことなのだけど。

 この居たたまれない気持ちはどうすればいいのか。

 僕との力の差が大き過ぎて、今更いまさらながら足手纏あしでまといの実感しかかない。

 戦闘にいて守られるばかりの位置から脱しサポートの役割をすためにも、どこか早いタイミングでレベルアップをはからなくては。一先ひとまずは未習得分の上位魔法を一つでも多く使えるようになるのが課題だな。習得に関する詳しいことは、近いうちにまたアロガンさんにでも相談してみるとしよう。


「どうした?カルム。無事終わったのに元気無いな。疲れたか?」

「んー…まぁ。今日は色々あったしね。そっちはまだまだ元気が有り余ってるようで何よりだよ。」

 ユヌ村を出てから序盤じょばんはちょっとした遠足程度に歩くのみだったけど。翼龍よくりゅう遭遇そうぐうし戦ったのち、倒したその三匹の運搬うんぱんに解体作業もこなし、きわきはメタルスコーピオンとの戦闘解体まで。都度つど僕に魔力MP譲渡じょうとしてもなお、出発前と何ら変わらぬ様子には感心も通り越しあきれてしまう。

 生環せいかんスキルで常にエネルギーを回復しているとは言え、肉体や精神の疲労はそれとは別の問題。全くもって底が知れないな。

 観覧席かんらんせきを仕切る石柵せきさく頬杖ほおづえを突き顔をのぞき込むアルに苦笑くしょうで返し、連れ立ってギルド受付へと戻った。




「では、こちらにお名前だけご記入いただけますか?」

 カウンター越しにベルデさんと向かい合う僕達の横を、試験場からの階段を上ってきた冒険者達が距離を取りながら通過していく。依頼を受注するでも無く、打ち合わせのテーブルに着くでも無く、ただアルとだけは目を合わせぬように。

 僕が会釈えしゃくしたのを合図にして、逃げ出すように飛び出して行ってしまった。

「おやおや、近頃は軟弱なんじゃくな冒険者ばかりで困ったものですね。」

 透き通った氷の浮かぶフレッシュドリンクをカウンターに置きつつ、肩をすくめ溜息ためいきまじりに言う。

 彼らだって日々多くの依頼をこなし生計を立てている立派な冒険者だ、SSランクの基準で見ては可哀想かわいそうというもの。

 それに僕もアルも、別におどしたわけでは無いのに。あんなにおびえられるのも何だかなぁ。ほとんど自慢話の冒険談を聞いたり、他のパーティーと共同で依頼をこなしたりって冒険者っぽいやり取りは、ちょっと憧れだったんだけど。

 打ち解けるのには大分だいぶ時間がかかりそうである。

「いただきます。」

 口に運ぶグラスで鳴る氷の音が、すっかり静かになった空間で涼しげに響いた。



「改めまして。カルム君そしてアルディート君、認定試験にんていしけんお疲れ様でした。それからギルドへの登録、まことに感謝いたします。本日はお疲れでしょうから、ギルドカードの受け渡しとうはまた明日あすにでも。ご都合つごうの良い時間にお越しください。」

「はい、お気遣きづかいありがとうございます。…あ、えっと…」

 ペンを握り、差し出された登録申請書とうろくしんせいしょに名前を書こうとして困った事に気付く。“終末の物語エンディング“の書きえでは、思い浮かべた文字が日本語からこの世界のものに自動変換されるし、手帳やメモなどは自分だけが読めれば問題は無いから学ぼうって考えすら無かったけど。

 この世界の文字でサインすらできないのは、流石さすがよろしくないのでは?

「僕の名前って、どう書くんでしょう?この世界の文字を読めはするんですが、書くとなると勝手が違うみたいで。」

「お名前でしたら“命譜めいふの書“に書かれてはおりませんか?」

「あ!そっか。すみません、お手数てすうおかけします。」

「いえいえ。」

 “命譜めいふの書“を呼び出し、表紙にある名前を見ながら記入する。書き順なんかは全くわからないが、文字の形状さえ合っていればきっと問題は無いだろう。

 早々にサインを済ませたアルは、依頼が貼り出された掲示板を眺めつつあごに指を当て何事なにごとか考えている様子。

「やっぱそうすっか。」

 パンと手を合わせ言うと、掲示板のど真ん中、派手な装飾そうしょく縁取ふちどられた一際ひときわ目立つ依頼書を指さした。

「ギルド長、王国からの依頼ってこれだろ?急ぎじゃないなら、先に他の依頼をいくつかこなしときたいんだけど。」

「えぇ、構いませんよ。王国の依頼に期限はございませんし、現状シャーフに滞在中の冒険者で、これを達成できる可能性のある者はおりません。誰かに先を越される心配は無いでしょうから、ゆっくりと修練しゅうれんなさってください。」

 僕が魔物との戦闘でビビらないよう、気をつかってくれているんだな。

 場数ばかずをこなせば嫌でも慣れるし、状況に応じた判断力もやしなえる。それにオールマイティーなアルと違い僕は魔法だけが頼りだから、せめて“命譜めいふの書“の呼び出しをせずに済む程度には熟練度じゅくれんどを上げておくべきだろう。

 アルとしては多少のあせりもあるはずで、何なら王国の依頼を単独でこなすことだってできるだろうに。僕の成長を待とうだなんて、ホント良い奴だよな…


 ドリンクを飲み干し、解体の報酬で受け取った布巾着ぬのぎんちゃくを取り出す。代金を支払おうと巾着きんちゃくの口に指を掛けたところで、そっと手を添え制止された。

「これは私が勝手にお出ししたものですから、お代は結構です。」

「…いいんですか?」

「ギルドは普段、酒場としても営業しておりますので、今後はそちらもご利用いただければさいわいです。救世主様であれば割引もございますよ。」

 なるほど、これがアロガンさんが言っていた救世主の特権か。証明となる懐中時計かいちゅうどけいを見せさえすれば、他の店でも割引や特別サービスを受けられるのだとか。

「あはは、ご馳走ちそうさまでした。けど、救世主らしいこと何もしないままではやっぱり気が引けるので、明日は教会にも行ってみます。」

「それが良いでしょう。“終末の物語エンディング“の書きえを希望している者は必ず教会を訪れます。教会にはその全ての記録が残っているはず。救世主様のお力で、みなをお救いくださいませ。」

「どこまでできるかはわかりませんが、全力で頑張ります。…それじゃあ、今日はこのへんで。」

「はい。どうぞお気をつけて。」

 すかさず先回りしてドアを開くと、丁寧ていねいに腰を折り見送ってくれた。

 あんな風にされると、本当に執事にしか見えないな。強くて万能なオジサマ執事…オタク心を刺激する良い設定だ。


 懐中時計かいちゅうどけいを開いてみれば、時刻は間もなく一九時。

 町長の娘であり自警団じけいだんのトップでもあるルクラさんからは、解体場で別れる前、持てしに酒を用意しておくから夕飯時ゆうめしどきに家まで来るようにと言われていた。

 酒の席というのが気になるところではあるが、アルは喜んでいたし。頃合ころあいを見て抜け出せば、やたらとからまれることも無いだろう。

 団員募集のチラシの裏、雑に書かれた地図を頼りにご自宅を目指す。どんなに地図がわかりづらくとも、町長の家くらい途中で誰かにたずねればきっと辿たどり着けるはずだ。

 夕暮れ時、涼しい風が流れるシャーフの町を、少しばかり足早あしばやに進んだ。






 途中アルから強請ねだられるがままに寄り道をし、露店ろてんの菓子を頬張ほおばりながら辿たどり着いたのは、解体場からそう遠くない場所に建つ立派なお屋敷やしき。正面から見ただけでも他の民家の五倍はあり、それとは別にこれまた立派な外観の建物が二棟、母家おもやを中央にしてシンメトリーで並ぶ。

 花々にいどろられた広大な敷地しきちつたが絡んだデザインの洒落シャレさくに囲まれ、門をくぐるのも躊躇ためらう存在感を放っていた。


随分ずいぶんと遅かったじゃないか。もうみんな始めてるよ。」

「はわぁっ⁉︎」

 突然目の前に現れた姿に驚き、素っ頓狂とんきょうな声を上げる。

 急上昇した心拍数に胸を押さえれば、あきれたように目を細めるルクラさん。昼間会った時のワイルドな印象はどこへやら。涼しげな色合いのアオザイに似た衣装をまとう姿は実にしとやか、思わず見惚みとれてしまう程だ。

「男がなんて声出してんだい。わざわざ歩いて出迎えるのが面倒だからテレポートしただけだろう。ほら、まだ顔を合わせて無いウチの連中もアンタらには興味津々きょうみしんしんなんだ。メシも酒も好きなだけやってくれて構わないから、話しを聞かせてやっとくれ。」

 その見た目とは裏腹に、勢いのある性質せいしつ姐御口調あねごくちょうは変わらない。

 返事をするより先にテレポートで転送され、酒で盛り上がる大広間のど真ん中。好奇こうきの目が一斉に向けられた。


 周囲のテーブルには大皿に盛られた幾つもの料理が並び、酒のびんたるがあちこちに転がっている。男女合わせて三十数名の羊人族ようじんぞく達は各々おのおの自由なスタイルで酒をあおり、すでに大半がまともに話しを聞ける状態とも思えない。

「お前達!翼龍よくりゅうどもを倒した英雄様のご到着だよ!しっかり持てしてやっとくれ!…あぁ、そうだ。寝床は用意させとくから酔い潰れても心配無い。遠慮無く飲みな。」

「おぉ♪そんじゃお言葉に甘えて。いっただきま〜す!」

 ルクラさんの声でく一同。とんでもない所に来てしまったと後悔する僕をよそに、アルは上機嫌じょうきげんで酒と料理に飛びつく。

「で?アンタはジュースにしとくかい?」

「えぇ…っと。そうですね。飲めないことは無いんですけど、得意な方でも無いので。僕は、隅の方で。」

 身の危険を感じじわじわと後退あとずさるも、背後に妙な気配を覚え振り返った。

 気配のぬしは紙一重の男エトバスだ。あと二歩ばかりのところで両腕を広げ、にこやかに待ち構えている。

「おや、気付かれてしまったか。せっかく抱き心地を確かめようと思っていたのに残念だ。…どうだい?飲めないのなら、あっちでおじさんと未来の話でもしないかい?」

「い、いえっ!お構いなく!」

 伸びてきた手をすんでかわしテーブルを挟んで距離を取る。が、この場にって警戒すべきはエトバスのみに限らない。

「つぅかま〜えたっ♪」

「は?ちょっと、うわっ!」

 え無くそばで飲んでいた女性達に捕まり、四方を豊満な胸で囲まれた。

 本来なら歓喜すべき状況なのかも知れないが、どなたもすっかり出来上がっている様子。柔らかな感触をたのしんでいる場合で無いことだけはわかる。

「綺麗な顔してるのねぇ。ん〜……身体の方はどうなのかしらぁ?」

「な、何言ってるんですか…ひっ⁉︎」

 服の中に滑り込んで来た女性の手が、胸やら背中やらをじかに撫で回す。

 早くも別のテーブルで酒をみ交わし盛り上がるアルの助けは望めず、服を剥ぎ取られぬよう防ぐので精一杯だ。

 こんな事なら、と聞いた時点で断っておくべきだった。その時は無一文だったから、タダで夕飯をご馳走してもらえるのなら教会を頼るより良いかと思ったのに。

 こうなっては、愚かな考えだったとしか言いようがない。



 玩具おもちゃのような扱いに抗議すべく開いた口は料理で塞がれ、酒も無理矢理飲まされた。女性達に捕獲されてからたいして時間は経っていないが、持てされるどころかもてあそばれる状況に加減かげん吐き気が込み上げる。

「う……ヤバ。」

 かなり強い酒を流し込まれたらしく、途端とたんに視界が歪んだ。意識はまだしっかりしているけれど、これ以上飲まされてはそれも怪しい。

 覚束おぼつかぬ足取りで逃れようとした瞬間、後ろから回された腕に軽々抱え上げられた。

 腹を圧迫され、色んなものが今にも飛び出して来そうだ。

「一緒に便所に行くとしよう。な、カルム君♪」

 この声はエトバスか。状況が好転したとも言えないが、この場から逃れられるのならもう何だっていい。

「ちょおっとぉ!その子は今、あぁしたちと楽しくやってるんらから〜。出すもの出したら、さっさと返しなしゃいよぉ?」

「あー、わかったわかった。」

 回らぬ呂律ろれつで文句を言う女性達をあしらい、僕の頭を肩に乗せる姿勢で抱え直す。

「だから、おじさんが先に誘ったろう?」

 早々にこうなる予想がついていたから、助け舟のつもりで声を掛けてくれたのか。いや、だとしても説明不足だし、初対面から印象が悪過ぎだ。意図を察せるはずもない。

 反論と吐き気を必死にこらえつつ、ぐったりと抱かれたまま、盛り上がりの続く大広間を後にした。




 表門の方から見て母屋おもやの左、南側に位置する建物の三階。ホテルのような一室に連れて来られソファーにもたれる。

 前世では酒を飲むと、感情や思考に変化が起こるより前に足腰が立たなくなり具合が悪くなっていたから、姿形は変わってもそれは同じなのだろうとは思っていたけど…。

 意識がはっきりしている分、具合の悪さもしっかりと感じられてまさに地獄。現状、頭を持ち上げる気力すら無い。

「さっさと逃げ出せば良いものを、お人好ひとよしが過ぎるんじゃないかい?どうせみんな、明日には何にも覚えちゃいないんだ。付き合ってやるだけ損。…まぁ、おかげでおじさんは得したけれどね。」

 ほんのり緑色に発光して見える液体をグラスに少量注ぐと、僕の口元へ近づける。

「さ、飲んで。これを飲めばすぐに吐き気がおさまる。ちゃんと薬師くすしから買ったマトモな薬だからね、妙なものを飲ませてるんじゃないかなんて疑うのはやめてくれよ?」

 妙な薬を飲まそうとしているに違いないとは確かに思ったが、それを読んで真面目な顔で釘を刺すあたり可笑おかしな真似をする気は無さそうだ。

 素直に飲み干せば、嘘のように吐き気が治まっていく。

 この世界の薬は、原料となる植物や生物が持つ魔法的な効果を活用したものだから、前世に有った薬とは違い即効性は異常に高い。身体も直ぐにいつも通り動かせるようになり、姿勢を正して座り直した。

「…ご迷惑、おかけ…しました。」

 この男に頭を下げるのも少しばかり躊躇ためらわれたけれど、助けてもらったからには感謝してしかるべきである。

 深く頭を下げ顔を上げると、視線を合わせ正面にひざまずくエトバスは嬉しそうに笑った。

「いいんだよ。今こうして二人きり、美しい君を間近で見ていられる。それだけで本当に幸せなんだから。」

「はぁ……」

 ならば好きなだけ見てくれればいい。それでお礼になるのなら安いものだ。


 改めて部屋を見回すと、一面いちめん紺色の壁にはたくさんの風景画が飾られていた。星がきらめく夜空や、霧がかった森、夕暮れの草原に、穏やかな湖畔こはん。どれも幻想的で美しく、それぞれに合わせて選んだであろう装飾の額縁が作品を引き立て、持ち主のセンスの良さをうかがわせる。

「素敵な絵ですね。」

「だろう?こういう美しいものを集めるために働いていると言っても過言かごんでは無いからね。今夜はそこのベッドで休むといい、きっと良い夢が見られるよ。」

 屋敷やしきあるじの趣味かと思ったのに、これ全部エトバスのコレクションなのか!

 そうすると、ここはエトバスの部屋。見れば見るほど本人のイメージとは程遠く、更には難しそうなタイトルの本が並ぶ本棚や机が、知的な雰囲気もかもし出す。

「でもそれだと、あなたの寝る場所が無くなってしまいますから。ルクラさんも僕達の分の寝床ねどこは他で用意してくれてると言ってましたし、僕はそっちに」

「またあそこに飛び込むつもりかい?行くなら止めはしないけど、今度は無理矢理酒を流し込まれるくらいじゃ済まないかもしれないねぇ?」

 これはおどしか?そりゃあ次にまたつかまれば、確実に無事では済まない。かと言って他人の寝床ねどこを堂々と使うのも気が引けるし、こっちもこっちで身の危険は感じる。

「遠慮はいらないよ。どうせ今夜は当番で、おじさん寝れないんだ。」

「昼間も農場に居たのに、夜も仕事を?」

 なんというブラック。他の連中はご機嫌きげん酒盛さかもりをしていると言うのに、一人だけ丸一日ぶっ続けで労働だなんて。ぐにでも環境改善を求め抗議こうぎすべきなのではないだろうか。それに…

「…身体は、大丈夫なんですか?」

「おじさんのことを警戒けいかいしていたのに、心配はしてくれるんだね。」

 そう言って揶揄からかうように笑う。

 あぁ、なんとなくわかってきたぞ。は真面目なくせに、それをさとらせないようえてふざけた態度を取っているんだな。

 そもそも他人に危害を加えるような変態を、自警団じけいだんに採用する訳が無いのだ。ここはエトバスの提案に従うのが最善の選択なのは間違いない。

「なんか色々誤解してたみたいで。…すみませんでした。」

「おや。誤解されたままで構わないんだけどね?まぁ、そんなに心配せずとも、休める時にちゃんと休んでいるさ。おじさんのことは気にせず眠るといい。」

 シーツにしわもなくキッチリと整えられたベッドへうながされ、上だけ一枚脱ぎ横になった。エトバスは机のそばの椅子に腰掛け、本を手に取りあしを組む。

「ありがとうございます。」

 手元の本へ視線を落としたまま、片手を上げてこた微笑ほほえんだ。



「少しだけ、話しをしても構わないかい?」

 ページめくる音が眠気ねむけを誘い、うとうとしているところに声を掛けられ薄く目を開く。

「カルム君は、ユヌ村から来たんだったよね…。なら、救世主様とは、お会いしたのかな。」

「えっ?……ぁ」

 思わず飛び起き、我ながら過剰かじょうなリアクションだったと気付き口元をおおう。

 これは、どう誤魔化ごまかしたものか。いや、ここで正体しょうたいさらしたからと言って、隠していた理由さえ説明すればわかってはもらえるだろう。

 むしろそんなことより、救世主の存在を気にするのはつまり、彼自身か彼と関係の深い誰かがその力を必要としているということ。であれば、ますます正体しょうたいいつわる意味は無い。

「ユヌ村に新たな救世主様が来臨らいりんされたと教会で聞いてね。どんな方なのか気になっていたんだ。」

「…僕です。こんななりで信じられないかもしれませんが。その救世主、僕なんです。」

 枕元に置いてあったかばんから、そのあかしである懐中時計かいちゅうどけいを取り出す。

「やはり、そうでしたか。数々のご無礼ぶれい、お許しください!」

 途端とたんかしこまり膝をつけば、床に頭をり付ける勢いで土下座し、必死の様相ようそうで謝罪する。

 ベッドを下り腕を引っ張って椅子に押し戻すと、正面に立ち向き合った。

「とりあえず!態度を改めるのはやめてください。それから救世主様と呼ぶのもやめてください。できれば、カルム君のままでお願いします。」

「しかし、そういうわけにも……」

「あぁもう、わかった!なら僕も敬語けいごはやめるから。お願い。正体しょうたいが知れて、無用な争いに巻き込まれるのを避けたいんだ。」

 ぐっと顔を近付けると、うっとり目を細め満足げに笑う。

「……あぁ、美しい…」

 こいつっ。僕の方からせまるのが嬉しくて、しぶるフリをしたな。どれだけ僕の顔が好きなんだか。こっちばかり必死になって馬鹿らしい。

「くっくっくっ、すまない。昼間教会に行った時、神父様に話しを聴いてね。カルム君がそうなんじゃないかとは思っていたんだ。だが初めから正体を隠してるようだったから、ちょっとあせったというかね。」

あせった?」

「死ぬこと自体を受け入れてはいても、苦しみながらくのはごめんなんだ。カルム君の力で俺たちを救って欲しい。」

 救世主の力を求めて教会を訪れた者の記録は全て残っていると言うし、明日一通り確認した上で順におうじるつもりだったけど。今エトバスの話しを聴いたからって、全員救うことに変わりはない。

「このままじゃ気になって眠れないな。いいよ、詳しく聴かせて。」

 ベッドに腰掛け詳細を話すよううながすと、少しだけ真面目な顔をして救世主の力を求める理由を語ってくれた。



 話をまとめると、余命期限は明日から十日。

 わざわいに対峙たいじし全力で戦うも、身体の至る箇所かしょを失い痛みにもだえながら死ぬのだと言う。それも死ぬのはエトバスだけでは無く、彼を含めた自警団じけいだんの団員十二名。

 相手が何者なのかはわからない。魔物かも知れないし、人という可能性もある。どちらにせよ、このままでは十日後に死ぬのは確定していて、もし戦わず全力で逃げるという選択をしたところで“終末の物語エンディング“は絶対。結果は同じなのだろう。

 本人は死ぬこと自体受け入れていると言ったけど、正直そんな言葉信じられなかった。覚悟を持って日々のぞんでいるのだとしても、命を落とすとわかっている戦いに挑むなんて…。想像するのすら恐ろしくて震えが止まらない。

「そんな顔をされては、覚悟がにぶってしまうじゃないか。」

 その表情に、声に、心がえぐられるようだった。どうにかしなければ…


 フィーユの“終末の物語エンディング“の書きえで分かったことだが、寿命の部分に手を加えるのは大量の魔力MPを消費する。一人こなすのに僕の魔力MPはほぼ全て持っていかれるから、満タンまで回復するすべがないと一日一人が限界となり、そのままのペースでやったのでは十日で十二人は間に合わない。

 コールネイチャーで魔力MPの回復を加速したところで然程さほどしにはならないし、魔力MP回復薬を飲めば素早く回復できるけど、体積のある水分だから飲める量にも限界はある。

 ならば残る手は一つ。アルに魔力MP譲渡じょうとしてもらう他ない。

 アルなら僕の魔力MPを数秒で満タンにできる上、譲渡じょうとを二度繰り返したところで負担にもならないはずだ。きっとこころよく協力してくれるだろうし、そうすれば最低でも一日三人は救うことができる。

「アルにも話して、二、三人ずつ書きえに応じるから。他の人にもそう伝えておいて。」

「ありがとう、カルム君。今日、君に出会えて本当に良かった…」

 心底しんそこ安堵あんどした声でつぶやく。

 寿命の延長はまだ一度成功したのみで今度も確実にできるとは限らないから、先に告げて期待させるのはやめておこう。

 それに、このままでは何かが足りない気がする。書きえようにも制限がかかって進めない、あの感覚。

 これをらすような助言が欲しいな…

「エトバス。お風呂って使わせてもらえる?」

「ん?あぁ。一階に大浴場がある。今日はもう誰も使わないだろうから、貸切りなんじゃないかな。」

「ちょっと頭をスッキリさせたくて。一階に行けばわかるかな?」

「階段をりて左に行った突き当たりだ。む…⁉︎風呂ということは、カルム君がはだかになるのか。それは是非ぜひとも見てみた」

「一人で!行ってくるから!あと僕、結構長風呂ながぶろなんだ。遅くてものぞきに来ないように。」

 アロガンさんか、ネルか。どちらの助言をるにしても、一人にならねば呼び掛けられない。

 残念そうに手を振るエトバスを部屋に残し、小走りで大浴場へと向かった。






 エトバスの言った通り、大浴場は貸切状態。

 手桶ておけで身体を流しつつ、まずはアロガンさんにコールする。

(お待ちしておりました!カルム様!)

 僕が名前を呼ぼうと一音目いちおんめを発した瞬間、物凄い勢いで耳元に声が返ってきて驚いた。何時いつコールしても構わないとは言っていたけど、この反応速度は異常だろう。ネルに過去のことを聴いたから余計に、いつにも増した勢いを感じる。

「連絡が遅くなってごめん。途中で羊人族ようじんぞくに会ってね、シャーフまで送ってもらったんだ。今夜は町長さんの家でお世話になってるよ。」

(それを聴き安心いたしました。ご無事で何よりです。)

「ん。ありがとう。」

(…それで、何か問題でもございましたか?)

 声色こわいろから僕が悩んでいることに気付いたのだろう、怖いくらいのさっしの良さだ。

 とは言え、すぐに本題に入れるのは有りがたい。湯船にかりながら、エトバスとの“終末の物語エンディング“に関するやり取りを端折はしょらず伝えた。



「で。このまま書きえを行うにしても、何かが足りないと言うか、引っかかっててさ。アロガンさんなら気付けることもあるんじゃないかと思ったんだけど。どうだろう?」

(そうですね……)

 僕が話した内容を頭で整理しているのか、しばしの沈黙が流れる。

(私が気になったのは、二点。申し上げてもよろしいでしょうか?)

勿論もちろん。聴かせて。」

 然程さほど待たずに再び声が聴こえ、すぐさま続きを求めた。

 やはりアロガンさんに相談して正解だ。天使時代の仕事ぶりを、並外なみはずれて優秀と評価されるだけのことはある。あのネルともストレスなく会話できていたのだろうし、情報整理はお手の物か。

(まず一点。自警団じけいだんの方十二名が書きえを希望されているとのことですが…。シャーフの自警団じけいだんとは本来、町の内部の安全を保つため組織されたものであり、えて外に出て前線で戦うようなことはほとんどありません。必要であれば一旦いったんは調査のみにとどめ、ギルドへ討伐とうばつ依頼を出すはず。農場を荒らす魔物と戦うのだとしても十二名もの方に被害が出るのは考えにくいのです。とすれば、町の防衛にいて命を落とす可能性が高い。自警団じけいだんに属さない住人の中にも同様の“終末の物語エンディング“をお持ちの方がいらっしゃるのではないでしょうか?)

「っ!…そうか。教会に行くより先にこの話を聴いたから十二人だけと思って対応を考えていたけど、彼らだけでは済まないかも知れないんだ…」

(はい。そしてもう一点。カルム様が足りないとおっしゃられているのは、おそらくこのことだと思うのですが。十日のうちに書きえを行うとして、原因となるわざわいを取り去ることにはなりません。わざわいの正体、対処が明確で無い状態では、寿命の延長にも影響するのではないかと。)

 あぁ、まさしくその通りだ。現時点で、十日という期限内にエトバス達を死に至らしめる原因を取り除ける見込みが無いから、書きえが制限されているに違いない。またそれゆえ、フィーユの時のような成功の確信がかないのだ。

 答えを示され納得に至るも、実質的な問題の解決にはならず頭を抱える。

 わざわいとは一体何者なのか。

 シャーフにはSSランクのベルデさんが居て、Bランク以下とは言え戦闘に慣れた多くの冒険者が滞在している。それに今は勇者アルだって居るのに、それでも対処しきれないのは何故なぜだ。どうしてみんなを守りきれない…?

(シャーフの自警団じけいだんに属する者は皆、冒険者であればAランクにも相当する強さと聞いております。そんな方々がかえちに合うとなると、相手も単独では無いと思った方がいいかも知れません。れで行動し、戦闘に慣れた者も一瞬で切り裂く素早さと攻撃力を備え、奇襲を得意とする…魔物。町周辺の魔物について詳しい方に、心当たりがないか尋ねてみてはいかがでしょう?)

「ふぅ…。あせって全然思考がまとまらなかったから、整理してもらえて助かった。そうだね、明日は朝一で教会に行って、その後ギルドで魔物について聞いてみる。それじゃ、あまり長湯ながゆしてると逆上のぼせそうだから、この辺で切るよ。」

(⁉︎入浴してらっしゃったのですか?…お背中もお流しできず、残念です…)

「あーうん。そのうちお願いするよ。それじゃ。」

 適当てきとうに返したけど、マズかったかな。アロガンさんのことだから、きっと本気にしたに違いない。まぁ男同士なんだし、背中を流してもらうくらい平気か。



 さて。早々にアロガンさんとのコールを切ったのは、ネルに尋ねるべきことが絞れたからだ。

 被害者が自警団じけいだんの十二名だけで済まないかも知れない件については、教会の記録を確認の上でどう対応するのか考えるとして。彼らを死に至らしめるわざわい、いては“終末の物語エンディング“の書きえに制限をかけているものの正体を特定することが肝要かんようである。

 アロガンさんへ告げたようにギルドで尋ねれば、敵をある程度絞り込むのも可能だろう。けれど推測を相手に挑むのでは、確実な勝利は期待できない。更に情報を集めれば勝率は上がるのかも知れないが、“終末の物語エンディング“の書きえもひかえている状態で、そんなちまちまとやっている時間は無い。

 であれば、僕に残された手段は一つ。この世の全てを知る神様に、敵の正体を教えてもらえば良いのだ。それさえわかれば、それなりに作戦だって立てられるし、排除できる可能性も高まるはず。

 腰にタオルを巻いて大事な部分を隠し、教会で祈りを捧げるかのごとく胸元に両手を重ねた。

「ネル。聞きたいことがあるんだ。」

 呼び掛けると同時、空間を押し潰すような感覚にされ息が詰まる。直ぐに解放されたかと思えば、周囲に水滴を浮遊させエテルネル降臨。僕がはだかで居て濡れているのもお構い無しに、頬をり付け抱きついてきた。

「こんな格好かっこうでごめん。服を着てからでも良かったんだけど、今ぐ聞いておきたくて。」

「構わない。アレと話すのも見ていた。わざわいの正体が知りたいのだな?」

 ネルにあるまじき話の早さに驚く。いや、僕とアロガンさんのやり取りの一部始終いちぶしじゅうを聴いていたのなら、流石さすがに僕が知りたいこともわかって当然か。

 しかしコールの間ずっと見られてたってことは、この腰に巻いたタオルも今更感いまさらかんいなめない。相手は神様だけど、その姿は少女そのもの。風呂に限らずトイレや着替えまで見られているのかと思うと、途端とたん羞恥心しゅうちしんが込み上げる。

「えっと、そうなんだけど。…っふぅぅ…」

 大きく息をき、気持ちを落ち着けるべく自分の両頬を叩く。

 首を傾げその頬を撫でつつ、ネルはわざわいの正体を教えてくれた。

報復ほうふく翼龍よくりゅうおさが、西の山脈より仲間をひきいて襲来しゅうらいする。アルディートの結界ではアレの守護力しゅごりょくにもおよばない。町全体を守ることはかなわない。」

 認定試験の時に見た、あの光の結界のことか。アロガンさんの守護力しゅごりょくおよばないというのは、おそらく強度についてではなくカバーできる範囲を言っているのだろう。町全体を覆いきれないからすきができる。そこを突かれて被害が出る。

 ならばどうする?翼龍よくりゅうを一対一でなんなく倒せるのなんてアルとベルデさんくらいのものだろうけど、いくらアクセレーションで移動速度を上げても、町の端から端までを二人だけで守りきるのなんて不可能だ。それに―――

報復ほうふくって…。僕達が翼龍よくりゅうを倒したから?あの場で逃げて手出ししなければ、十日後の襲撃しゅうげきも避けられたのかな。」

「アルディートがらずとも羊人族ようじんぞくが倒していた。報復ほうふくに至るのは同じ。結界に頼らぬ方法であらがうしかない。」

「えっ?それは…、神様的に言っても良いこと?」

 カバーできない範囲をどう守るのかばかり考えていたところへ『結界に頼らぬ方法で』と言われ、目からうろこが落ちる思いだった。

 下手へたに守ろうとするから致命的ちめいてきすきが生まれる。防御を捨てこちらから先制攻撃を仕掛ければ、事態は好転こうてんするとあんに言っているようなもの。

「これは助言。ネルは何もしていない。力を尽くし皆を救うといい。」

「ネル……。ありがとう…」

 世界への手出しを自ら禁じている神が、一方にだけ味方し道を示すなど世のことわりみだしかねないギリギリの行為だ。そんな不公平を僕だけに許すのは、きっと親バカというやつなのだろう。


 ネルの助言で大まかな方針は定まったとは言え、ここから先は自力で考えるほか無い。重圧じゅうあつが過ぎて胃に穴が開きそうだけど、今回だってやるしかない。

「カルムの髪、ネルが洗う。」

「は?い、いいよ!自分でやるから!」

 唐突とうとつなネルのセリフに驚き、咄嗟とっさことわり背を向けた。ネルなりのねぎらいだとは気付いたが、風呂で誰かに洗ってもらうのなんて何十年も前の記憶。子供のようでずかしい。

「ネルが……髪…」

 あぁぁ。めちゃくちゃ落ち込んでいるオーラを背中にひしひしと感じる。

 考えてみれば、洗髪せんぱつくらいかたくなにこばむようなものでもないよな…。

「やっぱり!お願いしよう、かな。」

「任せておけ。」

 振り返る僕に、キリリとした顔で親指を立てる。いや、無表情なのは相変わらずだから、ネルの感情を読み取るのに僕が慣れてきただけなのかも。


 洗い場の椅子いすに腰掛けると、不器用ながらもどこか楽しげに洗ってくれた。

 誰も見ていないんだし、これくらい甘えたってバチは当たらないだろう。

 あれ?バチを当てるのって神様の担当なんだっけ?なら、その心配も無いわけか。

かゆいところはございませんか?」

「あははっ、人間の真似まね?大丈夫、とっても気持ちいいよ。」

 互いの立場を忘れこの状況に身をゆだねてみれば、何だか兄妹でたわむれているかのようで楽しくなってしまう。

 僕は前世でひとりっ子だったしな…。幼い頃は、周りの友達が兄弟喧嘩げんかしているのすらうらやましく思いながら見ていたっけ。

 大人になって妹系にハマった時は、僕の妹を名乗る女の子が突然家にたずねて来て、警察に届け出るなどという現実的な判断はさて置き、ほのぼの幸せな生活を送る…なんて妄想にはげんだりもしたなぁ。

 …………あれ?

 もしかしてネル、僕の妄想を満たそうとして少女の姿で居るなんてことは無いよね…?

 首を振り、その考えはぐに振り払った。だって、そんな心の内までも見透みすかされるってなれば、この先まともに会話もできなくなってしまう。

「あー…ネル?流石に身体は自分で洗うから。」

「むぅ……」

 僕の髪を洗い、いくらか満足したのだろう。せっせと泡立てたスポンジを取り上げるも、不服そうにするだけで済んで助かった。

 少女に全身くまなく洗わせるなんて非合法な真似まね、いくらなんでもできるわけが無い。

 あせって風呂なんかで呼び出したのがそもそもいけないのだけど、他に人の出入りが無さそうな場所が思いつかなかったのだから仕方ない。これは言い訳にあらず。断じてやましいことなど無いのだから。

 背を向け前方を隠しながら、手早く全身を洗い泡を流す。

「さてと。いくら長風呂ながぶろにしても遅過ぎるってエトバスがのぞきに来ても困るから、そろそろ部屋に戻るよ。」

「わかった。またな、いとしいカルム。」

「ふっ…おやすみ、ネル。」

 一瞬にして消えたネルの残した水滴が、雨粒あまつぶのように音を立て床に落ちた。




 心配のあまり、本を片手に廊下を徘徊はいかいしていたエトバスだったが、僕を見るなり『水もしたたる…』などと感嘆かんたんつぶやきをらし目を細める。

 この世界にもその表現が存在するのかと驚くも、先に来臨らいりんした救世主の著書ちょしょから得た知識と聞き納得なっとくした。

 僕の他にも現役げんえきの救世主は複数人存在すると言うから、本を書いたのもそのうちの一人には違いないのだが…。今日までその救世主はこの町をおとずれてはいない。世界は広く、別の大陸で力をくしているのであれば、然う然うそうそう海を渡ることも無いのだろう。

 本は手元にまで届いても、肝心の救世主の力は届かない。どれほど歯痒はがゆい思いをしてきたのか想像もできないけれど。死の直前に待ち受ける恐怖におびえること無く、己の役目を真摯しんしにこなし生きてきた彼らの覚悟には、僕が必ずむくいてみせる。


 期限は明日より十日。今回の襲撃しゅうげきで命を落とすはずだった全員の生存せいぞんが確定するまでは、一時いっときたりとも気は抜けない。

 やはり僕が僕自身を酷使こくしするのは、どうにもけられそうにないな。ならばアルも道連みちづれだ。仲間として存分ぞんぶんに頼らせてもらうとしよう。


 徐々じょじょふくらむ前向きなイメージを胸に、全身全霊をささげ挑むとちかった。

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